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見習い初日のまさかの客

 さすがに今朝は早起きした、正確には眠れなかった。

 今まで、『執事喫茶』にも行った事がなく、執事なんて映画やドラマ、もしくはアニメくらいしか観た事もなく、今近くにいる執事達はレベルが高すぎて真似もできず、なのに、なのにだ、今日から私は執事見習い・・しかも男として周りを騙しきらなきゃいけないのだ、眠れるはずもない。

 昨日深夜、チーが、できたわよ! と飛び跳ねるように部屋に持ってきた執事服は、アールやウーのように上着の裾が長くはなく、いわゆるスリーピースのような形なのだが、ちゃんと私の体に沿うようにウエストはシェイプされ、中に着る白いシャツの袖は逆にふんわりとボリュームをもたせ柔らかく、スタンドカラーの襟元にはエンジの細いリボンタイ、それをブローチで留めるようになっていた。

「多分初めは上着は着ないかもだから、ブラウスの袖、工夫してみたのよ。それからそのブローチの石はトパーズ、レイの誕生石よ。」

 そう言ってチーは微笑んだ。

「私の誕生日知ってるの?」

「十一月十一日でしょ、不動産屋さんの書類に書いてあったもの。」

 チーの答えを聞いて納得した、一度見れば覚えられる日にちだものね。

 そしてリボンタイと同じ色で少し太いリボンを渡された、これで髪を後ろでまとめる。

 チーはまとめさせてと言ってリボンを持ち後ろへまわった。

「あの、このブローチ高い物なんじゃぁ・・?」

 私が遠慮がちに聞くと、チーは手も止めず、

「それはそんなに高い物じゃないわよ、イーがつけてるダイヤのブローチの方がずっとお高いわよ。一流の執事は一流の物を身につけて一流の主人に仕える。これ基本! ねぇ、レイの髪、真っ直ぐで長くて綺麗な黒髪ね。アールは長いけどウェーブのかかった金髪だし、ウーは長いストレートでも濃い茶色だし、そうそうずっと昔、スウは長いストレートの黒髪だったわね。ハイ、出来上がり。この髪型でいいでしょう。」

 と、喋り終えた。

 ブローチの値段は決して聞くまい。


 顔を洗い髪を梳かし、昨夜用意してもらった服に着替え、梳かした髪をリボンでまとめた。黒いスーツのせいか締まって見える、白い手袋はポケットにしまい、今日はみんなより先に席につくぞとダイニングへ小走りに向かった。

 予想に反し、またリュウとチー以外はもう席に座っている。

(しかもなんで? みんな執事の服じゃない、イー以外はゆる〜い格好をしてる。)

 そのイーですら白いシャツの襟元のボタンを外し、当然リボンタイなどしていない。

(あれはイーの普段着なんだ。)

 サンにいたっては半袖のTシャツに五分の綿パンツだ。

(十二月だぞ!)

「気合入ってるねぇ、レイ。あのね、ここ空調管理されてるから十二月でもこの格好OKなの。イーは普段着もきっちりした服しか着ないし、他はゆる〜い格好だけどね。」

 サンが言う。

(しまった! また見られた。)

 確かに昨日も仕事の時以外はそれぞれ自由な服装をしていた。

(気合というより舞い上がってました私・・)

 着替えに戻ろうかと迷っている私に、イーが、

「おはようレイ、気合でも舞い上がりでも構いませんから席につきなさい。まぁとりあえず格好だけは執事らしく締まってみえます。」

 と、言ってくれ、私はみんなに挨拶していないのに気づき、おはようございますと言ってから席についた。

 すると朝食を運んできたチーが私を見るなり、運んできた物をテーブルに放りだし駆け寄ってきて、

「ちょっと立ってみて。」

 と、言い、椅子の横に立たされ前から横から後ろからと総点検を受ける。

「三重丸よ! やっぱり上着、短めにして正解だったわぁ。背が男性より低いから裾の長いフロックよりスッキリみえるのよ。ホント・・」

 まだ続きそうなチーの言葉を遮るようにイーが、

「チー、スープが冷めますよ。」

 と、言い、私はやっと解放された。

 立ったままの私にスウが、座れば、とだけ言う。

 そして朝食の後はイーの特訓が待っていたのだ。

 イーの執事としての特訓はきつい、彼らのレベルの高さは容姿だけではないことを再認識した。フラフラの私を見ながら少し笑い、ウーがイーに、

「お出迎えの準備が整いました。」

 と、言った。

(いよいよオープンだ。)

「先程も言いましたが、ここはお嬢様やご主人様方がお帰りになられる屋敷、オープンではありません。」

 イーに見られて叱られた。

 しばらくはスウの後ろをついていき、あとはスウの指示に従い、勝手にひとりで行動はしないこととイーに命令された。チーが言ってた通り上着はなしだ。

 スウが動くまではフロアが見渡せるカウンターの中で、執事の動きやお嬢様方の様子をしっかり見ているように言われた。

 次々お嬢様方は帰ってこられ、立っているだけなのにすごく緊張してくる。

 パントリーからスウが出てくるとカウンターの横にきて、行くぞと私に言った。

 とうとう声を出さなくてはいけない、入口の扉をウーがスッと開ける。

「お帰りなさいませ、お嬢様。」

 ウーとスウが同時に言い頭を下げた、私も一緒に頭だけ下げる。

 お帰りになられたのはふたりのお嬢様、二十四、五歳位だろう、もう、ウーとスウを潤んだ瞳で見つめている。

 執事ふたりがお嬢様の後ろからコートを脱がせ、バックと荷物を持ち席へエスコートし、それぞれが椅子をさっと引くと、お嬢様が座る寸前に少し押し丁度良い位置にする。

 席の近くに備えられている台の上に荷物をそっと置くと、引き出しからシルクの布を出し置いた荷物にふわりと掛けた。完璧だ!

 スウが私を見て、

「レイ、お嬢様のコートをお掛けしてきて下さい。」

 と、言い、ふたり分を手渡す、私は初めて声を出した。

「かしこまりました。」

 心臓がドキドキいっている。

 カウンターの横、パントリーとは反対側のワードローブにコートを掛け、アルファベットの札を掛ける。完璧か?

 戻ってきたスウが、

「お嬢様が、新しい執事かとお聞きになられたので挨拶に行くぞ。」

 と、言う、お嬢様のもとへ私を連れて向かいながらスウは小声で、

「何があってもうろたえるな! 相手が何を望んでいるかだけを考えろ! あとは俺がフォローする。」

 と、言った。

(そう、私はもう何も怖くないはず、なんせ死神がついてくれているのだ。胸を張れ、いや、胸はダメだ。)

「余計な事を考えない!」

 すれ違うイーに小声で叱られた。

「お嬢様、本日より執事としてお仕えいたします、レイでございます。レイ、お嬢様にご挨拶を。」

 スウに促され私は一歩前に進み、

「レイと申します。ご用がございましたら何なりとお申し付け下さいませ。お嬢様のお役にたてるよう誠心誠意がんば・あっ、つ・・努めます。」

 失敗・・でも一応挨拶してから一歩さがった。お嬢様ふたりはクスクス笑っている。

「レイって可愛らしいわね。」

「色白で長い黒髪が綺麗だから、着物とか似合いそう。」

 ふたりは好き勝手に言っているが、とりあえず女だとはバレていない、しかし疲れる。

 そこにウーが、ランチのスープを運んできた、

「本日は、牛蒡のポタージュスープでございます。」

 私は軽く頭を下げてから入れ替わった。

 カウンターの中でしゃがみこみたい気持ちを抑え、立っている私の横にサンが来て、

「気に入られちゃったみたいだね。」

 と、笑う。

(あれで気に入られてるの?)

「気に入らなきゃ目も合わせてくれないよ。」

 説得力はある。

 またお帰りの方が・・なぜすぐ分かるのかウーがもう扉を開けかけスウも迎えに立っていて、私の方を見てすぐ来いという顔をした。

 私も慌ててカウンターを出ようとしたその時、開けられた扉から入ってきた女性、いや、お嬢様と一緒の男性を見て、そのままその場にしゃがみこみ隠れてしまった。

「シュウ!」

 一週間前仕事を無くし、三日後いきなりの電話だけで別れた元彼だ。しかも連れているのは確か私がクビになる一ヶ月ほど前に新たに派遣された、かもえみ、じゃないか・・クビも別れも、すべていっぺんに理解できた。

 えみは愛嬌があり甘え上手で、派遣されてきてすぐに会社の男性陣から支持された、私も色々仕事を教え同じ派遣仲間と歓迎会までしたのだ。もちろん私の送別会はなかった。

(あのふたりいつから付き合っていたんだ? えみは私とシュウのこと知ってたの?)

 立ち上がれなかった。

 席まで案内し終えたスウが、私のところに来て、

「なぜすぐ来ない! 何してるんだ!」

 と、怒っている。

「ムリだよ、スウ。今、レイは、後輩に彼氏を寝取られ仕事も奪われた悲劇のヒロインだから。」

 サンが代わりに答えた。

「なんだそれ?」

 スウが言うと、笑顔を各テーブルに投げかけながら、ちょっと早足でカウンターまでアールがやって来て、

「レイ、心ん中飛ばしすぎ。とにかく見つからないようにパントリーに入って。」

 私はフロアに背を向け中に入った、私の背中を隠すようにスウとアールが後ろにいる、中にはすでに腕組みして立っているチーがいて、

「なんて酷い男なの!」

 と、怒っている。

 リュウが丸椅子を私の横に黙って置き、チーが肩を押さえ座らせてくれる。

 私達の動きに気づいたイーが、荒っぽく扉を開け入ってくると、

「忙しい時に何をしているのです! チーは料理を早く作り、君達はそれを早く運ぶ!」

 と、命令する、しかしチーが、

「もちろんお料理は作ってるわよ、でもこのままじゃレイがかわいそうでしょ!」

 と、目尻を拭う。

「分かっています。レイ、今日はもうフロアには出なくてもいいです、チーとリュウの手伝いをしなさい。」

 はいと返事をして立ち上がろうとすると、

「ダメよ!」

 と、チーにまた肩を押さえられ座らされた。

「何を言っているのです、チー、どうするつもりです。とにかくアールとスウはフロアに戻りなさい。ランチにお帰りの方はもういらっしゃいませんが、今おられる方々の料理とドルチェ、お茶の用意があります。」

 イーの命令が出るとチーがまた、

「ダメ! スウは残って。」

 と、言い、何か考えている。呆れるイーにアールが、

「チーがあの顔してる時はもう誰も止められないよ。諦めて任せるしかない。僕がスウの分フォローするから。」

 と、言い、

「チーの分は僕がフォローします。」

 と、リュウも言う。

 イーは、リュウまで言ったことに驚きながらチーに、

「何をする気か知りませんが、皆が切られているカードのことを忘れないよう。無理やりレイをここにとどめた意味がなくなるようなことは私が許しません。いいですか!」

 と、言い、アールとフロアに戻った。戻る時アールは、

「あ〜あ、相手役、僕がやりたかったなぁ。」

 と、訳の分からないことを言い残した。

 そしてチーはスウを手招くと、何やら耳元で囁いた。

「なんで俺がそんなことしなきゃならないんだ! 他の奴に頼め! アールの方が適役だろ!」

 スウはチーに言い、フロアに戻ろうとした、

「アールじゃダメなの、リアルさに欠けるし、だいいち色物すぎちゃあの男、バカにするかもしれないわ。お願いスウ、あなたなら今のレイの心、分かるでしょ。」

 スウは足を止め、

「俺はあのふたりを出迎え席まで案内してるぞ、大丈夫か?」

「大丈夫。バカップルあなたのことほとんど見てないし、私が今からスウとレイを変身させちゃうから。」

 チーは嬉しそうに答え、何だかウキウキしているみたいにも見える。

 私達は二階の自分達の部屋へそれぞれ入れられ、その部屋をチーは行ったり来たりし、途中自分の部屋から色んな物を運び、私は抵抗する間もなく頭の上から足の先まで変えられたのだ、おそらくはスウもだろう。

 チーは、今からやろうとしている事を機関銃のように説明しながら、衣装替え、ヘアメイク、私には化粧まで、まったく手を止めずもちろん口も止めずやり終えた。

 鏡の中の私はいったい誰? と聞きたいくらい別人にみえる、着替え終え隣りの部屋から来たスウも、目の前の私に少し驚いているみたいだ。

「なんか似合わないよね私。」

 恥ずかしくて言うと、

「えっ、いや・・あっ、馬子にも衣装だな。」

 スウは慌てて言った。

 チーの筋書きを要約すると、大企業の二代目オーナーに見初められずっと求婚されていてこの度めでたく婚約。で、そのオーナーがスウ、見初められたのが私らしい。

(この筋書き大丈夫かぁ?)

「ふたりともいいわね、今から外へ出て店の入口から現れるのよ、みんなにはちゃんと伝わってるから。」

(みんなにっていつの間に・・)

 戸惑う私にチーは、

「スウに細かい筋書きや対応は伝えてるからレイはスウに従いなさい、スウを見てたら分かるからね。」

 と、言った。

「男に仕返しか?」

 スウが言うと、チーは言い切った。

「違うわよ、スウ、後悔させるの、逃がした魚は大きかったって。それに女をバカにするなってね。」

 スウとふたりいったん外に出た、

「寒っ。」

「大丈夫か? あいつコートを忘れてる、俺はいいが・・」

「大丈夫。ここまで運転手付きの車で来たって設定ならコートなんて要らない。」

 私は笑った、スウも少し笑い、ほんの少し緊張が解けた。

 意を決し、私はスウの隣りに並び入口の前に立った。

「お帰りなさいませ、お嬢様。」

 ウーが扉を開けアールと一緒に頭を下げ、私達を迎えてくれた。

 顔をあげたふたりが私の姿に驚いているのが分かった、スウの咳払いでふたりは同時に、

「失礼いたしました。」

 と、言い、席へ案内してくれる。私のバックを持ってくれたアールがこっそり、

「やっぱり僕がやりたかったな、スウの役。」

 と、周りには聞こえないように言う、さっき言い残したのはその事だったのだ。

 店の中はなぜかあのふたりしかいない。

(まさか他のみなさんはもう帰られたの?)

 わざとアールは、ふたりのテーブルの手前で持っていた私のバックを落とした。

「失礼いたしましたお嬢様、あまりに素敵なバックで少し緊張してしまい手が・・」

 これ見よがしに拾い上げる。ブランド好きのえみが当然食いついた。

「ねえねえシュウ、あのバック最新モデルでまだ日本には入ってきてないし、かなり高いのよ、私も欲しい。」

 目の前のシュウに囁く、その言葉にシュウがこちらを見た。私の顔を見てものすごく驚きおもわず、

「麗!」

 と、声に出した、その一言に待ってましたと言わんばかりにアールが、

「お知り合いでいらっしゃいましたか、でしたらお隣りのテーブルをご用意させて頂きます。」

 有無を言わさずさっさと進行する気だ、シュウはかなり気まずそうな顔をしているが、えみは私の顔をあらためてじっと見つめると、

「新道先輩? ウッソ〜別人みたい。どうされたのぉ? えっ! まさかそちらの素敵な人、先輩の彼氏ぃ? ウッソォ。」

 一気に喋る。

(私の方が、うっそぉと言いたいわ!)

 するとスウが落ち着いた口調で、

「彼氏ではなくフィアンセだ。レイ、こちらのおふたりは君の知り合いかい?」

 と、私に尋ねシュウを冷たい視線で見ると、シュウも不機嫌な目になった。ふたりの間に見えない火花が散る、えみだけがお構いなしに、

「先輩いつ婚約したの? ねっ、フィアンセさんて何て名前?」

 と、聞いてくる。

 いよいよチー劇場開演だ。

 えみの問いに、なんて答えようと考えていたら、すかさずウーが、

「お嬢様ご存知ありませんか? こちらは中国のナンバーワン企業、ピエスドールの御曹子、スウ・レンファ様でございます。現在は二代目オーナーとして世界各国のグループ企業を束ねておいでなんですよ。」

 と、さらっと答えてくれた。

「へぇ〜そうなんだ、なんかスゴイ人と婚約したんだね先輩。」

 えみはそう言うと、チラッとシュウの顔を見た。

(私だってへぇ〜そういう設定なんだと感心してるんだから。)

 ブランド好きのえみはスウと私の洋服や装飾品、時計を、はじめにしっかり見ていた、そしてシュウと見比べていたのだ。

 スウが着ていたスーツも時計のブランドもなぜかシュウと同じだったが、あきらかに値段が違うことはブランド音痴の私でも分かる。これもチーの作戦だろう。

 しかもスウのスーツの襟元には、特注されたであろうダイヤのピンブローチがさり気なくつけられていた。チーの演出に手抜きはない。

 私はシルクのワンピースにショール、夜会巻きにした髪にスウのピンブローチとお揃いのピンを挿している。もちろんイヤリング、ネックレス、リングと、ご丁寧にいっさい手は抜かれていない。

 えみが何を対抗しようとしたのか、

「シュウも二代目オーナーなんだよ。」

 と、言い、

「やめろよ。」

 と、シュウは言ったが、えみはかまわず、

「私達も結婚するから一緒だね。」

 と、続けた。

(そうなんだ結婚するんだ・・)

 なんで私、沈んだ気持ちになっているんだ。

「おめでとうございます。シュ・・秀人さん、会社継がれたんですね。」

 笑顔を作った、するとスウが、

「レイ、俺に紹介してくれないのか?」

 と、言って、テーブルの上の私の手を握って微笑んでくれた。

「あっ、ごめんなさい。前にお世話になっていた会社の社長さんの息子さんで、野田秀人さん、こちらの女性は同僚だった加茂えみさん。」

 私は落ち着いて答えられた。

「俺がずっとプロポーズし続けていた時に、働いていた所だね。」

 この言葉には私も驚いたが、シュウはもっと驚いていた。

 自分と付き合っていた時に私が目の前の凄い設定のスウからプロポーズを受けていたなんて、信じられないだろう。

 しかもスウは、おそらく男性からみても格好いいはずだ。

 シュウの顔が曇った、えみだけが意地のように喋る。

「先輩ってシュウと付き合ってませんでしたっけ? 私一度シュウの携帯で先輩の写真みつけたことあって、シュウはすぐ消去してくれたんですけどね。」

 意地悪く笑った。

(やっぱりえみは知っていたんだ・・多分一度だけ撮った写真、私の携帯にはまだ残っている。)

「やめないかえみ! おふたりに失礼だろ!」

 シュウが怒ったので、ますますえみは意地になり、

「スウさんはまさかこの歳の女性が、今まで何もなかったとは思ってないでしょ。」

 と、聞き、私はなぜかいたたまれなくなり下を向いた、するとスウは私の頬を左手で包むようにしてそっと上に向かせ優しく見つめ、

「顔をあげてレイ。」

 低く静かな声に私はドキリとした。

「俺はすべて知っていた、あんなに俺のプロポーズに返事をくれなかったんだ調べたんだよ、ごめん。・・カモさん、同じ女性とは思えないですね、俺はレイのすべてを知り、そしてすべてを愛している。今もこれからも永遠に。」

 えみの顔が真っ赤になり、お化粧直ししてくると言い席を立った。

 えみがいなくなるとシュウは、

「すみません。あいつイライラしていて、多分俺が煮え切らないからです。年が替わったら正式に社長に就任する予定で、だから今すぐ結婚とか考えられなくて。あいつは麗・・新道さんと違い仕事はからっきしで早く家庭に入りたいんだと思います。」

 と、話した。シュウはちゃんと考えていたのだ。

「えみさんは仕事、からっきしなんかじゃないですよ。きっとあなたの支えになれます。」

 精一杯笑って私は言った。

「あ、ありがとう。」

 

 シュウは心の中で麗を失ったことを後悔していた、レイにはそんな心の中は見えない。

 洗面所の個室でえみは必死に携帯の検索サイトをつなげていた。

 その外ではチーがリュウに指示を出し、リュウはノートパソコンのようなもので何かを凄いスピードで処理している。

「ピエスドール、スウ・レンファ・・、検索っと。」

 えみの声が聞こえたのと、リュウがチーに完了しましたと言ったのは同時だった。

 えみはよほど腹が立ったのかスウの事を調べようとしていた、調べて少しでも言い返せることはないかと探るためにだ。

 本来ならヒットするはずがない。しかしチーはえみの考えをいち早く察知し、リュウにヒットするようデータを加えさせたのだ。

 リュウはドルチェ作り以外にこういうプログラミングやソフト面に強いらしい、と言っても、もちろん人間業ではない、神業ならぬ死神業で操作したまでだ。

 イーが気づいたら大目玉をくらうだろう、覚悟のうえの暴走だ。

「現在のトップスリー企業のひとつ。中でもピエスドールはヨーロッパ、アメリカ、アジア各国に多くのグループ企業を持ち実質トップといえるだろう。今のオーナーは二代目のスウ・レンファ氏・・・」

 えみは画面の文字を追った。間違いなく先輩の相手は凄い人なんだ、同じ社長夫人でも桁違いだと思い知った。その時洗面所の外から、

「お嬢様、ご気分でもお悪いのですか? 大丈夫ですか?」

 サンが声をかけた、隣りにはチーとリュウがいる。

「あっ、大丈夫、すぐ出ます。」

 えみが洗面所のドアを開け出てきた時には、チーとリュウの姿は無く、残ったサンはわざと明るく優しく、

「お顔の色が良くありませんね、本当に大丈夫ですか?」

 と、顔を覗き込んだ。えみはドキッとしたがそれよりも、今は早くこの店を出たかった、あのふたりのいる所へは戻りたくない。

 サンは当然分かっていたから言った、

「今、椅子をお持ちいたします。旦那様にもお伝えしてまいりますので。」


 えみがいない間、シュウは間がもたずおもわず私に、

「うちが派遣を切らなくても新道さんは辞めていたって事だね。正直、君は今までの派遣の中で一番仕事のできる人だったから。」

 と、言った、少し嬉しかった、何もかも否定された訳じゃない、仕事は認めてくれていたんだ。

 しかし、スウはクールな顔に戻ると、

「じゃぁなぜ、レイを辞めさせたんだ?」

 と、問い、私は慌てて、

「もういいの、会社としては色々あるのよ。」

 と、止めたが逆に、

「レイに聞いているんじゃない、オーナーとして、日本の企業のオーナーに尋ねているんだ。ピエスドールとは金貨のことだが、企業が大きくなればなるほど一枚の金貨を大切にしなければいけないと俺は思っている。札束を追うのではなく一枚一枚の金貨、それは企業を支えるひとりひとりの従業員のことだ。日本では違うのか?」

 スウの言葉にシュウの顔がみるみる変わり、

「そうですよね、日本であろうと、どの国であろうと、それを忘れた企業は遅かれ早かれ駄目になっていく。・・後で悔やんでも取り戻せない。」

 シュウはまるで自分に言い聞かせるように言った。

「新道さんは素晴らしいオーナー、いや、男性と出逢っていたんですね。」

 と、言うと、そこにサンが来てシュウに何か耳打ちをした。

「すみません。食事も終えていますのでそろそろお先に失礼します。えみに無理やりここに連れてこられたんですが、来て良かった。執事喫茶って男でも居心地いいもんなんですね。」

 と、笑った、するとスウは、

「ここは特別だ、俺のグループ企業のひとつだからな。」

 と、続けた。

(そこまで設定されていたんだ)

 と、私はまた驚いた、チー様に脱帽。

「じゃぁここに来たらまた会えますか?」

 と、聞くシュウに、

「多分無理だろう。中国に戻り後はヨーロッパ中心になるから、ここにはレイも俺もいない。」

 スウは答えた。

 シュウはえみと並び扉へ向かうと、ウーが扉を開けアールと一緒に、

「いってらっしゃいませ。」

 と、送り出す。

 外に出る寸前、シュウは私達の方を見て軽く頭を下げ、隣りのえみもペコッと下げた。

 重い扉が閉じられチー劇場は終演した。


 キッチンからチーが飛んで出てくると私を抱きしめ、

「偉かったわ、レイ、それに素敵だった。あんなカヌトンとは大違い!」

 泣きそうな顔で言う。

 その顔を見て私は一気に緊張が解けなぜか涙が溢れてきた。

「ありがとうチー。」

 そしてスウの顔を見て言った。

「ありがとうございました、スウ。」

「礼なんかいい。こんな役はこれが最後だ!」

 そう言って梳きつけられていた髪を手で荒っぽく崩すと、胸のチーフを引っ張り出しそのまま私に渡した。

 そのチーフで涙を拭い、もう一度お礼を言おうとした私の腕を掴むと、

「ちょっと来い!」

 と、怖い顔で引っ張っていく。

「スウ、どこ行くつもり? 怖い顔して。」

 小走りについてきながらチーが聞くが、それには答えず、ディシャップ台からキッチンにいたリュウに、

「データの転送保存を頼む。」

 と、だけ言った。

 リュウはそれだけですべて理解したみたいで、何かの端末機を片手に後に続く、スウは私を部屋の前まで引っ張って行き扉を開け中に入ると、

「携帯を出せ!」

 と、指示し、戸惑う私に、

「さっさとしろ!」

 と、怒鳴る。

 引き出しから携帯を出しスウに渡した。

 電源は入っていた、リュウが速い動きで端末機を操作し即座に、

「完了したよ。」

 と、言った次の瞬間、スウは私の携帯を両手で掴むと真ん中から真っ二つに折ってゴミ箱に捨てた。

「何するの! なんで壊すのよ!」

 叫びながらゴミ箱から拾おうとしたら、私の肩を掴み止め、

「拾うな! 安心しろ必要なデータはメモリー済だ。次の携帯にリュウがちゃんと転送してくれる。」

 みんなが私の部屋にいた、ウーが、

「不器用というか言葉が足りないというか・・スウ、レイは私達みたいに周りの心を見ることは出来ないんだよ、誤解してしまう。」

「知るか! 俺達もいつも心を覗き見してるわけじゃない。説明したければおまえがすればいい。」

 そう言い残し部屋を出て行った。

(もしかしてイーの指示?)

 頭をよぎった瞬間、遅れてやって来たイーが、

「こんな指示は出していません! だいいち君達はいつも私の指示すべてを聞いてはいないでしょう。サイトのデータの改ざんなど、もってのほか! 幕を張っていなければ危なかった。」

 かなり怒っている。

「ごめんなさい。」

 リュウが謝った。

「君が勝手にした事ではないでしょう。チーの暴走なのは分かっています。念の為幕を張っていたので大丈夫です。」

「さすがイー、ちゃんと幕を張ってたんだ。お疲れ様っす。」

 サンがおどけたが誰も笑わなかった、私の頭の中はまた混乱している。

(チーが言ってたカヌトンって? 幕って何? それに説明・・)

 チーが笑いながら、

「そんなとこから引っかかってたの、カヌトンって小鴨のこと、彼女カモさんて言ったでしょ、ちなみに大人の鴨はカナールよ。」

「幕はこの前、死神の髪で紡がれた包みのこと説明したでしょ、あれと同じ、ただ幕は包みのように目には見えないし、誰にでも簡単には張れない。たとえ張れても精度悪ければ意味ないしね。イーだから幕も超一級品だよ。」

 サンが笑う。アールがスウの行動の説明するよと言い、

「単純なことだよ、レイが心を引きずらないよう、さっきの元彼が携帯のレイを消去したように、レイのからも消去しただけだよ、ただやり方が乱暴過ぎるけどね。」

「本当に。さっきはアール顔負けの甘いセリフさらっと言ってたのにね。チーに指導してもらわなきゃ駄目だね。」

 ウーが笑い私は驚いた。

 ほんの一瞬、私が思ったことをスウは見て、ただ壊して終わりじゃなく次を考えリュウにデータを残させてくれた、それなのに私は何も分からず怒鳴ってしまい恥ずかしい。

「仕方ないわよ、スウは心を見せない。だから周りの心も無理に見ようとはしないのよ、青目族の死神には多いかも。レイが元彼の姿を見てカウンターに隠れた時、すごい心が私達赤目族には飛んできたの、だからアールはすぐに来たでしょ。ここではアールとサンと私が赤目、あとの4人は青目よ。」

 チーが詳しく話してくれた、次々の新しい事実に正直、頭は飽和状態だ。

 でもスウには謝ろう、いや謝らなくちゃと思った。今私が思ったことも見ていないだろうから。

「見ていないのではなく無理には見ないだけです。だから届いているかもしれません。相手の心が見えてしまうと辛い時もあります。新しい携帯は用意してあります、後で渡しますからリュウにデータは入れてもらいなさい。」

 イーが言った。

 みんなが部屋から出ていきひとりになると、もう一度考えていた。

 結局私はみんなに迷惑ばかりかけている、青目でも赤目でもそう死神でも、7人は私が今まで会った誰よりも温かく優しく強い。

 監視すると言いながら、まだたった数日しかたっていないけど、私は守られていると感じてしまう。

 イーが今日は部屋で休んでいいと言ってくれたが、私はシルクのワンピースをさっさと脱ぎ執事の服に着替えた。

 髪に挿していたピンを抜き、エンジのリボンをキュッと結び、執事見習いの出来上がりだ。

 ここが居心地がいいと言ったシュウの言葉を思い出していた、スウは、

「ここは特別だ。」

 と、言った。あれはセリフだったんだろうか? 私にはここは特別なんだと思える。

 部屋を出たら隣りの扉が開きスウが出てきた、もちろん執事の姿だ。私を見て、

「行くぞ。」

 とだけ言い背中を向けた。私は、はい! と答えその背中の後を追う。







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