だれ?
なにかのあやふやな夢を見ていた。
薄いオレンジ色がかった懐かしい、でもはっきりよくわからない場所で何かをしている夢…だった気がする。
掛け布団の上から急に、パンパン!と太ももの辺りを叩かれ、フハッ!と目を開けたとたんに、その夢はサッと私の頭の中のどこかに消えた。
驚いた頭は一瞬で目を覚ましたが、体は急に起き上がれない。
勝手に部屋に入って来ていきなり起こしにかかった母に、「もう~~~~~~~~」と、とりあえず寝起きのもっさりした声で低く唸る。
「なんで急に…」
起き上がらないまま文句を言いかける私の太ももをもう一度パンパン!と、さっきよりも強めに叩きながら母はけたたましく言った。
「迎えに来てんの!チイちゃんの事!起きてホラ!なんかすごいイケメンの子なんだけど何で!?」
…迎えが来てる?
母のテンションについて行けない起きたばかりの頭の中で、ぼんやりと母の言葉を繰り返す。『迎えに来てる』…
私を?
「なんかすごいイケメンの子なんだけど何で!?」と繰り返す母。
「ホラ!」と母はまたパンパン!と布団の上から私の太ももを叩いた。「早く起きてって!」
なに言ってんだ、と思う。「誰も来ないよ」とまだ寝たままの体制でやはりもっさり答える私だ。
「でも来てるんだって!男の子」
男子ならなおさら、と思う。男子がうちまで私を迎えに来るわけないじゃん女子ともそんな約束してないのに。
「どっかの家と間違えてんだよ」
ふん?と一瞬考える母。が、すぐに否定した。
「いや迎えに来たって言うから私もおかしいと思って、誰を?って聞いたら『チサさんを』って言ったし。制服同じだった」
『チサさん』…
男子で私の事をチサさんなんて呼ぶ誰が来てんだ。全く思い浮かばないのでさすがに私も起き上がった。
私を下の名前で呼ぶ男子なんて今のところこの世に存在しないけど?男子はみんな『木本』って呼ぶけど。
「そんな男子いない」と言いながらベッドから立ち上がった私に母は言った。「いやどっちにしろチイちゃん時間押してるよ」
慌てて枕もとのスマホを手に取るとホントだ!なんでアラーム鳴らなかったんだろ!
「なんで起こしてくんないの!?」
「高校入ったら自主性を重んじるって言いました。いいから早く下行って見てみて!」
だれだれだれだれ…
「いやそんな…男子で私を迎えに来る子とかいないって。なんて子?名前なんて言ってた?」
「聞いてないよ。聞いてたら言うって」
「は?なんで聞かないの?」
「朝から急にイケメンさんが迎えに来たからテンパった」
「…」
「いいからさっさと下行きなさいって」
言われて部屋を出ようとしたがダメだ。こんなパジャマにしているスエットで出て行けないよ。絶対に知らない子だし、間違って来てるんだろうに…
いやでも私の下の名前知ってたって言ってた…
えっ!もしかしてまさかの!?まさかのまさかのスズキ君!?まさかまさかまさか…嘘嘘嘘嘘… まさかと思って嬉しくなりかけたが、でもスズキ君は私の家を知らない。それに知ってても家まで来てくれたりは絶対ない。それでももしかしたらスズキ君じゃないかと望みをかけて、「その子ってこのくらいの、」と自分の頭の上に手をやって母に聞いた。
「このくらいの背の高さの、優しい感じの子?」
「違う。もっと背の高いモデルみたいなイケメンの子」
スズキ君のわけがなかった!じゃあ誰なんだ。
でもお母さんくらいの人たちって大概の子の事イケメンて言うよね。おばちゃんらからしたら若い子ってみんなイケメンに見えるんだよ。
「なんかよくわかんないけど…」と一応制服に着替えながら言う。「先に学校行っといてって言ってよ。そいでちゃんと名前聞いといて」
「自分で言いなさいよそんなこと」ムッとして答える母。
「だって知らないもんそんな子。間違ってうち来たんだって。私着替えてから下降りるからお願い」
母を部屋から追い出して着替えてから下に降りると階段の降り口で母が言った。
「なんかやっぱり待ちたいって言ったから外で待たせんの悪いなって思って。玄関の中で掛けて待ってもらってる」
「はあ!?」
ちょっと玄関の方を覗くとチラっと紺のブレザーの背中が見える。
「何勝手な事してんの!?」
「名前聞いたらキダ君だって言ってた」
キダ?
キダって誰だよ?そいつ絶対間違って来てるって。
「小学校一緒だったって言ってたよ」と母。
小学校一緒?え、キダって…
「中学引っ越して違うとこ行ってたって。それで高校また一緒になって嬉しいって。でも引っ越しの事情で昨日の入学式出れなくて、今日からなんだって。だから一人で登校しにくくて誘いに来たって言ってたよ。そんな子に先に行ってとか言えないって」
えええ…と驚いている私に母は続けた。「早くテーブルのおにぎり食べてホラ。待ってもらってるんだから」
キダって木田和己!!
え?キダカズミ?顔を向こうに向けてるから見えないけど、今うちの玄関にいる男子は背が高い。キダカズミは私よりちっちゃくて、子ザルみたいにちょろちょろしてたヤツだったけど…
「あ、ねえキダ君!」と玄関に向かって急に叫ぶ母にビクっとして反射的に身を隠してしまった。
「キダ君ちゃんとご飯食べて来たぁ?キダ君もおにぎり食べるぅ?」
あ~~…と言って振り向いた顔は、玄関の脇の窓から差し込む朝の光で微妙に見えにくくて、でも見覚えがあるようなないような…見えにくいなここからじゃ…何隠れてるんだろう私…
「ありがとうございます。でもオレ食って来たんで」
声もキダカズミと全然違う。
「じゃあ」と、さらにその子に声を掛ける母。
もう!お母さん止めて欲しいな!
「待ってくれてる間、中入ってお茶でも飲む?」
もう~~~~!何を勝手に言い出してんだ。
「あ~~いえ、大丈夫です」と答えるそいつ。「すいません。ちょっと早く来過ぎました」
「そんな事ないよ。来てくれてありがとう」
そう言って母が、今度は私に「ホラ何してんの早く!」と言う。
「急がないとキダ君まで遅れちゃうじゃん」
いやわけわかんないけど。
おにぎりをもしゃもしゃ食べながら小学生の時の事を考える。
あれはキダじゃないよね。あそこにいた子は背が高かった。声も違うし。それにキダカズミがあんなちゃんとした受け答えするわけない。
キダは実際小学校を卒業した春休みに県外へ引っ越して行った。
またこっちに帰って来たって事?高校一緒なの?確かにうちの制服着てたけど。…なんで私が同じ高校ってわかったんだろ…昨日の入学式も来てないらしいのに…
ていうか、そもそもうちまでわざわざ私を迎えに来る意味がわからん…一人で登校しにくいとか、絶対そんなキャラじゃないじゃん…むかしのキダと大きさが全然違うし、やっぱ顔をちゃんと見ないと…
いやでも顔をちゃんと見て、『はいじゃあ一緒に行こう』って、それでどうするんだろ。何話すの?久しぶりだねとか?
なぜ私を迎えに来た!?
おにぎりを急いで食べながら、また確認するようにチラっと玄関を覗いてみると母がキダの隣に腰かけて何か話し込んでいた。
母!!!
すごい打ち解け方するじゃん。まだ本当にキダカズミかどうかの確認も取れてないのに。
「お母さん!」
慌てて止める私だ。あ、キダまでこっち向いた。
「お母さん!いいから1回こっち来て!」
私の言葉に、私の方を指差しながら何かキダに言ってからこちらへやって来る母。
母め~~~!
「なにもう、早くしなさいよ」と母の顔は笑っている。
「何勝手に話し込んでんの!?止めてよもう!」
「何言ってんの?久しぶりに会う小学の同級生に、しかも迎えに来てくれた子に人見知り起こして、まだ『おはよう』もちゃんと言えてないくせに」
なんだと母め、私を人見知りな感じに産んどいて何を勝ち誇ったように言ってんだ。
「木本!」と、キダが私を呼んだのでビクっとする。
「はよ!」と笑顔のキダ。「もうそろ出れんの?」
わ~~~…やっぱあれ、顔が微かにキダカズミだ。
「あ、…うん。…おはよう。…ごめん待たせて」
「全然」とキダ。
うん、確かに。
確かにイケメンさん。ほんと、モデルみたいな感じになってるのがさらに怖い。キダカズミだけどキダカズミじゃないじゃんアレ。
急いで歯磨きをして手早く髪をまとめながら、今から本当に二人で学校に行くのかなとまた思う。ヤダな。何を話すんだ!?ほんとのほんとにキダカズミなの?
真新しい高校の鞄を持って恐る恐る玄関に向かうと、「はよ」ともう一回言ってにこっと笑うキダ。
あ、と思う。笑った顔が完全にキダカズミだった。