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居酒屋の女子二人。

 私の頭上に吊るされた電灯は橙色の明かりを淡く灯して、私の影をテーブルに落としていた。テーブルにはビールと梅酒サワーの入ったグラスが一つづつ、食べている途中のだし巻き卵ののった皿と得盛りサラダが盛られたボールが並んでいる。

 それともう一つ、テーブルには友人の額が押し付けられている。

「なんで、なんで、落ちたの? 私はなにが駄目だったの?」

 消え入りそうなその友人の声は、騒がしい店内の中では余計に聞こえ辛く、聞き耳を立てておかないとタンポポの綿毛みたいに風で飛ばされてしまいそう。

 居酒屋の店内というものはただでさえ薄暗いのに、この場は雨雲に太陽を遮られてしまったかのように暗黒に染められている。

 それに、大雨まで降りだしてしまいそう。

 そろそろ、理由を聞いてみた方がいいかもしれない。

「ねぇ、それで何を落ち込んでるの?」

「試験、落ちたの……」

 友人は頬をテーブルにくっ付けたまま、対面に座る私を見上げた。その表情は悲壮感に覆われて同姓から見てもそれなりに可愛いと思える顔もぐにゃぐにゃに垂れている。

 これで、髪が黒髪で長髪だったら幽霊と間違えて悲鳴でも上げてしまいそう。ショートヘアで何よりと心の中で手まで合わせてしまう始末。

「へぇー、試験」

 相槌を打ちつつ、温くなるのも勿体ないと、梅酒を一口含み、喉を潤す。

「試験なんて受けてたんだ。初耳。どんな試験というか何の試験?」

「……なんでやねん基準監督官」

「ん? なんて? ナンデー屋根? 基準監督官?」

「違うよ。なんでやねん基準監督官」

 聞き間違いだろうか?

 なんでやねん基準監督官?

「なんかの資格?」

「……資格って当たり前、」

 と、言った途端、急にがばっと起きあがると、ビールグラスを一掴み、ごくごくと喉を鳴らして目一杯入っていたビールを一気に飲み干した。

 そして、隣を素通りしようとした店員を引きとめ、

「この店で一番強いお酒持ってきて」

 と、据わった目を向けて注文していた。

「えっと、その、その資格はどういった事ができるの?」

 私は情緒不安定な友人に怖さを覚えながらも、聞き慣れない資格の名に興味を憶え、おずおずと質問を投げかけていた。

「ねえ? ねぇ? どうして落ちたと思う? 体力測定は結構良かったはずなのよ。懸垂も400メートル走も上位だったのよ」

「ちょっと待って、酔うの早いかなー。まずは、私の質問に答えて欲しいなー。そうじゃないと話が入って来ないんだよねー」

「ん? 質問?」

「そう、質問。その資格はどういったものなの? って質問よ」

「どういったものってっ」

 そう言って、急に笑い出した。心底面白いのか腹まで抱えている。

「ははははは……もう、改まって言う事でもないでしょ? 弁護士は弁護士。警察官は警察官。なんでやねん基準監督官はなんでやねん基準監督官よ」

「え? え? 弁護士とか警官と同列? え? なに何なの?」

「あっ! 店員さんお酒頼んだんだけどまだ?」

「えっと、お酒ですか? 今お確かめしますね」

「ちょっと待って、お酒はいいから教えて? 弁護士と警官と同列の仕事なの?」

「早くしてねー、って何?」

「だから、弁護士と警官と同列の仕事なの?」

「何が?」

「その、なんでやねん基準監督官よ!」

「ああ!」

「思い出してくれた?」

「ねえ? 何で落ちたと思う?」

「え?」

「やっぱり、最後の設問の解答がおかしかったのかな? 胸にツッコミを入れる時は上から45度の角度で、当たる瞬間になんでやねんよね、普通? 間違ってなかった……あれ? まって? それはどないやねんだったけ? あれ? なんでだよ?」

「えっと何? 何の話? 待って、自問自答始めないで、私と対話して! なんでやねん基準監督官って何なの?」

「もう、だから」

 友人が口を開こうとした時、横からすっと手が現れる。

「お待たせしました。ウォッカストレートです」

「もっと待たせとけ!」

 急に怒鳴られた店員は、逃げるように去っていく。

「頂きます」

 友人はそんな事など気にもとめることなくテーブルに置かれたショートグラスを掴むと喉を鳴らした。

「効くねーあはははははは」

「効くねーじゃなくて、説明してお願い」

「説明って、だから」

 そこに店員が横を通る。

「お兄さん、お兄さん、これもう一杯!」

「は、はい! すぐに!」

 店員は怯えるようにこの場を去る。私の顔を見て震えてたみたいだけど、そんなに怖い顔をしていたのかしら。

「そんなことよりも、お願い説明を」

 両手を組んで祈るようにお願いする。

「説明? そう説明が大事よね。あそこの説明が不足してたのかも、尾行する手順についてもう少し細かく書いておくべき事だったのかも……私の馬鹿、馬鹿、馬鹿」

 友人はそう言って泣きだしていた。もう、私の声は聞こえていない。

「すいません。そこの人、なんでやねん基準監督官って知ってますか?」

 すがるように私は隣のテーブルで談笑を楽しんでいる男性に話しかけていた。

「え? なんでやねん基準監督官?」

「あはは……すいません。知りませんよね」

「いやいや、そんな誰でも知ってるようなこと聞かれたんで驚いたんですよ。知らないんですか?」

「え!? 知ってるんですか! 教えてください! 教えてください!」

 その男性の両手を掴んで、私は懇願していた。

「そんな潤んだ目で見なくても……えっとですね」

 そう口を開こうとした時、軽快な音楽が耳に届いてくる。

「あっ、すいません電話が、もしもし──」

 男性は申し訳なさそうに席を立ってしまった。

「……隣の彼方は知ってますか?!」

「怖いっすよ! 顔! そんな必死に……」

「いいから! 知ってますか!」

「ええ……まあ、もちろん」

「説明を!」

「えっとですね」

 そこに横合いから腕がそっと出される。

「お待たせしました。ポテトフライです」

「お前はもう込んでいい!」

「ごめんなさい!」

 泣くようにして店員はこの場を去る。

「お願い! 教えて!」

 男性に目線を戻すと、

「すいません。先にトイレに」

 苦しそうにお腹を押さえて席を立っていた。

「……お願いだから、なんでやねん基準監督官がなんなのか、誰でもいいから教えて!」

 いつしか、私は額をテーブルに押しつけて瞳から大雨を降らせていた。


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