再出発
頬を伝う二粒の滴。
その感触で目を覚ます。
目の前にはアリサが居て、その後ろには青い空が見える。
オレは地面に倒れている様だ。
オレが現状を把握していく間に、アリサから落ちてくる滴はオレへと何粒も降り注ぎ、オレの頬を伝っていく。
その滴は暖かく、聞こえてくる声は謝罪の言葉だけを繰り返している。
その暖かさと声に、復讐を誓っていたオレの心はあっさりと毒気を抜かれてしまう。
「なに泣いてんのさ」
オレは目の前で嗚咽をあげて謝り続けるツインテールに向けて口を開く。
オレが目を覚ましたことに気づいてなかったのか、オレの声に驚いて、アリサは涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を手で隠しながら後ろを向いてしまう。
だけど振り返る直前に見えたアリサの手には魔法の巻物が握られていて、オレはアリサがそれを使用したことを知る。
「それ、使ってくれたんだね。ありがとう」
「当たり前でしょ! この馬鹿!」
アリサは顔を隠したままオレへと怒鳴る。でもその声には涙の色が滲んでいて、なんだかオレが悪いことをしたみたいな空気を感じる。
……さっさと回復しよう。
オレは自己治癒を唱え、自分の体を回復させる。
オレの体が淡く発光し、断裂していた筋繊維が繋がっていく。
光が消えると、オレは上半身を起こして体の調子を確認する。
腕を回す。よし、問題ない。
体を捻る。軽い筋肉痛のような、痛みが走り、オレは思わず顔をしかめた。
まだもう少し回復しておいたほうが良さそうだ。
オレは三度ほど自己治癒を発動させ、立ち上がる。
その場で飛び跳ねたり、足をあげたり伸ばしたりして調子を確かめていく。
よし、問題ない。
オレはアリサに声をかけようとして、止まる。
なんて声をかければいい?
治ったよ? もう大丈夫? なに泣いてんの?
どれも違うような気がして、オレは声をかけられない。 悩んで止まるオレにアリサの方から声がかけられる。
「こんな事になるなんて思ってなかった。……ごめん」
「いいよ。別に」
別に意識した訳じゃないのに、ぶっきらぼうな言い方になってしまう。
その言い方にアリサが反応したのを感じ、焦ったオレはフォローするために言葉を続ける。
「あ、いや、別に怒ってないよ。うん、ほんとに」
「ほんとに?」
「ほんとに怒ってないよ」
オレは身振り手振りを交えてなんとかアリサを落ち着かせていく。
少し会話して落ち着きを取り戻したのかアリサはぎこちないながらもいつものように振る舞ってくれる。
「じゃ、早く出発するわよ」
「いいけど、馬がいないよね?」
「馬が居ないのはロビンの所為なんだからロビンがなんとかしてよね!」
オレは、馬車の後方に見える小さくなった町へと戻ることを提案する。
「一回町に戻らない? それで馬を買ってから、再出発しようよ」
「ダメね」
だけどそれはあっさりと拒否された。
「な、なんで?」
「今更戻ったって馬は手に入らないだろうし、別れの挨拶したのにもう一泊するなんて絶対に嫌だからよ!」
オレは考える。
確かにオレも昨日の内に、シャロンとユキに別れの挨拶は済ましている。
ここで帰ろうものなら確実に「あれ? もう帰ってきたの?」なんて言われてしまうだろう。
それは恥ずかしいし、できることならそんな体験はしたくない。
でもそれならとるべき選択肢は一つだ。
進むしかない。
幸い、まだ太陽は頭上に輝いている。時間はまだまだありそうだ。
「じゃあ行くしかないね」
「そうよ!」
オレは馬車に乗り込み、アリサにも乗るように告げる。
進むのに魔導紐なんて使う必要は無い。馬が無いなら魔法を使えばいいじゃない。
大魔導師ロビン様の実力を見せてやろう。
オレは魔法を二つ詠唱する。
「不可視の壁よ、我と我の乗るこの馬車を守り賜え。耐風障壁」
オレは馬車を覆うサイズの盾の様に、耐風障壁を展開して準備を進めていく。
馬車の後方に魔力の壁ができたのを感じると次の魔法の詠唱を始める。
「我へと吹きつけよ。風」
詠唱が終わると同時に馬車の後方でオレの二つの魔法がぶつかり合い、展開されている障壁が緑の光を迸らせていく。
その結果として、オレたちの乗る馬車がゆっくりと進み始める。
二つの魔法は、見ていて自分でも惚れ惚れするほどの完成度だった。
風が強すぎればダメージを受けるし、障壁が強すぎれば馬車は動かない。
これはオレの絶妙な魔力のコントロールによる賜物なのだ。
速度を上げ続ける馬車の上から見る景色は高速で流れ、一瞬で変わっていく。
オレが一人、その光景を見ながら笑顔を浮かべているとアリサから声がかけられる。
「アンタさぁ……そんなのできるなら初めっからやりなさいよ」
「初めっていつだよ……」
オレが首をさすりながら言うと、アリサは魔導紐の件を思い出したのか黙る。
太陽が傾き、次第に目の前の物全てが夕焼けに染まっていく。
視界の端にオレンジ色に染めあげられた村を見つけ、オレは野宿せずに済みそうな事に少し安堵する。
アリサもそれに気づいたのか、さっきの会話の気まずさを隠すかのように疑問を口に出す。
「これ止まるときどうするの?」
「こうだよ」
前方近くに村が迫ってきた事もあり、オレは速度を落とし馬車を止めるために風魔法を消す。
オレの風魔法が消えると同時に障壁が緑の光を発しなくなり、風が止まったことを示す。
これで馬車は止まるはずだ。
だが馬車の速度が少し落ちただけで、止まる気配はまだまだ感じない。
それはオレにとっては予想外のことで、オレは焦る。
あれ、なんで止まらないんだ?
オレは原因を考える。
思いつく可能性はいくつかあるが、その全てについて考察している時間はなさそうだ。
「ねぇ、もうすぐ村よ!」
アリサの悲鳴に近い叫び声が耳元で発せられる。
オレが考えている間にも馬車は村へと突き進み続け、村の見張りの兵が慌てて警笛を鳴らすのさえ見える距離に近づいていた。
馬車と村を守る柵がぶつかるまで、もう時間は無い。
オレはしょうがなく考察を諦め、魔法の詠唱を開始する。
「我が命ずる。木として生を受けし物よ、その強固さを我へと示せ。硬質化」
オレの魔法が発動するのと同時に馬車は柵へと突っ込んだ。




