まさか私が執事見習い
まさしく今より先、その言葉通りだった。
「レイ・・。」
(うんん・・もうちょい寝かせて。)
「レイ! さっさと起きなさい!」
(えっ、誰?)
私は飛び起きた。
目の前にはきちんとアイロンされた真っ白のシャツと、折り目がきちんとついた黒いズボン姿の男性が、眼鏡の奥から冷たい視線で私を見ている。
「あっ、イーさん、おはようございます。」
慌てて挨拶すると、
「君には緊張感というものがまったくないのですか? 貸したパジャマにも着替えず、食事の後そのまま寝たようですね。」
(怒ってる? いや呆れてる?)
私は笑いながら頭を掻いた。
(アハ、髪もぐちゃぐちゃだ。)
イーは聞こえるように大きなため息をついた。
「お言葉を返すようですが、昨日は私も色々あり過ぎて疲れきっちゃってて・・」
「そのわりにはよく食べていましたね。」
(だって美味しかったんだもん!)
「チーが聞いたら喜ぶでしょう。」
また読まれてしまった。冷ややかにイーに言われ、なんだかムッとして、
「それにいくら緊張感のない私でも、何が起こるか分からないのに、パジャマになんて着替えられません!」
「それはどういう意味です! 私達が君に何かするとでも? 天地がひっくり返ってもそれはない!」
今度はホントに怒っているみたいだ、どうしよう。
「緊張感がないのは認めるんだ。」
「僕は何かしちゃってもいいかなぁ〜。」
開けられていた扉の両脇で、サンとアールが順に言った。
「君達は黙っていなさい、ややこしくなる。」
「イー、もうそれくらいにしたら、彼女にとって色々あったのは確かなんだから。」
ウーが横から現れて言ってくれ、イーは納得出来なさそうだが諦め、
「さっさと用意しなさい。」
と、言い残し出て行った。
サンも後に続きアールはウインクしてから行った。
「イーはいつでも一生懸命なんです、私達7人のことをいつも考えてくれている、少々融通はきかないけどね。」
ウーは優しく笑いながらそう言った。
大急ぎで顔を洗い髪を梳かしダイニングへ駆け込むと、もう、チーとリュウ以外はみんな席についていた。
「おはようございます、遅くなってごめんなさい。」
私が大きな声で挨拶すると、
「おはよー、レイ。」
サンが言い、アールとウーもおはようと答えてくれた。
「おはよう、レイ、タオルとか置いてたの分かった? ほらそっちの席に座って、温かいスープを運んでくるからね。」
明るく言うチーに背中を押され、昨夜と同じスウの隣りの席で緊張していると、
「スウ、ちゃんと挨拶してあげなさい、緊張してるじゃない。イー、あなたもよ、眉間に皺ばかりよせてたら、ふたりともハゲちゃうわよ。」
さすがチーは強い、スウはチラッと私を見てから目も合わさず、
「おはよ、髪の毛ハネてんぞ。」
と、言った。
(ええっ、嘘っ!)
慌てて両手で髪を撫で付ける私に、
「レイ、食事が終わったら、スウ、サン、リュウと一緒に荷物を片付けに行きなさい。」
イーが言った。
指示は絶対らしい、命令なんだろうけどサン以外のふたりは不満そうだし、私もこの3人を連れて自分の住んでいた部屋に戻り、片付け荷運びは憂鬱だ。
仕方なくスウの運転する車で向かっているのだが、この車に帰り荷物が全部載るのだろうか? いくらひとり暮らしで荷物は少ないからって大丈夫なのか不安だ。
部屋に着くと玄関に、不動産屋さんが書類を持って待っていて、驚く私に、
「急なご引越しで大変ですね、でも、ご身内が倒れられて介護となれば仕方ありませんよね。おば様がお見えになって手続きは完了しております。書類はあなたにお渡しするように仰っておられましたのでお持ちしました。それではご入居ありがとうございました。」
と、言い、書類を手渡され帰って行った。
私は説明の途中、数回、はぁ。と言っただけだった。
「さすが、イーにチー、仕事が早いね。」
サンはそう言うと、私の手から鍵を取りさっさとドアを開けて中に入っていく。
黙ってスウとリュウも入っていき、結局私が最後に入りドアを閉めた。
「二十九歳といっても一応女の子の部屋だね。」
サンが部屋を見渡して言う、二十九歳だけ余計だ。
「とっとと片付けるぞ。サン、包みを出せ。」
「はいは〜い。」
「じゃ僕はキッチン周りの荷物を持ってきます、あまりお料理されてないようだからすぐに済むでしょう。」
(リュウって口数少ないのに棘ある、で、包みって何?)
スウが部屋の中央に布を広げた。
(えっ! 風呂敷ですか? 無理! 無理! こんなのに全部入るわけないでしょ!)
3人は次々その布の上に荷物を置いていく、不思議なことにどんどん置いても荷物は布に吸い込まれるように消えて、いくらでも置けるのだ。驚く私にサンが、
「この布は死神の髪の毛で紡がれてて、中身が神の目からは見えにくくなるんだ。絶対ではないけど、瞬時飛ばして移動させるくらいはへっちゃらだから。」
と、説明してくれた。
あくまでも私の存在を神に気づかせない為の策なのだろう。
サンがベッド脇の小物をどんどん置いていく、写真立てを掴んだ時思わず私は、あっ、と声を出してしまった。それは唯一残った両親との写真だった。
「どうしたの? レイ。」
と、聞くサンに私は、
「何でもない。」
と、答え、荷物をまとめ続けた。
仕方なかったとはいえ、あきらかに私のせいで7人に迷惑をかけているんだ。
スウがいちばん大きな荷物のベッドを布の上に置くと、すべては布に吸い込まれ消えた。
そして布を包み込むように結び、スウがそれを目の前に掲げ小さく何か呟くと包みはシュッと消えてしまった。
「じゃ、店に戻りますか。」
サンはそう言うと、またいちばんに部屋を出てリュウも続く。
昨日までここで暮らしていたのが遠い過去のように思えた。
部屋の真ん中に立つ私にスウは、
「ほら、包み忘れたから。これくらい自分で持てんだろ。」
そう言うと、あの写真立てを私に手渡してくれた。
驚いてスウを見つめる私に、
「迷惑とか考えるな、これは俺達のためでもある。もちろん監視はするがな。」
と、ぶっきらぼうに言った。
スウが運転する助手席で、私は両親との写真をしっかり抱いていた。
私の心の中、また見られていたんだ。
店に戻ると大変だった。
私の部屋には飛ばされた荷物が全部元の形に戻り中央に積まれていた。確かにこの部屋の方が広いけれどこれを片付けなくちゃいけない。
このままだとまたイーに絶対叱られる。
扉を開けその場に立ったまま、フラッとしている私の後ろから、
「結構荷物あるね、今日はランチ終了したら予約は入ってないからみんなで片付けよう。」
と、ウーが肩に手を置いた。
「あっ、ウー、僕より先にレイに触れた。」
アールも真っ白のフロックの上着を脱ぎながら、そう言ってやって来た。
「あの、お店はまだランチしていますよね。」
私が聞くとアールは、
「お料理はちゃんと運び終えてる、イーとスウが頑張ってるし、ドルチェはリュウが運ぶから大丈夫。」
(おかしい。だっていつも予約がいっぱいでなかなかとれないって言ってた、いくら平日でもランチ後予約ゼロなんて・・)
「あんまり考え過ぎない方がいいよ、美容の大敵。これ、チーの受け売りね。」
アールが笑う、そしてシャツの袖をまくりながら部屋に入っていった。
「アールの言う通り、でも気になる?」
私が頷くとウーは、
「イーが断ったんだよ、キッチンのメンテナンスとかなんとか理由つけてね。イーは超一級の執事だからフォローの仕方も心得てる、心配しないで。それに、アールが微笑んでウインクしたら誰も文句なんて言わないしね。」
と、笑う。
(死神ってこんなに優しかったんだ。)
「はいはい、今頃気づいたの。」
そう言ってサンが首のスカーフをほどきながらやって来て、そのスカーフで私の髪を後ろで結んだ。それを見たアールが、
「ウーもサンもまったく油断ならないね、僕のお株を奪うつもり。」
と、頬を膨らました。
「あっ、チーが女の子の荷物だから自分が仕切るって意気込んでたよ。だから大きい物から片付けちゃう。」
サンはアールの言葉を無視して言った。
みんなの優しい心に包まれドタバタの片付けも終え、とにかくチーのはしゃぎっぷりには皆閉口した。
さほどフリフリの可愛い物は持っていなかったのだが、小物や化粧品、アクセサリー、ひとつひとつに歓声をあげる・・疲れた。
少し遅めの夕食の時、イーが私とみんなに、
「早速ですが明日から執事見習いとして実際に働いてもらいます。教育係として、スウ、お願いします、ウーもフォローして下さい。よろしいですかレイ。」
「はい、分かりました。」
「教育係なら僕がするのに・・」
アールが言うと、
「君のは独特すぎてレイには無理です、それにレイは男として仕事し、生活してもらうと言いましたよね。アール忘れないで下さい。」
イーは釘をさした。
夕食を終え皆が席を立とうとした時、私は先に立ち上がりみんなにあらためて、
「今日はありがとうございました。私明日から一生懸命頑張ります。」
そう言うと、
「あんまり緊張しないで力抜きなよ、スウもウーも英国の執事の中でもダントツトップだからちゃんとフォローしてくれるよ。」
と、サンが言う。
そうなんだと驚いた。そう言えばウーが、イーは超一級の執事だって言ったのは、そういう事なのか。するとチーが近づき私の手をとり、
「レイにピッタリの執事服用意するからね、髪は、アールみたいに後ろでまとめればいいわ、リボンも用意しなくちゃね。」
と、ウキウキして言う。
「執事は楽じゃないぞ、覚悟しとけ。」
と、言いながらスウが、私とチーの横を通り抜けダイニングから出ていった。
「大丈夫よ、サンが言った通り彼らはちゃんと守ってくれる、だから安心して頑張りなさいね。」
そう言ってチーもキッチンへと消えた。
ダイニングには私とイーだけになり、まだ席に座っていたイーの横に行き頭を下げ、
「今日はありがとうございました、予約断って下さったって。」
「お喋りですね、執事は知り得たことを決して口外しないのが約束なのに。レイ、君の為にした訳ではないですよ。さっさと部屋を片付けて生活環境を整え、仕事を覚えてもらう為です。この店は君が知っている通り忙しいのです。」
イーはそう言ったが、心の中は見えない私でも、イーの優しい心は分かる。
(今夜寝る前に、もう一度荷物を調べてアクセサリーや女物は捨てよう、ここではみんなに迷惑をかけないよう男として頑張るんだ!)
「レイ、捨てる必要はありません。今は仕方がなくても、君がリストに載れば女性として人生を終えるのですよ。その時、人生の想い出が捨てられていたら悲しいでしょ。それから、迷惑なんて考えるなとスウに言われませんでしたか、これは私達7人の問題なのです。」
そう言ってイーは優しく微笑んだ。
明日から執事見習いスタートだ、まさか初日に彼が来るなんて考えてもいなかった。