第7話 灼熱都市
電園町の、丘の上。森を背景に、廃校が赤くなる。
太陽は今や、西の彼方に沈もうとしていた。
それがホログラフであると知りながらも、ちはるは大きく安堵した。
プレハブ小屋、おそらく体育倉庫だった建物の日陰から、真っ赤な雲を目で追う。
幻想的で、どこか寂し気だ。
猛暑の気配は、その峠をようやく過ぎようとしていた。
ちはるは、朽ちたベンチに腰掛けたまま、息をついた。
あと数時間、白昼が続けば、熱中症で倒れていただろう。
豊富なスポーツの経験から、ちはるはそう確信していた。
じぶんたちが住んでいる世界よりも、ずっと気温が高い。
さきほどまで、四〇度はゆうに超えていたはずだ。
となりでは、セシャトが立ったまま、今日のできごとをメモしていた。
汗ひとつかいていない彼女に、ちはるは驚きを隠せなかった。
「セシャトさん、まだ水持ってる?」
セシャトは黙って、ポケットから携帯用の水筒をとりだした。
水筒と言っても、まるでウィスキーを入れる小瓶のようだ。
ちはるはそれを受け取って、キャップを開けた。
ひと口飲む。生ぬるかったが、それでも気分が晴れた。
ちはるは水筒を返しながら、
「セシャトさんは、だいじょうぶ?」
と気づかった。
セシャトは、HISTORICAをいじりながら、
「エルフは、気温の変化に強いの。人間が生きられる範囲なら、平気よ」
と答えた。
そういう環境に巻き込まないで欲しいな、と、ちはるは思った。
タメ息をついて、
「このゲームの作者は、やりすぎだよ」
と、愚痴をこぼした。
セシャトは、HISTORICAから顔をあげた。
「やりすぎ? なにを?」
「いくら環境問題がテーマでも、これはおおげさでしょ」
「あら、おおげさじゃないわよ。放っておいたら、地球はこんな感じになるから」
ちはるはぎょっとして、
「ウソでしょ?」
とたずねた。
セシャトは肩をすくめた。
「ほんとよ。日本は春と秋が消えて、長い夏と短い冬だけになるわ」
「なんでそんなこと知ってるの?」
「あたしたちは、地球上の物語を監視してるの。人類がどういうふうに変化していくのかも、当然にモニタリングしてる」
ちはるは、なんだか不思議な気持ちになった。
ベンチにもたれかかる。
「ボクたちは、地球外生命体に心配されちゃってるわけか」
「人類を心配してるんじゃないの。物語を心配してるの」
「え、それってなに、人類が滅んでも、本が残ればいいってこと?」
「極端にいえば、そう」
ちはるは、あんまりおもしろくなさそうな顔をした。
けれどもそれは、ほんのわずかなあいだだった。
すぐにふっきれたような表情で、フッと笑った。
セシャトはそれを見とがめた。
「なにがおかしいの?」
「いや……どうせボクで末代だしな、と思って」
「マツダイ?」
「家系が断絶するってこと」
セシャトはけげんそうな顔をして──こう解釈した。
「事件を三回解決する、っていう条件が、簡単だとは言わないわ。生き返らなかったアドバイザーも、たくさんいたし……でも……」
「ボク、トランスなんだよね」
かすかに、かすかに風が流れた。
それが寒暖差によるものなのか、それともただの環境プログラムなのか、セシャトには判然としなかった。ただ、ちはるのひとことが、彼女のなかでリフレインしていた。
「……トランスジェンダーなの?」
ちはるは目を閉じて、うなずいた。
「そう。ゲイじゃないから、女の子が好き。だから子供はできないよね」
セシャトは、HISTORICAを握ったまま、しばらく逡巡した。
「……養子とか精子提供とか、いろいろ手はあるわよ」
「うん、そうだね」
ちはるの返しに、セシャトは自分のアドバイスを後悔した。
ちはるの態度は、彼女が──彼が、この問題をずっと昔から考えていたことを、如実に物語っていた。他人の深刻な事象に、安易な助言をすることは愚かだと、セシャトは自分の経験として知っていた。
あたりが暗くなる。校舎は闇に消えかけていた。
しんとした静けさが、あたりを覆った。それは夕暮れどきにありがちな、わびしさを超えて、より深いところで、一日の終わりを告げていた。
「じゃ、推理をしようか」
ちはるはそう言って、セシャトに席をすすめた。
セシャトはそこへ腰を下ろし、しばらくのあいだ黙考した。
「あたしたちは、ろくな情報を手に入れてない。ここでできる推理は、限られてる」
「そうだね。ボクらは現場をひとつも見てない」
だから、すぐ行き詰まってしまうだろう。
そう考えたちはるは、こんなことを口走った。
「キーテジって、どういう意味なんだろう?」
セシャトは、ちはるの横顔をみた。
「……なんで気になるの?」
「トトさんなら、こういうところから始めるかな、と思って。『この船の名前は、アカネさんが考えたんですよね? どういう意味なんですか?』って」
セシャトは、あからさまにイヤそうな顔をした。
「トトのモノマネなんか、しないでちょうだい」
「ごめん。でもさ、マニュアル通りにならないんじゃ、しょうがなくない?」
マニュアルが通用しないことは、セシャトも認めた。
というのも、アカデミーの教練では、まず情報を収集しろ、と書かれているからだ。
ふたりが一日中、炎天下を歩き回ったのも、ある意味ではマニュアル通りだった。
セシャトは嘆息して、
「たしか、アカネの妄想に出てくる船の名前よ」
と説明した。
「茜さんがテキトウにつけたってこと?」
「んー……究極的には、作者がテキトウにつけた、じゃない?」
たしかに、と、ちはるは思った。
作中に出てくる人物や道具の名前を考えたのは、だれだろう。
それはほかでもない、この世界の創造主、つまりは作者だ。
作者に訊いてみなければ、キーテジの本当の意味など、わからないだろう。
ちはるは降参して、
「じゃあさ、仮に犯人がエイリアンだった場合、倒せそう?」
とたずねた。
ちはるとセシャトも、やみくもに歩き回っていたわけではない。
そのあいだ、休憩時間などを見計らって、議論をかさねていた。
結論として、今回の事件には、三つの可能性が考えられた。
ひとつ、登場人物のだれかが犯人。
ふたつ、エイリアンが犯人。
みっつ、登場人物とエイリアンの犯行が入り混じっている。
ちはるとセシャトのあいだで、意見は分かれた。ちはるは、エイリアンが犯人なのではないかと、そう疑っていた。というのも、現場をだれにも目撃されていないからだ。登場人物たちは、地下に軟禁されている。おたがいに監視し合っている状態だ。そこでの犯行はむずかしい、というのが、ちはるの読みだった。
これに対して、セシャトは、登場人物のだれかが犯人だと考えていた。エイリアンが犯人なら、アドバイザーと検史官の死体が見つからないのはおかしい、とセシャトは言った。これにはそれなりの説得力があった。エイリアンが死体をわざわざ隠して、血糊などもふきとった、とは考えにくいからだ。
いずれにせよ、エイリアンが生きているのかどうか、そこに焦点が移った。
そして、仮に生きていた場合の対処法にも、ちはるは関心があった。
「どう? 倒せそう?」
セシャトは、くちびるを軽くゆがめて、
「地球の名作みたいなエイリアンは、ちょっと難しいかも」
と、物騒なことを言い始めた。
ちはるは天をあおいだ。
「準備不足過ぎるでしょ」
「本当は第八課の担当なのよ。あそこは重火器の使い方も慣れてるし……」
「なんでそのひとたちは参加しないの?」
「人員がいないから」
「ひとがいない? ……セシャトさんの話だと、警史庁って、大きな組織じゃなかった?」
千人以上のエルフが働いていると、そう聞いたおぼえがあった。
ということは、高校で習った知識に照らして、大企業ということだ。
セシャトはしばらく口ごもったあと、気まずそうに、
「同じ課から、行方不明者を立て続けに出せないの」
と、返した。
「え、それっておかしくない? そんな理由で交代してたら、犠牲者が増えるだけだよね。ボクらが死んだら、警史庁は、どうするつもりなの?」
「二連続で検史官が殉職した場合、捜査はうちきりになるわ」
ちはるは、自分たちの置かれた状況を理解した。
大きく息をついて、
「前から気になってたけど、セシャトさんたちの世界って、そんなに善良じゃないよね」
と、半ば吐き捨てるように言った。
「ゼンリョウ?」
「いいひとばかりじゃないって意味」
ちはるは後頭部で腕を組み、寝転がろうとした。けれどもそれは、勢い任せのうっかりで、慌てて姿勢をもどした。ベッドではないのだから、背中が痛くなるだけだ。姿勢をもどした拍子に、両手をベンチについた。砂の感触。
ちはるは、セシャトの視線を感じた。
その瞳は、なにか言いわけを探しているようだった。
「あたしたちの課は、警史庁の中で一番弱いのよ」
「弱い? なにが?」
「政治力が」
ちはるには、その言葉の意味が、十全には理解できなかった。けれども、どこか自分の体験として、覚えがあるような気もした。心の奥底から、あるいは、これまで生きてきた十数年の記憶の片隅から、然りという声が聞こえた。
「……なるほどね、そういうことって、あるよね」
「ちはるちゃんも、経験アリ?」
「ボクは高校生だから、おとなみたいにどろどろした世界は、まだ経験してないけど……年収とか出世とか、そういう競争もないし……ただ、学校にもカーストみたいなものはあって、それってやっぱり政治なのかな、と思うことはある」
ちはるは、じぶんのクラスであったできごとを、ひとつあげた。それは、去年の文化祭だった。クラスで喫茶店をすることになった。役割分担があって、前日に準備するグループと、当日に運営をするグループと、あとかたづけをするグループとにわかれた。ちはるは、当日のグループにわりあてられた。執事のかっこうをして、給仕をするのだ。
「うぬぼれに聞こえるかもしれないけど……まあいいや、ボクは容姿については、うぬぼれてるよ。じぶんでカッコいいと思ってるし、じっさい女子にモテるからね。当日は執事役だったんだけど、これがめちゃくちゃ楽なわけ。座ってるだけでいいんだよ。お茶を運んだりするのは、ぜんぶほかのひとがやってくれるんだ。ボクは女の子と話してるだけ。かわいい子がいたら、ちょっと長めに話しちゃったりしてさ。売り上げも、けっこうな額をわけてもらったよ。ボクだけで一割くらいもらったんじゃないかな。でも、ボクがそうしたいってお願いしたわけじゃないんだ。クラスの話し合いのとき、勝手にそう決まってるの。女子がボクのことを推薦して、そういう楽な役回りにしてくれるんだ」
ちはるはベンチのうえで、体育座りになった。ひざをかかえる。
そこへ頭を乗せて、吐息をもらした。
セシャトは、
「で、ほかのひとからねたまれた?」
と、小声でたずねた。
ちはるは口ごもった。
良心がとがめたわけではなく、純粋にわからなかったのだ。
「どうだろう……男子のなかには、おもしろくないと思ったひとがいるかも」
「オタクくんとか?」
どうだろうな、とちはるは思った。
もしかすると、女子の一部からうらまれていたかもしれない。
メイド役をわりふるとき、明らかに容姿で決めていたからだ。
しかし、うらみとねたみは、別感情だとも思った。
ちはるは、
「……だれがだれをねたんでるかって、意外とわかんなくない?」
とたずねた。
「そう?」
セシャトさんだってそうじゃないか、と、ちはるはうっかり言いかけた。
セシャトはトトのことをねたんでいる。ちはるはそう確信していた。前回の事件で、セシャトがトトのことを語るとき、言葉のはしばしに、そういうニュアンスが感じられたのだ。例えば、トトのことを「頭がからっぽそうなエルフ」だと言っていた。一見悪口にみえるが、ちはるはそう受け取らなかった。というのも、ほんとうにバカにしているだけなら、初対面のひとにそんなことは言わないだろうから。トトが頭脳明晰でないことは、しばらく観察していればわかることだ。もしじぶんのクラスに、トトと似たような感じの生徒がいて、だれかに紹介することになったら、名前だけ教えるだろう。セシャトがトトを「頭がからっぽそう」とわざわざ言ったのは、悪印象を植えつけるためであり、悪印象を植えつけたくなるということは、好印象を持たれるのを恐れているからだ。つまり、セシャトはトトのどこかに、よいところを感じてしまっているのだ。それは、ねたみだろう。ちはるは、そう思った。
それとも、ここまでの推論が、すべてまちがっているのだろうか。四半世紀も生きていないちはるには、判断するすべがなかった。いずれにせよ、ちはるはこの話題をやめた。事件へと立ちかえる。
「今回の事件、動機はなんだと思う?」
セシャトも気を取りなおして、マジメに考え込んだ。
「そうね……正直に言うと、見当がついてない」
「キャラの暴走って、おかしな理由が多いの? 前回もわりと特殊だったよね?」
「いいえ、むしろ事件の九割九分は、単純。九課が担当している恋愛分野なら、当て馬の女性キャラが、ヒロインを殺しちゃうとか、お金持ちの王子様キャラが、遺産相続に巻き込まれて殺されちゃうとか、そんな感じ」
「愛憎とお金か……ま、そんなもんだよね」
セシャトは、さらにつけくわえた。事件の起きやすさは、作者が物語にどれくらいのトラブルを埋め込んだのか、それに比例する、と。
「もちろん、主人公とヒロインが一直線にむすびつくストーリーでも、事件が起こることはある。でも、それは例外。ほとんどのケースでは、登場人物のあいだにもともといざこざがあって、それが犯罪に発展するの。だから、ある意味では作者のせいだとも言える」
「人間は、物語のなかにこんな世界があるなんて知らないんだから、しょうがないよ」
ちはるは、人類を代表して弁明した。
「ちはるちゃんは、どうして動機の話を始めたの?」
「昼間、このへんを捜索してるとき、世界設定をいろいろ教えてくれたじゃん。『恋愛黙示録ラブマゲドン』の。タイトルからして、すごくふざけてるゲームなのかと思った。でも、作者は意外と、深い世界設定にしてるんだってわかった」
ジャンルは、恋愛シミュレーションだった。けれども、そういうゲームとしては、およそ興味をそそられなかった。まず、攻略対象が少なすぎる。しかも、その攻略対象が、まったく魅力的ではないのだ。ちはるはトランスだから、ヒロインが男性視点でどのくらい人気が出そうか、予想することができた。
「変に生々しいんだよね。リアルでもふつうにいそうだもん」
ちはるは、ひとりずつ評価をくわえた。
篤穂はとにかくワンマンで、じぶんが中心でないと気が収まらないタイプ。
遊花は逆に、めんどくさいことが起こらなければ、あとはどうでもいいタイプ。
サクラはクラスにひとりはいそうな、他人の顔色ばかりうかがっているタイプ。
セシャトは、なんとも言えない表情で、
「つまり、インディーズのネタゲーにしては、キャラ作りがリアル過ぎるってこと?」
と、確認を入れた。
「ボクの意見では、ね。茜さんを除いて」
「アカネだけ浮いてるのは、なぜだと思う?」
なぜだろう。その質問が、ただの好奇心ではないことに、ちはるは気づいた。もしこのゲームに手掛かりがあるとすれば、茜という奇妙な存在が、そうなのかもしれない。
けれども、作者の意図など、うかがい知ることなどできなかった。
ちはるは正直に、わからないと答えた。
「伝聞だしね。会ってみないと、正確には」
そう、会ってみなければ、わからないのだ。
それにもかかわらず、ちはるは心のどこかで、登場人物のだれとも仲良くなれないような、そんな気がしていた。