第八話 決意
僕の声に反応して男が振り返る。
痩せた頬、ボサボサの白髪交じりの頭、汚らしく伸びた髭。
男が汚らしい髭を触りながら笑っている。
その口から数本しか残っていない歯が見える。
え、誰?
「なんだぁ? おめぇ」
「すいません、人違いでした」
僕は速攻、謝って逃げだそうとする。
「おいおい、ぶつかっといてそれはないだろぉ? しかも、人ぉ間違って、ただで帰っちゃあいけねぇなぁ? 迷惑料、置いてってもらおうか」
やばい。このまま無事に帰るには金が必要らしい。
でも僕は何も持ってない。
どうする。
というか、なんでこいつが父さんの黒刀もってるんだ?
「迷惑料は払えません。というかその剣、盗んだ物ですよね?」
「おいおい、おめぇは馬鹿なのかぁ? それならどうするってんだ?」
やばい、スラム住人に馬鹿って言われてしまった。
「今すぐに、その剣を僕に渡すのなら騎士団には通報しないでいてあげますよ」
男はなにがおかしいのかクククと笑い、僕に黒刀を差し出してくる。
素直に差し出されて僕は少し驚く。
一悶着あると予想していたのだが……。
まぁみた感じ、こいつの戦闘能力は三流以下だ。
筋肉もあまりついていない様だし、魔法が使える様にも見えない。
この程度の相手なら、僕でも勝てるはずだ。
もしかしたら僕に勝てないと思ったのかもしれない。
差し出された黒刀を受けとり、立ち去ろうとしたところで顔をぶん殴られた。
いきなりの攻撃。
それでも少しは予想していたおかげで、直撃を回避。
なんとか、鼻血を出す程度で耐える。
黒刀も落とさず、握ったままだ。
男と少し距離をとり、睨み合う。
男の様子に注意しながら周りを見る。
狭い路地だが黒刀を振り回すのに支障は無い程度の広さはある。
町の中での殺人行為は禁止だったはずだが、ここはスラムだ。
おそらく衛兵はこない。
それはつまり、僕が殺されるかもしれない可能性があると言うことだ。
今のところ、周囲に男の仲間は居ない様だが、警戒しておくことにしよう。
黒刀を構え、男の様子を伺う。
僕の持つ黒刀を警戒してか、男は動かない。
いや、違う。警戒しているわけじゃない。
男は薄ら笑いを浮かべながら僕を観察しているようだ。
「お前、さっきおれを父さんと呼んだよな?」
「それがどうした」
「お前の父さんならさっきそこで豚とヤってたぜ?」
馬鹿な挑発だ。だけど僕の頭には簡単に血が上っていってしまう。
僕は黒刀を振り回し、男に接近する。
男を黙らせるために、殺すために、黒刀を振るう。
「黙れ! だまれぇぇぇ!」
男は僕の振るう黒刀を躱しながらも、言葉を止めない。
「あ、そういえばお前の母ちゃんな、よかったぜ~?」
僕は言葉で答える代わりに黒刀で男の頭を狙い、突きを繰り出す。
男は頭を少し傾げただけで、僕の攻撃を躱す。
突きを躱されたことにより姿勢を崩してしまう。
僕の顔に、嫌な笑みを浮かべた男の顔が近づいてくる。
男の臭い息が僕にかかる。
「もしかして、おれが本当のお父さんかもな」
頭の中で血管が切れていく音がする。
崩れた姿勢ながら、僕の握る黒刀が唸りを上げ、男の首を落としに行く。
男は笑いながらそれをたやすく回避し、距離をとる。
「お~怖、怖。それが本当のお父さんに対する態度か?」
「だまれ!」
「ん~? 反抗期の子供にはやっぱり鉄拳制裁が必要だな? で、その後には肉体で奉仕してもらおうか」
下品な笑いを響かせながら男が僕に接近してくる。
悠々と歩いて距離を詰めてくる男に対し、黒刀を構え警告する。
「それ以上、僕に近づくな。殺してしまいそうだ」
「んん~? それは俺がお前を殺すって事か?」
男は僕の持つ黒刀の前に立つ。
だが男は止まらない。
黒刀の切っ先が男の胸に軽く突き刺さり、血が垂れる。
「んん~? ほら、殺してみろよ」
もういい、こいつ殺そう。
僕は黒刀を握る手に力を込める。
男が黒刀の刃を握り、黒刀が動かなくなる。
「んん~? この程度の力しかないのにそんな口きいてたのかな~? 出来もしないことを言うのはダメだぞ」
男はウインクしながらそんなことを言う。
僕は黒刀を動かそうとしてさらに力を込めるが、男は笑うだけで黒刀は動かない。
「よ~し、じゃあ拳で語り合うか」
男はそういうと僕の手の中からたやすく黒刀を奪っていく。
父さんの黒刀が道の端に投げ捨てられ、金属音を響かせる。
「よ~し、いくぜ? 親子で殴りあい、熱いね~」
「だまれ! 僕の父さんはお前じゃない!」
男の右拳が僕の顔に突き出される。
僕は後ろに下がり、その拳を回避。
続けざまに放たれる左拳も後ろに下がって回避。
僕は、両方の拳を放って隙のできた男に、蹴りを繰り出す。
男の腹に僕の蹴りが刺さる。
男が呻く。
ざまぁみろ。
「あー……いってぇ! 調子にのんなよ、クソガキ!」
男は怒りの表情を浮かべ、僕に対し殺気を放ってくる。
だが紅竜の迫力に比べればこんなものなんでもない。
蹴りを入れた事で少し落ち着いた僕は男を挑発してやる。
「クソガキってお前のことか?」
「ってめぇ!」
男は僕の挑発に簡単に乗ってくる。
やっぱりスラム住人だけあって馬鹿なようだ。
男の大振りな攻撃を躱し、ジャブを打ち込んでいく。
決定打にはならないような攻撃だが、でもそれで充分だ。
僕は父さんの黒刀を取り戻せればそれでいい。
僕のジャブでよろけた男の隙を突き、黒刀の元へと走る。
黒刀を拾い、そのまま路地の先へ。
後ろで男が叫び声をあげ、追いかけてくる。
だが僕は建物の角を曲がり、さらに先へと逃げていく。
僕の正面に別の男が立ちはだかっている。
雰囲気からしてあの男の仲間のようだ。
どうするべきか。
挟まれての二対一はまずい。
引き替えすか? すり抜けるか?
後ろからさっきの男が角を曲がり、迫ってきている。
悩んでる時間は無さそうだ。
僕は覚悟を決め、目の前の男の横を通り抜ける事にする。
速度を上げ、一気に走る。
立ちふさがる男の横を通る。
攻撃に備え、男の動きに注意していたが何もされず、そのまま通れた。
仲間じゃなかったのだろうか。
すれ違う時、男がなにかを呟いているのが聞こえた。
魔法!
気づくのが遅かった。
僕の目の前に土の壁が出現し、止まりきれずに激突してしまう。
手から黒刀が落ち、路地を転がっていく。
魔法を使った男がそれを拾い、追ってきた男に話しかける。
「おいおい、カリプス。こんなガキに逃げられてんじゃまだまだだな」
「てめぇ、その剣は俺が拾ってきたんだ。返せ」
「そのガキぃやるから我慢しろ」
魔法を使った男は父さんの黒刀を持って、歩き去っていく。
カリプスと呼ばれた男が舌打ちをしながら僕に近づいてくる。
逃げないと……。
体が言うことを聞かず、うまく立ち上がれない。
よろよろと立ち上がるが足から力が抜けまた倒れてしまう。
壁に激突しただけだと思ったのだがどうやら同時になにかされたようだ。
カリプスが下品な笑顔を浮かべ、僕の胸ぐらを掴む。
そのまま僕は持ち上げられ、立たされる。
立ち上がった僕を見て満足気に嗤うカリプス。
その嫌な笑みに虫酸が走る。
カリプスの攻撃を辛うじて動く腕を上げ、なんとかガードするが、殴られる度に僕の腕に凄まじい衝撃と痛みが走る。
鈍い音が僕の右腕から聞こえ、今までにない痛みが訪れる。
どうやら折れたようだ。
まずい。このままじゃ殴り殺される。
なんとかしないと……。
なにもできないまま殴られ続け、僕の左腕も折れてしまう。
もう駄目だ。
顔をノーガードで殴られ、その衝撃に意識が飛びかける。
地面に倒れた僕に跨ってくるカリプス。
マウントポジションで殴られ、意識が飛ぶ。
飛んだ意識が次の一撃でまた戻され、さらに次の一撃で再び飛ばされる。
剛打の雨により、何度意識が飛んだかわからなくなった頃、僕の体を押さえつけていたカリプスの体重が無くなり、攻撃が止まる。
飽きたのだろうか、僕は助かるのだろうか。
瞼が腫れ上がったのか、狭まった視界の端で見覚えのある姿を捕らえる。
メグ!?
痛む頭を動かし、狭い視界でなんとか辺りを見る。
炎に包まれたカリプスが呻いて転げ回っている。
僕のすぐ隣からメグの声がする。
「シド! 大丈夫!?」
返事をしようとしたが、声が出せない。
喉に流れ込んでくる血を吐き出すのが精一杯だ。
メグの詠唱が聞こえ、僕の体から痛みがひいていく。
魔法すごい。メグがこんな魔法使えるなんて知らなかった。
ふらつきながらもなんとか立ち上がり、広がった視界で、辺りを見る。
カリプスが大声で熱さを訴えながら暴れている。
メグが小さく何かを呟くとカリプスを包んでいた炎が消えた。
メグが怖い声でカリプスを威嚇する。
「また燃やされたくなかったらさっさと行きなさい!」
カリプスはメグと僕を睨み、何かを言おうと口を開くが、結局なにも言わずに背を向けて去っていく。
曲がり角の手前で立ち止まり、カリプスが僕らの方を振り返り叫ぶ。
「クソガキィ、女に守ってもらっていい御身分だなぁ」
僕らの返事も反応も見ずに、嫌な笑いだけを残しカリプスがその姿を建物の向こうへと消す。
カリプスが戻ってこないのを確認した僕とメグは歩き出す。
まだ足がふらつく僕はメグに掴まりながら歩く。
スラムを抜け、清潔感の溢れる明るい通りにでた所で、歩きながらメグが静かに話しかけてくる。
「……ミラに聞いたよ」
「……そっか」
「私は、シドは強いと思う」
「……うん」
「シドのおかげで私は今も生きてられるよ」
「……うん」
「今朝、私のこと守るって言ってくれたのは嘘なの!?」
「……うそじゃない」
「じゃあどうして勝手に居なくなっちゃうの!?」
メグの叫び声。
驚いてメグの顔を見る。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。
「シドが、出ていく時、私と目、合ったよね」
「……うん」
「なんで無視したの? 私捨てられちゃうって思ったよ」
「……ごめん」
「シドまで居なくなったら私、どうしたらいいの!?」
不安が、恐怖が、メグの言葉に滲んでいる。
「ごめん」
僕は謝る。
今の僕には謝ることしかできない。
「もう、私の前から、勝手に、居なくなったり、しないで」
「わかった。ほんとにごめん」
僕の謝罪にメグは満足したようだ。
ぎこちないながらも笑顔を浮かべてくれる。
だけど、僕は考える。
メグと一緒に居て、僕になにができるんだろう。
僕はあんな三流の男にすら勝てない。
勝てないだけじゃない。
自分の身すら守れなかった。
メグが助けてくれなかったらあのまま無惨にも殺されていただろう。
そんな僕がメグの側にいたって足手まといなだけじゃないんだろうか。
絶望が僕を支配していく。
ミラの言うとおりだ。
僕は弱い。
勇気がどうこうの問題じゃない。
単純に僕は弱い。
“メグを守る”なんて僕は馬鹿だ。
僕の方がメグより弱いじゃないか。
その現実が僕の心に闇を広げ、染み込んでいく。
泣きたくないのに、堪えようとしても涙がでてくる。
泣くな、泣くんじゃない。
鼻の奥がツンとする。
駄目だ、もう涙を止められない。
メグに掴まったまま、できるだけ静かに泣く。
メグに泣いてるのを知られたくない。
そんな僕の気持ちを知ってか、知らずかメグの手が優しく僕の頭に触れる。
言葉はない。
だけどこの瞬間に僕は理解する。
なにもできなくたっていいんだ。
家族を失った僕にはメグが必要で、同じようにメグにも僕が必要なんだろう。
考えている間にも涙は溢れ続け、地面に染みを作っていく。
「僕は、強くなる。ちゃんとメグを守る」
自分の中から決意の言葉を絞り出す。
絞り出された言葉によって僕の決意はより、強固なものへと変化していく。
そして、その変化により、僕の涙は止まる。
僕は深く息を吸い、メグの正面に立ち、大きな声で宣言する。
「僕が、メグを守る!」
大声に驚いた通行人が僕らを見るが、人の目なんて気にしない。
僕には決意の表明が必要だ。
僕の真剣な眼差しに、メグは一度頷き、答えてくれる。
「お願い、します」
メグが頬を赤く染めながら言う。
可愛い。殺人的可愛さだ。
僕はメグを失いたくない。
絶対に守る。
だけどそれには実力が必要だろう。
ゲイルが頼れと言ってくれていたことを思い出す。
僕はミラとゲイルに頭を下げに、兵舎へと歩みを進める。