彼氏じゃない
…なに?
キダってもしかして…もしかしてもしかして…
もしかしてまさかの私の事が好きなんじゃあ…
「だから!」キダが手のひらをパッと伸ばして、私の視線をさえぎった。「そんな風にオレを見んなよ。なんのつもりだよバカか」
「…あ、あぁごめん」と、つい謝ってしまった。
が、『なんのつもりだよバカか?』って言ったな今、と思う。
私を好きなんて、やっぱそんなわけなかった。
好きな相手にバカかって言わないよね普通。そんな事言わない言わない。言うわけないじゃん。キダが私の事を好きなんて、ほんとそんなわけなかった。
小学生の頃のキダは私より小さくて、だから男子の背のちっちゃい順もいつも前の方で、ちょこちょこ、ちょこちょこ高速で動いて悪い事ばっかりしていた。本当に子ザルみたいな感じだった。休むことなく常に動きまわっている感じ。ずっと悪ふざけばっかり。
今はこんなにデカくなったけどさ。
ちゃんとブレザー着こんでるし、ネクタイだって普通に締めてるし、髪の毛だって長過ぎたりしないし染めてもいないし、真面目にちゃんと普通。ワックスさえつけていないサラサラの髪。今だってほら、ちょっと女子にまた見られた。
でも小学校の時は制服の上着なんか校庭に脱ぎ散らかしてたり、校庭の木のやたら高い所の枝に引っかけたり、新品そうなシャツもすぐ泥だらけ、たぶん木の枝とかにひっかかったんだろうけど、ほつれてるところから糸が出ていたり。クラスの忘れものや落し物は大半がキダの持ち物で、靴下も脱ぎ捨てるから、よく落し物箱にキダの汚れて丸まった靴下が片方入っていたりした…
隣の席だった時にも、キダは何回も教科書を忘れて、その度に机を付けて見せてあげたし。そのくせふざけるし、先生の話も聞かないし。
まぁ私が忘れて見せてもらった事もあったけど。「キダに教科書見せてもらうとかもう終わってね?」とか他の男子に言われながら…
「木本は全然、」とキダが言う。「小学の時と全然っ、変わんねぇな」
「はあっ!?」
中学ならまだしも小学の時と変わらないってどういう事!と思ったらキダが続けた。
「すげえ嬉しいわ」
嬉しい?
全く予想しなかった言葉に動きを止めた私の腕をキダが掴んだ。「ほら、ちょっと急ぐぞ。髪くくっても寝ぐせがわかるってどんだけだよ」
「…」
東門から校内に入るとさらにみんなに見られているような気がする。
「ちょっ、カズミ君!手え離して。ちゃんと急ぐから」
捕まれた左腕を離そうとしながら、そして右手で慌てて髪の毛を手でなおそうと撫でつける。
「ホラ、ここだって」と私の腕から離した手で、私の髪を触ろうとするのを、頭をぶんぶん振って避けると、ハハハハハ、と面白そうに笑いながら優しい顔でキダが言った。
「髪、伸びたよな。寝癖あっても可愛いわ」
へ?
…何?
「オレ、木本んちわかんねぇかなって思ったけど、やっぱ覚えてたわ」
「…」
今、また私の事を『可愛い』って言った?
また聞き間違いか?
東門から入ってすぐの第1棟の校舎、そして2棟の校舎を外回りし、1年の教室のある第3棟の靴箱で上履きに替える。このまま一緒に教室まで行くのかな…隣のクラスだし行くんだろうな。いや、それにしても…
一緒に階段を上がりながら、「4年の時にオレが木本んちに、うちの親と謝りに行ったの覚えてる?」とキダが聞く。
「…うん」
ぼんやりうなずきながら、私の事『可愛い』って言った?聞き間違い?って心の中で繰り返して思う。『寝癖あっても可愛い』とか言ってなかった?
さっきも言ったよね!?なんなの?これはもしかしてやっぱりまさかのキダって私の事…
キダが聞いた。「そのスズキってやつの事、木本は本当は何て呼んでる?」
「へ!?」
「大きな声出すなって。何て呼んでる?」もう一度キダが聞く。
「スズキ君の事?え?なんで?なんで急にそんなに話コロコロ変えるの?小学の時の話してたでしょ?」
じっと横から私を見るキダ。「そいでスズキは木本の事なんて呼んでんの?」
「…私はスズキ君て呼んでるけど」
「スズキは?」
「…」
「スズキは木本の事なんて?」
「…何でそんな事聞くの?」
「気になるから。何て呼んでんの?」
「…木本だよ普通に」
「へ~~。普通にか~~。へ~~~」
登校中にも結構見られていたが、教室への階段を上がり、廊下を歩くとさらに見られる。
私だけだったら絶対目立たないのに、キダと一緒に来たせいだ。だって女子がやたらとキダを見る。
もう明日は絶対一緒に行かない。
「ほら、前ぶつかるぞ。チサ!」
チサ!?向こうから来た男子とぶつかりそうになったのをキダが手を引いて一緒に避けてくれたが、『チサ』と呼ばれた衝撃で固まってしまった。
『チイちゃん』て呼ばれるのも絶対無しだけど、もちろん『チサ』って呼ばれるなんてありえない。ずっと木本って呼んでたのに!
固まった私を見て、キダがまた小学生の時の子ザルの顔に戻って笑った。
「『マジで止めて!』みたいな顔したな今」
嫌がらせ!?面白がってんじゃなくて嫌がらせか。なんかすごい嬉しそうに笑ってるけど冗談じゃない。そのせいで余計周りの子に見られてるし。
キダに呼ばれるのも冗談じゃないが、私はもともと自分の名前があまり好きじゃない。
私の名前は『木本チサ』。カタカナで『チサ』だ。
私が勝手に思ってるだけだけど、『チサ』って小さくて可愛くて賢そうな女の子の名前だと思う。けれど私は身長も165センチあるし、がさつで大雑把で…『チサ』なんてまったく私には合わない名前だ。そして 私を知らない人に、『チイちゃん』と呼ばれるのを聞かれたら、きっと小柄で華奢でバンビみたいに可愛い女の子を想像するんじゃないかと思うと、恐ろしくて家の外では決して呼ばないように母にも頼んでいるんだけれど、なかなかその約束は守ってもらえない。
「でもなかなか慣れねえと恥ずかしいな。赤くなるわ」
「じゃあ呼ばないでよ」
「なんで?」
「なんでって…嫌だからだよ」呆れたように言ってしまう。
4組の前でキダが立ち止まった。
「どれ?スズキって」
「…」
教室の中を覗くとスズキ君はいない。
「…まだ来てないんじゃないかな。それよりもう私の事絶対名前で呼ばないで!…ねえそれとカズミ君、明日は私じゃなくて、イケダとか誘って一緒に行ってもらったらいいと思う」
そう言って4組の教室の中に入ろうとした私だが、隣の3組に行くかと思ったキダが、私を押しのけるようにしてドアから中に入りそうな勢いで覗いてきた。
ザワザワっとするうちの教室の中。
「なあ」とキダ。
お?良かったチサじゃなくて木本って言われた。
「スズキってほんとにまだ来てねえ?」
「…来てない」
「まあじゃあまた後でな」とキダが片手を挙げる。
また後で?また後でわざわざスズキ君を見にくるって事?
キダが自分のクラスに行ってしまったら、すぐに何人かの女子がパラパラっと寄ってきた。そしてまず「えっと誰だっけ?」と寄って来た子たちに聞かれる。
「…」
「ごめん」と言って、誰だっけと聞いた子が私を指差しながら付け加えた。「名前なんだっけ」
「…木本…です…」
ふんふん、とうなずく女子のみなさん。
「木本さんね!ねえねえ今の誰?」
他の子も聞いてくる。「今入り口のとこから中見ながら木本ちゃんと話してたかっこいい子だれ?」
「めっちゃカッコいいじゃん!めっちゃイケメン!」「昨日いたっけあんな子。いたら目立つから絶対見てたはずなのに」
「3組の子なんだけど…」
「「「「「3組か!」」」」」
一斉に反応する女子のみなさん。そして「彼氏?」「彼氏?」「彼氏?」「彼氏?」「彼氏じゃないよね
?」と口々にワワワワワっと聞いてくる。
ぶんぶん首を振りながら否定する私だ。「彼氏じゃないよ」
「「「「「そっかそっかそっか~~~~」」」」」微笑みながら、うんうんと納得するみなさんだ。
繰り返すけどタダは子ザルだったのだ。
とんだイタズラ子ザルだった。
いくら背も高くなって見た目も変わったって、きっとまだ子ザルのままなのだ。急に連絡も無しに迎えに来たり、ふざけて名前で呼んでみたり…
なのに女子のみなさんのこの騒ぎよう。恐ろしい。
実際この通学中も、うちの高校だけじゃなく、他校の女子や中学生の女子もキダをチラチラ見ていたような気がする。
あ!スズキ君が来た。意外だな。結構早めに登校するのかと思ってたけど。でもぎりぎりに来ても今日もさわやかで素敵!ちょっと寝癖あるけど、私も寝癖あるし、と思ってる私に、クラスのまだ名前もよくわからない女子のみなさんがまだ矢継ぎ早に聞いてくる。キダの事をだ。
「何ていう子?」「なんで一緒に来たの?」「中学一緒?」「何で仲良い?」「ねえなんで?なんでなんで?」
ワワっとうろたえながらも、説明するのめんどくさいなと思ってしまう。なぜ今日一緒に来たのをちゃんと説明しようと思ったら小学の時、キダがどんな子だったかから話さないと全然意味が違って来そうな気がする。でもそれを話し始めたら絶対長い。
「家が結構近くて途中で会ったから適当に一緒に歩いて来たっていうか…」と軽くウソをついたところに予鈴がなった。良かった。