詞の四~コトバノヨン~
詞の四 ~コトバ ノ ヨン~
赤い血がいっぱいだった。あれは私の中にも流れてる。
そして、いつかこの体から這い出す瞬間を待っている。
どこかで誰かに聞いたことがあった。
若い子はよく燃えるそうだ。
だったら、私もよく燃えるのだろうか。
アキちゃんのように、よく燃えるのだろうか。
病院の裏手にある煙突から昇る、薄い薄い煙を見ながら、私は思っていた。
珍しい心疾患だったこともあって、アキちゃんは献体されたらしい。それが誰の願いだったのかはわからない。
私が知ったのは、病院にも人を燃やす所があったのかということだけだ。
「私も死んだら、献体してもらおうかな……」
パジャマの上から、私は中指でそっと自分の体をなぞっっていく。ひんやりとした指は薄い布一枚越しでこそばゆい。
張り出した鎖骨。ドキドキと動く心臓。今日も大好きなゼリーが入った胃。つつつっと滑っていって、そして指がおへそで止まった。
「ここで、お母さんと繋がってたのか……」
お母さんも私と同じ病気で死んだそうだ。
「そうだ」なんて他人事なのは、それを私がよく覚えていないからだ。
いや、もしかしたら何よりも覚えていて、それがとっても辛かったから、閉じてしまっているのかもしれない。
だって、私はお母さんの温かさを覚えている。お母さんの匂いを覚えている。
「やっぱり、閉じてるだけか……」
じゃあ、その扉が開くのはいつだろうか。この病気が治ったら、お母さんの事を思い出せるのだろうか?
考えながらトイレから病室に帰ったら、ユウイチくんがベッドからひょっこりと顔を上げた。何だか巣穴からのぞくプレーリードッグみたいでかわいい。
でも、その顔はとても悲しそうだった。
「ま、真由ねぇちゃん、どこ行ってたんだよっ!」
私が寝ている間にいなくなったもんだから、この反応のようだ。
あの日以来、ユウイチくんはすごく敏感になってしまった。たとえホンの数分だとしても、すごく気になるらしい。
無理もない。私だってそうなんだ。
それにユウイチくんにしてみれば、アキちゃんは同年代で、しかも仲のよかった子なんだ。ううん、もしかしたらユウイチくんはアキちゃんのことが好きだったのかもしれない。
そして、その「好き」がわかっていないというか、自分で処理できていないから、こんなにも極度に人がいなくなることが不安になるのかもしれない。
「もう、女の子にそんな事を聞いちゃダメでしょ」
「なんだ、トイレかよ……」
安心したユウイチくんは穴に引っ込むみたいにベッドにもぐった。もぞもぞ動いてるのはやっぱりかわいいぞ。
「ふう……」
私も少し安心して、ため息を漏らす。カレハちゃんのベッドはカーテンが閉まったままだ。いるのはわかっているけど、反応がない。眠っているのかな。だとしたら、覗かなくてはならない。よくないことだっていうのは、よ~くわかってる。でも、カレハちゃんの寝顔は特別なので、これは仕方のないことなんだ。うんうん。
「失礼しま~す」
私は聞こえなだろう囁き声で挨拶すると、そよぐカーテンの隙間にすばやく指を差し込む。全く、こんなときだけ俊敏なんだから。
白いシーツに白いパジャマのカレハちゃん。ゆっくりと寝息に連れて上下する薄い胸。長いまつげの目を伏せて、少しくるりとした長い自分の髪に埋もれている。まるで茨の園にいる眠り姫みたいだ。
いつみてもかわいいぞ。起きたらいっぱい、ぎゅ~ってしてあげるからね。
「全く、私はヘンタイさんか?」
どうも、かわいいものはみんな抱っこしないと気がすまないみたいだ。そういうのを世間ではヘンタイというのかもしれないが、そんなことはいいや。
「う、うう~ん……おねぇちゃん?」
「あ、起こしちゃった? ごめんね」
カレハちゃんは眼をこすりながら、体をゆすってこっちを向いた。薄いシーツの中から、細い指がでてくる。それは私に握ってもいい よというサインだ。
だから、折れないようにそっと両手でそれを包んだ。
「おねぇちゃん」
「ん、なぁに?」
「どこにも行かないよね」
カレハちゃんは、睡眠に奪われた水分でかさついた唇をすり合わせながらもらす。
その声はとてもかすかで、耳を寄せないと聞き取れないほどだった。
その声にあわせて、細く小さな指に力がこもる。私はその指に答える。
嘘だっていい。カレハちゃんが納得するなら、それでいい。あの時できなかったから、今度はちゃんとするんだ――お姉ちゃんなんだから。
「うん、ここにいるよ。どこにも行ったりしないから」
「うん、おねぇちゃん……」
普段ならそれで指は離れる。
でも今日は、その指が離れることはなかった。
ずっと私の指を握ってくれていた。
私が握っているなんて勘違いしちゃいけない。カレハちゃんが私に温もりをくれているんだ。
だから、もう一度言う。
「大丈夫、私はここにいるからね……」
そういうと、やっと指がはがれた。それでもいっぱい名残惜しそうに、白い指はシーツへとひっこんだ。そしてシーツから眼だけ覗くように隠れたカレハちゃんは「うん」と小さく言った。
私は微笑みだけを返してカーテンを閉めてその足で、窓まで歩き外を見た。
遠くには白い鳥が飛んでいる。あれはどこまで飛べるんだろうって想像してみても、私には関係がない。
私はここからどこにも行かない。どこにも行けない。
ここで飼われている小鳥だって? それじゃいけないの?
私は飼い鳥でいい。ここからなんてどこにもいかなくてもいい。
ユウイチくんとカレハちゃんが、ここを出るまで、私はどこにも行かない。
それが私の望んでいる平穏だし、平和なんだ。
何も変化がないことの幸せを、私たちは知っているんだから。
私があの子たちを抱きしめるのは、きっと自分を確認しているんだ。私は、あの子達の体温を借りて、私自身をここに留めている。
いつか血が噴出す体を小さなあの子達に預けて、自分でいる。
そうだとしても、いいでしょ?
私たちは寄り添っていかないと、生きている事なんて、実感できないんだから。
不確かなぬくもりが、一番確かなんだもの。