残雪
長いし、うだうだしているので閲覧注意です。
最近、出掛ける時に携帯で音楽を鳴らしながら歩いている。
イヤホンとかで聴きながらではなく、音を垂れ流しながらである。イヤホンは危ないしね。
今のお気に入りを聴きながら歩いてて思った。なんかのドラマのオープニングみたいだと。
制作、監督、主演、全部俺。視聴率は度外視。クレームは受け付けていない。
ただ、このドラマ。主題歌は良いのに肝心の主人公とシナリオが致命的。
主人公補正というのが皆無な主人公。いや、正しくはもう尽きてしまった。今までの人生を振り返るとたくさんの人に良くしてもらい、色んな経験をさせてもらった。
なのに、俺は。
なかなか立ち直れてない。自分が傷つきたくないばかりに他者を傷つけてばかり。こんな自分が信用されないのは分かる。自分で自分が一番信じれてない。
自分から逃げないためにこうして何かを書いているのだが。
もちろん解決なんかしない。こんな文を書いても読んでもらっても解決はしない。
三流映画の様なぐだくだの結末よりも質が悪い。
二時間先にとりあえず終わりが見えているのなら開き直っているのだろうが……
いや、今の自分なら主演を降りてるだろうな。放送する時間帯が悪い。製作費が少ない。相手が悪い。こんなシナリオじゃ演じれない。言い訳ばかりで。
思えば、小さい頃から自分は恵まれてないと感じていた。
生まれて物心ついた時に父は既に死んでおり、三人兄弟の末っ子で上二人とは多少離れており、小さい頃は山奥に住んでいて、山に遊びに行けば熊の足跡があり……これは関係ないな。
小学校に上がると褒められる事に熱心になり、優等生という名の仮面を付けだした。常時着用なもんだから演じてるという意識も無かったんだろう。
でもそれもすぐに限界を迎える。他人の目を気にして他人を観るから他人の自分に対しての興味の無さがすぐに分かったんだろう。
それに勝手に裏切られたと思い込んだ俺は第一次反抗期。これはすぐに終戦を迎えたが。
次は子供にとっては一大イベントの引っ越し、転校だ。
転校自体は暴れる事なく受け入れた。問題は別にあった。
今まで住んでいたのは、山奥。犬と猫を飼っていた。
次に住むのは母方の実家。田舎だけど山奥と比べたら都会。とりあえず二階建てのお店があるからね。
んで、実家の方にも犬がいたんだよね。おじいちゃんにベタベタな犬が。それで猫に関しては、元々野良に餌をやっていた感じだからそのまま自然に。たまにもぐらとか持ってきてドヤ顔してたけど。そんで犬だよね。母親や上二人との間に会話があったのがどうかは分からないし、直接聞いた訳じゃないから確かな事は分からない。でも引っ越し中の車内で姉が『注射』という言葉を放ったのは忘れない。
その言葉で察してしまったんだろうな。そこで母親に疑問を持ってしまった。犬の命を奪ってまでするこの引っ越しに価値はあるのかと。
別に命を奪いたいから引っ越すとまでは考えないけど、当時の俺は親ですらその時から他人な感じがしてた。
基本的に親とは動物の命に対しての価値観が違う。
中学二年の頃に夏祭りでゲットした金魚。元々小学校でリアル生き物係りをしていた俺は必死になって世話をした。初めてメダカの繁殖に成功した時は感動してた。しかも生徒だけで調べて。
当然、金魚も過去のノウハウを生かし何度か危ない時はあったけど無事に育っていった。そして中学が終わり母親と北海道に引っ越す際も、もちろん連れてった。
一番の心配はフェリー移動だったが何とか乗り越えてくれて北海道に来て一年が過ぎた。
その後、馬の専門学校に入る事になった俺は一年間、金魚の世話を親に頼んだ。
そして一年後、母親の家を訪れると在るべきはずの命がなかった。
慌てて母親に聞くと、死んじゃったと。しかも半年前に。
あらためて母親がよく分からなくなった。死ぬのは命あるものいつかはそうなるから仕方ないがなぜ報告してくれなかった。
既に遺体もないからちゃんとしたとこに埋めようもない。
その時から自分で生き物を飼うのはやめにした。自分で最後まで面倒をみれる様になるまではやめようと。
だから可愛いからという理由だけでペットを飼い始める人には心底嫌気がしてた。勝手な偏見だけど。
すごく話が逸れた。
ついでだから、もう少し。
自分でもよく分からないけど、なぜか人が死ぬのより動物が死ぬ方が心が痛む。
自分のせいで動物を死なせてしまった事もあるし、目の前で肉を切られ焼却する場面にも立ち会ったこともある。
人はまだないけど、遺体って凄い重いのね。意思のない肉の塊だから生きてる時の数倍重く感じる。綺麗な顔なんてもちろんしない。
人は……よく分からない。動物の場合は生から死へ移動するのを見て体温で感じれたから、やっと死への理解が出来た。
でも人の場合は、親父の場合はとっくに遺影になってたし、おじいちゃんの時は既に死に化粧が施されていて実感が湧かなかった。一番最近は叔父が死んでしまったけど、火葬にすら立ち会えてないし、死んだという報告も真っ赤の他人から聞かされ、その時から親戚に対してもよく分からなくなってきた。
一応、タイミング的に大きな仕事を控えていたから俺らに気を使ったとか……
正直、そんな言い訳は聞きたくはなかった。叔父はその業界では名の通った人だったので、仕事先で何人もの人から声を掛けられた。
身内には話さないで、取引先の人には話すんだなと呆れましたよ。なんか違う意味で悲しくなったよ。
赤の他人が火葬に立ち会い、俺は仕事しなきゃいけない。
あらためて血の繋がりについて考えましたね。
なんパーセントか血が同じなだけで全く別の種族なんだなと。そして、色々な事を身内という事だけで受け止めなきゃいけない不条理さ。
いまだに、というかこれから先も関わらないでしょうね。
もし、ここまで読んでくれた方がいたのなら、申し訳ないとしか言えないです。
前向きなまとめもなく終わらせてもらいます。
ありがとうございました。




