走る
そして翌日。
「おはよう!」とやたら朝からやたら機嫌の良さそうな母の挨拶に引いてしまう。
「どうしたの?」母が明るい顔と声のままで聞いてくる。「チイちゃん、朝からしけた顔してるじゃん」
煩いよ、と思うけれど口に出す元気はない。
夕べ寝る前にキダカズミの事を考えたら、流れで小学生の時の事をたくさん思い出して、夢の中にもキダカズミが出て来た。
が、夢の中のキダカズミは今の高校生の姿で、それでも私のペンケースにカエルを入れたり、通学カバンにもカエルを入れたり、弁当箱の上にもカエルを置こうとして、私が『止めて!』って言うと嬉しそうに笑ったのだ。
ほんと、キダのそばにいて良かった思い出なんてないけどな!
そして朝スマホを見たらさらにラインのメッセージが増えてて、そっとスマホは机の上に置いたままだ。キダからはやっぱり何も来てなかったし。よし、今日は早く出よう。
母はなおも畳みかける。「ねぇねぇ、今日も迎えに来てくれるんじゃないの?キダカズミ君。昨日そんな事言ってなかったっけ?言ってたよね!」
なぜこんなに朝からテンションが高い。
テンションの高い母は笑いながら続けた。「なんかアレかなぁ。キダ君はチイちゃんの事が好きなのかな!そんな感じする!」
「止めてよそんな事言うの!」
慌てて言いながら、わ~~、と思う。
確かに好きって言われたけれども。でもアレは絶対的な告白じゃない。小学の時の思い出を自分に良いように勘違いしているだけだ。夕べの夢も中でも、私にたくさんの嫌がらせをして来た。
母が作ってくれたおにぎりを1個だけ食べてあわただしく用意していると、「なんでそんなに慌ててんの?早く行くの?」と母が聞く。
「今日、ちょっと急いで行く」
「なんで?え?もしかして一人で行く気?」と母。
もう。めんどくさいな母。
「キダ君今日も迎えに来てくれるんじゃないの?」母は続ける。「ちょっとでも髪の毛とか綺麗にして、来るの待ちなさいよ」
なんでキダが来るからって髪の毛綺麗にしなきゃなんないんだよ。
「今日は来ないの」と私は冷たく答えた。
「そういう連絡あったの?」
「ないよ!」しつこい母にイラっとしてしまう。
「連絡ないの?」
今度は急に心配そうに聞く母にさらにイラついて言った。「なんもないから。だから今日はもう来ないの!」
明日は行く前に連絡するって言ったけど、キダの事置いて帰っちゃったし、今日はもう来ないと思う。
それにもう一緒に行かない方が良い。昨日一緒に行っただけであんなに騒がれたもん。2日も続けて行ったらまたいろいろ聞かれる。
「昨日来るって言ってくれてたんだから。もうちょっと待っときなさいって」となおも言う母に、「ほっといて。とにかく今日は急いでもう…」と言いかけたところへチャイムが鳴った。
ドキッとする私に、ほらね?、と勝ち誇った顔をする母。
「は~~~~い!」
あんたの彼氏でも迎えに来たのか、と突っ込みたくなるような嬉しげな母の出迎え。
「おはよーございます」とキダのすました挨拶が聞こえた。
母がマズい事を喋り出す前に、と私も急いで玄関に出る。
「おはよう」と母が笑顔で答える。
「お母さん!私ももう出るから、中に入ってといてくれる?」
そう言ったのに母はキダに続ける。「あらぁ?ねえねえキダ君、この子恥ずかしいのか先行こうとしてたんだよ~~」
あ~~~お母さん余計な事言った~~。
じっと私を見つめるキダ。そして悪い事はしてないと思うのに目を反らしてしまう私。
「たぶん恥ずかしいんだよ~~」とキダに言う母。「男の子と仲良くした事とかあんまりないから」
「ちょっと!お母さん余計な事言わないで!もう中に入ってよ!」
それでもキダに話す母だ。「今日はキダ君来ないとか言って。何にも連絡ないからとか言って」
「あ~~」と言うキダ。
もう~~~お母さんはホントにもう~~!これ以上キダに余計な事を言って欲しくないから、キダの事も押し出すようにして急いで家を出ると、母は玄関先まで見送って私とキダにご機嫌よく手を振った。
「気を付けて帰っておいでよ~~」
「はよ」と改めて私に言うキダ。
先に行こうとした事怒ってんのかな。でも連絡しなかったのはそっちだし。
「…おはよう」と答える。
「なんで先に行こうとしてたん?」
やっぱ聞くか。しかも怒ってもいない心配そうでもない素の感じで聞いてくるからなキダ。
「…だって連絡なかったし」
「迎えに行くって連絡したら絶対『行かない』って返事したろ。『今から行く』とか送ったら先に出たろ」
…その通りだけど。
「けどまあ」とキダが言う。「今の『連絡なかったし』っていう言い方可愛かったな」
「ぶわぁ?」
…変な声出た。
「なんだ『ぶわぁ』って」と、キダが若干嬉しそうに言う。「なあ、オレが来ないかもしれないって思ったん?」
「だってそう思うでしょ。連絡ないし。それよりもね、あの…夕べ私のところに小学で一緒だった子とかからライン来て…その、」言いにくいが頑張って言う。「私とカズミ君、付き合ってるのかってめっちゃ聞かれて、たぶんイケダとかが悪ふざけて広めたんじゃないかと思うから、やっぱ一緒に行ったり帰ったりすんのは止めた方が…」
「いや、イケダはそんな事人に無暗に言ったりしねえだろ」
「…あ、えと…、そうか…ごめん」
「女子とかそういうの結構すぐ騒ぐな」
「…うんまあ…」
イケダとの友情、結構アツいんだな…仲良かったもんね。
また悪い事言ってしまった。…そうだよね、見てもいないのに。私がイケダの悪口言ってるんだ。
「まあオレも男子にちょっと聞かれたけどな。『帰って来たんだな』って、『木本と学校一緒に行ったんだってな』って。『木本と付き合うんか』って。『巨乳にしとけ』とかな、いろいろ言うからな」
誰がだよ!
でもなんて答えたんだろ、気になる。
「…なんて答えたの?」
「付き合ってはいない」
良かった。
でもそりゃそうだよね。付き合ってないもん。
「それでイケダとかがライン勝手に教えた女子とかが、なんかわかんねえけど『小学からずっと好きだった』とか言い出してきて『付き合って』とか急に言って来てんのはどういうつもりなんだろうな」
「…」
「他のやつが教えたらしい女子からもいろいろ来て、もうほんとめんどくさかったから」
「…めんどくさかったから?」
「もう木本っと付き合ってるって言っときたい衝動にかられたけどな、我慢したわ」
「…」
「すげえ我慢した」
「だってほんとに付き合ってないもん!」
「…今の言い方も可愛かったな」
「…」
『可愛かったな』って言えば喜ぶとでも思ってんのか!
「でも最終的にな、っていうか何人かからな、木本は今同じクラスになってるスズキって子が好きみたいだよ、っていう密告もらった」
マジか!誰だそいつらは!
…やっぱり自分でちゃんと言おう。この際だもん。
「あの…だからね…だから!カズミ君と二人で一緒に学校行ったりとかはもうほんとにちょっと止めとこうかなって…」
「ダメだから」
キダカズミが急に真面目な顔できっぱり言うのでドキッとしてしまう。
「そんな中学ちょっと委員会一緒だったやつとか関係ねーじゃん」
は?
「せっかくだったからスズキについての情報はいろいろもらったけどな」
「なんでそんな事すんの!?」
「だからダメだから。スズキも小学一緒だったらちょっとは考えてやってもいいけど」
「…なに言ってんの?」
「オレの方が早く木本に会ってんの!それで木本の事を誰よりも先に気に入ったのはオレだから」
驚いて何も言うことが出来ない私。
だから私は走り出した。本気でこいつとは一緒にはもう行かん!
追いかけてくるかも、とちょっと思う。が、振り返らない。そのまま学校まで頑張って走る。はあはあと息を切らして靴を履き替え教室へ。
良かった追いかけて来なかった。
はあはあ息を切らしながら席に着くと、昨日も話しかけて来た後ろの席のクボタさんが聞いてくる。あの後名前はちゃんとチェックした。
「今日は一緒じゃないの?隣のクラスの」
「一緒じゃないよ」
「どしたのぉ?走って来たの?まだ時間全然余裕なのに」
「…なんか、なんとなく」歯切れ悪く答える。
あ、スズキ君も来た。今日は寝癖ついてないなスズキ君、と思いながら、慌てて自分の髪を手で直す。走った勢いで。絶対めちゃくちゃになってるよ。
「木本、はよ!」
わ、いきなり挨拶して来てくれた。
まだ少し息が荒いがそんな事全然出ないように明るく答える。「おはよう」
スズキ君が明るい声でニコニコしながら続けた。「木本、どうしたの?さっきめっちゃ走ってたの見えたけど」
「へっ?」マズい!そんなとこ見られてた。「なんか…間に合わないかなって思って」
「そうなん?オレも昨日よりは早く来れた」
わ~~…素敵な笑顔。
「それで木本さ」とスズキ君が話を続けてくれる。「なんか今日放課後、万田中のヤツでモールの脇のミライ公園にちょっとだけ集まるかって急に朝そういう話になって。1時間くらいだけどな。用事あるヤツもいたから。木本も行かね?他の女子も来るって。カワイも来るよ」
あ、…。
ズキュン、て来た。今の『木本も行かね?』って、すごい可愛い言い方。
ニヤつきそうになる私にさらにスズキ君が言う。「なんかいろいろ連絡もあるから今日帰りにラインも交換しよ」
わ~~~~!
やった!
良かった。キダを振り切って走って良かった。
「ありがとう!」と思い切り言ってしまって恥ずかしい。
ごまかすために言う。「アコちゃんも来るんだね。嬉しい」
「カワイが木本の事も言ってたから、じゃあ木本にはオレが声かけとくわって」
アコちゃんが言い出しっぺか。…アコちゃんとスズキ君、朝会ったのかな…。
ニッコリ笑うスズキ君をまた素敵だなって思う。それに、これで帰りはキダがもし誘って来ても断れる。