第6話 楽園へ飛べ
食事が始まった。機内食を温めて、それを金属製のスプーンでつつく。気のきいた会話もなく、艦内の状況について二、三、言葉をかわしただけだった。ドクターは「腹が減ってない」と言って、自室にもどっていた。箕倉もじぶんのタッパーを手にとると、個室へ引きこもってしまった。篤穂とサクラも、入り口のところでタッパーを受け取り、ドアを閉めた。
ようするに、霧矢と茜とトトの、三人だけの食事だった。
「……」
「……」
「……」
あまりの気まずさに、霧矢は会話の糸口をさがした。捜査に役立ちそうな話題がいいだろう。そう考えた霧矢は、茜のそばに寄った。
「ねえ、茜さん」
「もう食べ終わったの?」
霧矢は、質問内容を頭のなかで反芻する。
「この船の発見者は、茜さんなんだよね?」
「そう」
だれから聞いたの、くらいは言われると思っていた。ところが、茜の口調からは、なんの動揺も感じられなかった。いずれにせよ、質問は放たれてしまっていた。言葉は取り消せない。
茜はスプーンで、ブロッコリーのかたまりをほぐし始めた。次の言葉を待っている、というそぶりですらなかった。霧矢が質問をひとつして、それで終わり、というようすだ。
「どうやって見つけたの?」
「たまたま」
茜はそれだけ言うと、先ほどのブロッコリーを口に運んだ。
テーブルマナーにあまり頓着しないのか、飲み込まないうちに先を続けた。
「たまたま、穴を見つけた」
ほとんど説明になっていないと、霧矢は思った。たまたまというのは、いかにも使い勝手のいい言葉だ。しかし、広大な自然の中で地下通路を見つけられる可能性が、どれほどあるだろうか。
霧矢は少しばかり、カマをかけてみた。
「どうやって目星をつけたの? 地図があったとか?」
「わたしはこどものころから、近所のゴミ拾いの手伝いをしていた」
いきなりあさっての方向から話がはじまって、霧矢はうろたえた。
「ゴミ拾い……? それと宇宙船にどういう関係が?」
「プラスチックゴミはね、海に流れると、魚や亀にめいわくがかかる。だから、近所の川のゴミをひろってた」
「……それで?」
「それで、穴をみつけた」
茜は語った。彼女が住んでいる田園町は、県道が通ってから、キャンプにおとずれるひとが増えた。ゴミを川岸に放置して帰るひとたちもいた。茜は、そのゴミ拾いをするようになった。ある日、いつものようにゴミ拾いをしていると、川の向こう岸に横穴をみつけた。不思議に思ってなかをのぞいてみると、花火が捨てられていたので、回収しようとした。すると、奇妙な幾何学模様のなかに――ヘルメットをかぶった、宇宙人のような絵があった。茜は、田園町にときどき、あやしげな光がみえるといううわさを思い出した。もしかすると、宇宙人ではないかと思った。念入りに調べてみると、幾何学模様のなかに、地図のようなものがあった。茜が世紀末クラブを立ち上げたのは、その地図を解読するためだった。
霧矢は困惑する。
「つまり……横穴の壁画を頼りに、みつけたってこと?」
「そう」
霧矢は、根掘り葉掘りたずねた。要約すると、世紀末クラブの調査の結果、地図と一致する地形が発見された。学校の裏山に、石を積み上げたようなところがあり、むかしから入ってはいけないと言われていた。そこに地下へ通じる穴があって、もぐるといきなり地震が起きたらしい。
霧矢は、他のメンバーが茜と距離をとっている理由を理解した。つまり、彼らは茜の好奇心のとばっちりを受けて、ここに閉じ込められてしまったのである。茜の善意は、彼らにとっては最悪な結末をもたらしてしまっていた。
茜は、じっと床を見つめた。
「……みんなにメイワクだった。ほんとうにごめん」
急に弱気になった茜に、霧矢は首をかしげた。
「どうして?」
「みんなにメイワクだった」
霧矢は、この場の状況を考えなおさざるをえなかった。どうやらこのメンバーは、霧矢が思っていたよりもずっと、統制が取れていないらしい。乗員の対立が見られるのも、これでは無理からぬことだとわかった。だとすれば、殺人の動機もそのあたりにあるのではないかと、霧矢は推理をすすめた。
「茜さん……みんなの事情聴取を許可してくれない?」
「じじょうちょうしゅ?」
霧矢は慎重に話を進める。
「ドクターから、遊花さんの件について聞いた?」
茜は、とても悲しそうな表情を浮かべた。
目もとをぬぐう。
「わたしのせい……ごめん……」
霧矢は、すこし言い方がよくなかったことに気づいた。
これ以上追及するのはよそうと思い、
「こっちこそごめん、でしゃばりだった」
と謝り、話題を変えようとした。
ところが、こんどは茜のほうから話をふってきた。
「ねえ、キリヤ……キリヤがキャプテンをしてくれない?」
霧矢は困惑した。
「ぼ、ぼくが? ……ムリだよ」
「キリヤは、なんだか頭がよさそう。みんなとも仲良くやってる」
「茜さんだって、ちゃんとやってるよ」
「だれもわたしの言うことを聞いてくれない」
たしかに、と霧矢は思った。
さきほども食事のまえに、茜はこのテーブルで食事をしないかと誘った。
だが、じぶんのタッパーを手にとった篤穂たちは、すぐに自室へと消えた。
つまり、茜が事情聴取を指示しても、だれも応じない可能性が高かった。では、霧矢ならできるだろうか。彼は内心で首を横にふった。霧矢が他のメンバーとトラブルを起こしていないのは、完全な部外者で、余計なことをしていないからだ。私生活でためてきたようなわだかまりもない。もし霧矢がなにか出すぎたことをしようとすれば、一斉に手のひらを返されるおそれがあった。
「……ごめん、新入りのぼくがやるのは、よくないと思う」
「……」
そこへ突然、篤穂が乱入してきた。
「それなら、あたしが代わりにやってあげる」
霧矢と茜は顔をあげた。
篤穂は腕組みをしたまま、やや小馬鹿にしたように、
「あんたたち、会話に夢中で気づかないなんて、エイリアンだったらどうしてたの?」
と、ふたりに視線を送ってきた。
霧矢はスプーンを置き、
「あ、篤穂さん、どうしたの、急に? 水をもう一杯飲みたいとか?」
とたずねた。
篤穂は鼻で笑った。
「水は節約しないといけないでしょ。それより、事情聴取をするの?」
「え、あ、うん……できれば」
「だったら、あたしが指揮をとるわ……茜、そろそろ交代しなさい」
茜は篤穂のセリフの意味が、理解できないようだった。
「こうたい?」
「そうよ、キャプテンを交代しなさい。ドクターに泣きついたんでしょ」
「交代してくれるの? ありが……」
「ちょっと待って」
霧矢はあわてて口をはさんだ。
篤穂は彼をにらみつける。
「待って、ってなに?」
「茜さんはマザーに選ばれたんだよ。キャプテンがふたりはマズいんじゃないかな」
「だから、それを交代するの」
霧矢は眉をひそめた。
「……どうやって?」
「茜が立場を放棄すればいいじゃない」
それは考えていなかった。霧矢はおのれのうかつさにあきれた。
だが、そのあきれは、すぐに焦燥感に変わった。
茜が犯人である可能性は低い。彼はそう考えていた。
犯人である可能性が低い人物に、キャプテンを続けて欲しかったのだ。
完全な打算だったが、背に腹は変えられないと、霧矢は思った。
「……やっぱり茜さんのままで、いいんじゃないかな」
「どうして? 理由を説明してもらえる?」
「……リーダーシップのある人物がキャプテンになると、かえって分裂すると思う」
このいいわけを口にするのは、霧矢にとっては心苦しかった。
茜にはリーダーシップがないと、間接的に言っているようなものだからだ。
ただ、篤穂のことをすこし持ち上げておく必要性も感じていた。
案の定、篤穂は霧矢の発言を悪くとらなかった。
「つまり、ぐだぐだしてるから平和が保たれてる、って言いたいわけ?」
「うん、そうだよ。これだけ意見がバラバラなメンバーが、このコックピットで共同生活をできているのは、なにも決めていないからじゃないかな。それぞれの行動に介入を始めたら……ちょっと揉めるかも」
必死に思考をめぐらせて出した弁解は、功を奏した。
篤穂も、じぶんが全員の承認を得られていないことに、自覚があるようだった。
視線をそらし、トトにいきなり話しかける。
「そこのあなた……名前はなんだったっけ?」
「と、トトです」
「トトさんは、茜とあたしのどっちが、キャプテンに向いてると思う?」
マズいな、と霧矢は感じた。
トトの気が弱そうなところが狙われている。
ところが、霧矢の心配をよそに、トトは即答した。
「あ……アカネさんだと思います」
これは篤穂にも寝耳に水だったらしく、はっきりと動揺の色が見てとれた。
「あなた……本気で言ってるの?」
「はい、本気です」
「理由は? ちゃんと言える?」
「アカネさんは、みんなのことをちゃんと考えています」
篤穂は大きく息をつき、忌々しそうにきびすを返した。
「わかったわ。勝手にしなさい。その代わり、あたしも勝手にさせてもらうから」
篤穂はそう言い残して、個室に消えた。
霧矢はそれから食事を終え、三人であとかたづけをした。
だれも個室から出てくる気配はない。
昼とも夜とも区別のつかない宇宙区間だったが、おそらくは就寝時刻なのだろう。
霧矢はここへ来てからの活動時間を計算し、そう判断した。
三人は、ならんで椅子に座った。
やや気まずい空気が流れていた。
ところが、それを破るように、トトが口をひらいた。
「この船の名前は、アカネさんが考えたんですよね? どういう意味なんですか?」
茜は、ちょっとぼんやりとした表情をうかべた。
「キーテジのこと?」
「はい、そうです」
「キーテジはね、わたしのおばあちゃんが教えてくれたんだ」
トトは、すこしばかりおどろいた。
「おばあさんが?」
「うん、おばあちゃんは、とってもやさしかった。わたしは大好きだったよ。だけど、去年死んじゃったんだ。すごく悲しかった。いっぱい泣いた。でも、おばあちゃんは生き返らないんだ。だから、おばあちゃんがお話してくれたことを、いっぱい思い出すことにした。だから、キーテジっていう名前をつけたんだ」
話が見えてこなかった。
霧矢は、もうちょっとストレートに聞き出そうとした。
けれども、トトのほうが対応が早かった。
「ということは、とってもすてきな名前なんですね」
茜は、パッと笑顔になった。
満面の笑み、ではない。満足げな笑い方でもなかった。
まるで魔法にかけられたような、ちょっと驚きのあるスマイルだった。
絶対に信じてもらえないおとぎ話を、信じてもらえたときのような。
「そうだよ。キーテジっていうのはね、北にあるとっても大きな国……名前は忘れちゃったけど、その国にある、すてきな町の名前なんだ。むかし、とてもやさしいひとたちのために、神さまが作ってくれた町なんだ。その町は、悪いやつらには見えない」
霧矢は、その物語に、どこか聞き覚えがあった。
念入りに記憶をたぐる。
そして、ある美術本で見かけた、絵画のことを思い出した。
「それって……ロシアの伝説?」
茜は、きょとんとした。
それからどぎまぎして、わからない、と答えた。
一方、霧矢はだんだんと確信を持ち始めた。
というのも、その絵画のタイトルが『見えざる町キーテジ』だったからだ。
モンゴル帝国の侵攻からのがれるため、キリスト教徒たちが作った町。
それは、とても不思議な街で、大きな船のかたちをしていた。帆が風をはらみ、白い雲の下を、ゆっくりと、どこまでもゆっくりと進んでいく。甲板には、逃げ込んだ建物たちが──民家が、商館が、城砦が──くだものかごのように色とりどりに、並んでいるのだった。空は青く、水も青く、船は水平線を見つめながら、人知れず、だれにも記憶されず、ただ信仰だけをともなって、流れていく。そんな絵画だった。
茜は、
「き、キリヤは、それがどこにあるか、知ってるの?」
と、興奮気味にたずねた。
霧矢は、架空の街だよ、と答えかけた。
けれども、茜の期待に満ちた視線に射すくめられて、言葉が止まった。
「たしか……ヴォルガ川の近くにあるんじゃないかな」
「その川は、どこにあるの?」
霧矢は正直に、わからないと答えた。
ロシアの正確な地理を、おぼえていなかったからだ。
茜はそんなことには頓着せず、急に言葉をつむぎ始めた。
「おばあちゃんは、その町のひとたちを、見たって言ってた。その国に行ったことがあるんだよ。おじいちゃんが、そこに住んでいたから。キーテジはね、黄色くて青くて赤くて、虹みたいな町なんだ。みんな仲が良くて、歌ったり、おどったり、すごく楽しそうだったって」
興奮した茜は、急にトーンダウンした。
視線がテーブルに落ち、手が不自然に宙をさまよう。
「だから、そんなすてきな町があれば、わたしがイ……イヤなことがあったとき、ポチといっしょに、こっそり隠れて……怖いひとたちがいなくなるまで、待てると思ったんだ。わたしはやさしくないかもしれないけど……宇宙に住む、とてもやさしいひとたちが……わたしとポチに、もう怖くないよって、そう言ってくれる気がしたんだ」
沈黙。
かすかな電子音だけが、コックピットに響きわたる。
茜はよろこびとも悲しみともつかない表情で、ひとりうなずいていた。
すると、トトは、
「ちょっと遊びませんか?」
と提案した。
その提案は、この場の雰囲気にもかかわらず、妙に溶け込んでいた。
茜も、また明るい表情になった。
「な、なにして遊ぶの?」
このコックピットには、遊び道具はなかった。
霧矢は、
「トランプくらいなら、即席で作れるかも」
と提案した。
トトは、チッチッチッとゆびをふってみせた。
「キリヤさん、それは遊びじゃなくて勝負です」
「……なにがちがうの?」
「ぜんぜんちがうじゃないですか」
霧矢には見当がつかなかったが、これ以上訊くのも野暮に思われた。
トトにすべてを任せることにする。
ところが、トトはトトで、茜に遊びを決めさせた。
「アカネさん、なにをして遊びますか?」
茜はすこしもじもじして、
「……お絵描きはダメ?」
とたずねた。
トトは笑顔になって、
「あ、いいですねぇ、お絵描き。木葉の衣装でいきましょう」
「いぶ……なに、それ?」
「まず、紙を用意します……キリヤさん、持ってます?」
霧矢は両手をあげて、持っていないことを示した。
そもそも手ぶらで来たのだ。
トトはすこし困ったようで、
「どこかに落ちてないですかねぇ」
とキョロキョロした。
すると茜が、
「お絵かき帳なら持ってる」
と言って、個室に一回もどり、またすぐに出てきた。
しかもクレヨンのセットまであった。
霧矢はこれをいぶかしんだ。こっそりとさぐりを入れる。
「茜さん……それはどこで手に入れたの?」
「これ? わたしが散歩のときは、いつも持ってる」
その返事に、霧矢はなんと答えたものか迷った。
「……どうしてスケッチブックとクレヨンを持ち歩いてるの?」
「きれいな場所で、お絵かきをするんだ」
霧矢は念のため、なにか絵が描いてあるかどうかチェックしたくなった。
「ちょっと見せてもらえる?」
茜は急に赤くなって、スケッチブックを抱きしめた。
「ダメ……恥ずかしい」
「どうして?」
「……みんなに笑われる」
「笑わないから、一枚でも……」
霧矢が手を伸ばそうとすると、トトに腕をつかまれた。
「キリヤさーん、アカネさんはイヤがってますよ」
「……ごめん」
霧矢は手を引っ込めた。
エルフが怪力なことは、霧矢も知っていたからだ。
今日のトトはやたら強気だな、と思いつつ、霧矢は様子見を決め込んだ。
トトは緑のクレヨンをとりだして、スケッチブックにあてた。
「いいですか、まず好きな葉っぱのかたちを書きます」
トトはすらすらと、ありきたりな広葉樹の葉を描いた。
それはお世辞抜きでうまかった。
「これに交代で絵を付け足して、ステキなドレスを完成させるんです」
「や、やってもいいか?」
「どうぞどうぞ」
茜は赤いクレヨンを手にした。
紙のうえに覆いかぶさるように猫背になって、うんうん考え込む。
「……ここにハート」
茜は不器用にクレヨンをうごかし、葉っぱの中央にハーマークを描いた。
トトはクレヨンを受け取り、じっと絵をながめた。
「なるほど……じゃあハートに翼をはやします」
トトは黄色を選び、ササッとペンを走らせ、ハートに羽をはやした。
ただ、それはさきほどの葉っぱの絵とちがって、やや曲がっていた。
霧矢は、トトがわざとヘタに描いたような気がした。
というのも、その筆致がさきほどと大違いだったからだ。
「すごい……かわいくなった」
「ですよねぇ。アカネさん、どうぞ」
こうして、ふたりは色を変えながら、どんどんイラストを進めた。
袖は宝石のかたちをしていて、裾は雲のかたちをしていた。
肩には星型のアクセサリ。靴は道化師で、まだない頭のうえには、お姫様のティアラ。
すべてがどこかぎこちなく、それでいて調和していた。