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羽の刻印  作者: 銀崖座
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詞の三~コトバノサン~

詞の三 ~コトバ ノ サン~


 お別れ=旅立ち。

 こんな感じの公式は結構簡単に思いつくよね。

 お別れ=お祝い。

 これならどうかな――もっと簡単かな?

 でも私たちは違った。それはなかなか結びつかない公式だった。

 だって私たちは自分の事をよく知っているもの。

 世界がどこに行っても子どもだって認める私たちだけど、私たちは自分の事を誰よりも知っている。

 だからそんな公式はすぐに出てこない。

 私たちの手にいつもあるのは――。

 お別れ=死。

 なんて、誰もが一番に考えついて、誰もが一番に捨てちゃう公式。

 でもそれが私たちに一番近くて、一番リアルな公式だった。

 きみこさんの言った通り、アキちゃんは次の日の朝に帰ってきた。

 本当にけろっとしていて、ICUにいたなんてのが、ウソみたいだった。

「アキ、昨日はどうしたんだよ?」

「うん? なんでもな~い。それよりユウイチくん、ゼリーいらないならちょ~だい」

「うわ、バカ! これは最後に残してんだよ!」

「ユウイチくんのけちんぼー、いいじゃんいいじゃん」

 そんな具合でいつも通りに見えたので、私も大好きゼリーをハムハム味わっていた。

 そして何もなく、午後になる。

 これはこれでいいんだ。私たちに重要なのは、きっと大きな変化をしないことなんだ。今日は少し上に行って、明日は少し下に戻る。そうしてふらふらと、病気が治ってくれるまで、宙ぶらりんでいればいい。それが一番なんだ。

 私はパソコンで行きつけのサイトをやっぱりふらふらしながら、思っていた。いつか行きたいな、なんて夢の場所を眺めていた。

「こうしていればいいんだよね……みんな、それが幸せだったりするんだから」

 そうだろう。私たちがおかされている病気はそんな簡単に幸せなんかをくれない。どっちかっていうと、隙をみて深い穴に落とそうとする、狡賢いやつらだ。

 簡単に退院だとかを夢見てはいけない。

 みんなそんな事わかってて、誰も言わないだけだ。

 でも、だからこそ闘えてる。私たちはまだ、闘えてるんだ。これが足音もなく、そして駆け足で迫ってこられたら、私たちは逃げ切れないかもしれない。

 だから、緩やかな事。

 それが一番重要だと思っている。

 でも、私は人だ。何でもない、病気の人だ。

 小説の中にはよくいるけれど、魔物や病魔の足音を聞き分ける特殊な力は持ってない。

 だから聞こえなかった。

「ま、真由ねぇちゃん!」

 ノートパソコンに刺しているヘッドホンの隙間を割って、ユウイチくんの叫びが聞こえた。でも、ユウイチくんがそんな風に私を呼ぶのは、たいして珍しい事じゃない。だから冷静に対処しようと思った。

「なぁに。またぎゅ~ってして欲しくなったの?」

 大人の余裕を少しは見せてやろうと、きみこさんを思いだして言ってみた。


 言って、見た。


 言って……見た。


 見た。見た。


 見たんだ。でも、何を見ているんだろう私……。


 全てじゃない。頭の意識だけが、そっと凍っていく。


 ほら、TVとかで見た事ない? 物が凍っていくシーンを倍速再生してるやつ――。


 まさにそれだった。


 それは見たくないものを記憶の奥の方に、ぽいって捨てちゃうみたいなもの。

 私はそれを私の記憶にしたくなかった。

 きっとそれはユウイチくんも、声に驚いてカーテンを開けたカレハちゃんも同じだったと思う。

「真由ねぇちゃん、なにやってんだよ! はやく!」

「え、ええ!」

 私はやっと動き出して、ナースコールを握り叫ぶ。

「き、きみこさん! アキちゃんが大変なんです!」

 それだけを聞くと、わかったわと声がして、コールが切れた。

 ああ、これは何だろう。きみこさんに言ったせいで、私の頭がクリアになってしまう。


 ここは白い病院のはず。

 ちょっとだけ、許された遊び心で、色とりどりなだけの、病室。


 でもここは紅い。紅い。紅い。


 その紅のなかに、アキちゃんが沈んでいる。白とパステルグリーンのかわいい布団がかかったアキちゃんのベッドが紅でみえない。紅に埋まっている。畦に咲く、彼岸花の群れみたいに、紅に埋まっている。

 どこもかしこも紅、アカ、赤。

「そんなウソだよね……昨日大丈夫だって。きみこさんも言ってたじゃない……」

 でも赤いのだ。赤でしかないんだ。

 その赤は全て、アキちゃんの小さな口からこぼれだしている。もう、その小さな体からはそれ以上こぼれないでしょっていうくらい、まっかっかだ。

「ま、真由ねぇちゃん……」

「おねぇちゃん……」

 ユウイチくんとカレハちゃんが私にしがみついてくる。

 ちゃんとしなきゃ、ちゃんとしなきゃ、私は一番お姉さんなんだ、ちゃんとしなきゃ――そう思うけど、私はふたりの温かい体を何よりも支えにして、自分の凍えに耐えていた。

 そうして何も出来ず、部屋の隅で震えている間に、駆け込んできたきみこさんと、他数人の看護師さんたちは焦りを声に込めながらも、てきぱきと処置をして、ストレッチャーに乗せ変えたアキちゃんを運び出していった。

「真由ねぇちゃん、アキ……大丈夫だよね」

「おねぇちゃん……」

 言ってあげたい。どんなウソでも言ってあげたい。


 『ダイジョウブダヨ』


 そう言ってあげたい。


 でも、私はその言葉が重過ぎて、言えなかった。ただ小さなぬくもりにすがって、二人を抱きしめただけだった。


 私は私の言葉の重さから逃げ出した。


 でも無邪気な心は私を追い詰める。どこまでも追ってきて、真っ白な心を突きつける。


「アキ、帰ってくるよな? 帰ってきたらオレ、ゼリーやるよ。これからずっと、出るたびにやったっていい」

「カレハも、あげる……」

「だから大丈夫だよな? 大丈夫だよな? オレがゼリーあげるなんて、もうないぞ? だから、だから……」

「うん……」

 私は嘘つきだ。

「うん……」

 私は卑怯だ。

「うん……私のもあげるから、みんなで待っていようね……」


 私は、私は……ねぇ、そうだって信じる事は幸せに繋がるんでしょ?

信じて信じて、信じた事は本当になるんでしょ?

ねぇ、ねぇ、ねぇ……そうなんでしょ?



 ねぇ……


 でも、


 アキちゃんは二度と戻ってこなかった。


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