第1話 方舟救助命令
宇宙船の貨物庫に、四つの人影があった。みな防護服を着ていた。もしヘルメットのシールドをのぞきこむことができれば、それぞれのひとなりが、なんとなくわかったことだろう。
ひとりは、褐色の肌を持つ女エルフだった。彼女は警史庁第九課のエリート検史官、セシャトだ。そして彼女のそばにいるのは、凛々しい目鼻立ちの少女、九鬼ちはる。彼女は地球人で、セシャトのアドバイザーだった。アドバイザーというのは、検史官の手伝いをする者だ。検史官は捜査のプロだが、地球の文化に精通しているわけではなかった。それを補うための存在だった。そしてそれは、地球人の死者から選ばれた。正確に言えば、一度死んだ者を選び、一時的に生き返らせてやるという約束で、互恵的な関係を構築するのだ。ちはるは、高校の部活の事故で亡くっていた。
三人目は、金髪碧眼のエルフで、どこか頼りない雰囲気の女性だった。トト・イブミナーブル。今回の捜査に指名された、検史官のひとりだ。初めてみる宇宙空間に、不安の表情を浮かべていた。
そしてそのトトのそばに、メガネをかけた少年、霧矢十六夢が立っていた。優しそうな面影の少年で、やわらかな髪質の前髪の下に、透き通ったまなざしを持っていた。もっとも、彼のことを表面的になぞっただけでは、そのまなざしの光の具合に気づくことはむずかしかっただろう。霧矢もいったん死んだ身であった。あわてて来たのか、すこし寝癖があったものの、知的な感じは残っていた。
《みんな、ちゃんとつかまってる?》
セシャトの凛々しい声が、無線から聞こえてきた。
霧矢は宇宙服のなかで、オッケーと返事をした。
両腕でセシャトの宇宙服をつかみ、ゆっくりと前進する。
ここは宇宙船の発着場。霧矢たちはこれから、宇宙服ひとつで船外に出ようとしているところだった。ていねいにビス留めされた床、かたちだけ塗装されている壁、そして整然とライトの並んだ天井に囲まれて、彼らは出口へと前進する。
無重力というものがここまで不安定だとは、霧矢も思わなかった。
《セシャトさん、こわいですぅ》
べつの声が無線にわりこんできた。トトの声だ。
トトは霧矢のすぐうしろで、宇宙服の金具をつかんでいる。
さらにそのうしろには、ちはるが立っているはずだった。
四人はゆっくりと歩く。その先には、暗黒の宇宙がひろがっていた。
霧矢は無線をつうじて、セシャトに話しかける。
《なんで現場に直接転送してもらえないの?》
《物語には、入りやすい場所と入りにくい場所があるのよ》
だからと言って、宇宙遊泳をさせなくてもいいだろうと、霧矢は思った。
先頭のセシャトが、乗降エリアの端に到達した。
霧矢は遊泳のステップを念入りに反芻する。
《いくわよ、三、二、一、ジャンプ!》
セシャトは宇宙空間へとダイブする。
水泳のとびこみとはちがって、ひどくゆったりとしたダイブだ。
そのことがかえって、霧矢に恐怖をいだかせた。
霧矢も甲板を蹴る。ふわりと体が浮いた。そして、目のまえに広がった光景に、思わず感嘆の声をもらした。
《すごい……》
巨大な宇宙船がみえる。それはタンカーのような船体に、透明な天蓋を持っていた。その天蓋のなかには、ミニチュアのような山嶺が広がっていた。もし自然の箱庭を作るとすれば、こうなるのかもしれない、と霧矢は思った。それとも、隕石の衝突などを考えれば、あまりにも無防備だろうか。いずれにせよ、暗黒の夜空を背景に、その宇宙船は映えた。
セシャトはミニ加速器を使って、宇宙船の搭乗口をめざした。うしろの三人は、それにただ付き従うだけだった。宇宙船が接近するにつれ、天蓋のなかの建物や木々が、鮮明になっていく。霧矢はその美しさに息をのんだ。
《すごいな……ただの恋愛ゲームのはずなのに……》
セシャトは、隊列をたくみに誘導した。
宇宙船の船体が、間近にせまってくる。その迫力に、霧矢は息をのんだ。
搭乗口にたどりついたときは、心からホッとした。
シャッターがしまっている。セシャトはそばにあった端末を操作する。
すると、機械式の音声が、通信機を介して聞こえてきた。
〈船外から救難信号をキャッチ……ロックを解除します〉
シャッターが音もなくひらき始めた。ほんとうは轟音が鳴り響いているのだろう。宇宙空間では無音だった。セシャトは、シャッターが完全に上がりきったことを確認した。用心深く船内に舞い降りる。一番うしろのちはるが地面に足をつけると、シャッターは自動的にさがった。
《センサーで感知してるのかな?》
霧矢の質問に、セシャトが答える。
《おそらく、ね……まだヘルメットは取っちゃダメよ。窒息死するから》
それから数分間、霧矢たちはエリアの空調が完了するのを待った。
エリアのライトがオールグリーンになった。
スピーカーから機械音声が聞こえる。
〈エアコンディション、生存可能域に到達。防護服のとりはずしを許可します〉
先頭のセシャトは、ヘルメットを脱いだ。銀髪が流れ、褐色の肌がライトにかがやいた。
ほかの三人もヘルメットを脱いだ。霧矢はうしろのふたりを確認した。
真後ろにいるのは、金髪碧眼の美しい女エルフ、トトだった。
最後尾には快活そうな少女、ちはるが顔を出していた。
四人は防護服も脱いだ。セシャトとトトは、黒いコートに金ボタンという、やや軍服に似た制服を着ていた。ズボンと革靴も黒で、唯一色彩があるとすれば、コートのふちにある紫色の刺繍だけだった。セシャトはつばのないシルクハットのような帽子をとりだし、かたちをもどしてかぶった。形状記憶合金のワイヤーが入っていて、折りたたんだり広げたりすることができた。その帽子の中央正面には、金色の糸で、鳥のようなマークが縫ってあった。霧矢とちはるは普段着で、霧矢はチェック柄のシャツにデニムのハーフズボン、ちはるは長袖のTシャツにジーンズという出で立ちだった。
セシャトはふたりの服装を見ながら、
「もうちょっとフォーマルなかっこうはできなかったの?」
とたずねた。
霧矢はこれを、嫌味だと受け取った。
「道ばたでいきなり声をかけてきて、フォーマルな服装もなにもないだろ」
「ま、そっか……じゃ、今回の任務の確認からいくわよ」
セシャトはスマホのような通信機をとりだし、画面に触れた。
すると、ホログラフの3D地図が浮かび上がった。
それはこの宇宙船――キーテジ号の艦内図だった。
「あたしたちがいるのは、世紀末恋愛ゲーム『恋愛黙示録ラブマゲドン』のなかよ。地球時間で三日前、検史庁はこのゲームに異常なストーリー進行を検知して、検史官とアドバイザーを派遣したわ。だけど、そのふたりは一昨日から行方不明になってるの」
セシャトは、ほかの三人の反応を観察した。だれもが、じぶんたちの任務の深刻さを理解しているようにみえた。
「キリヤくんは、このゲームをやったことがある?」
「ごめん、このゲームはさすがにやったことないんだ。たしかインディーズゲームだよね。ネットの大手サイトでダウンロード販売してる」
「あら、じゃあなんでそこまで知ってるの?」
「ネタゲーとして有名だからだよ。『ラブマゲドン』を販売しているサークルは、シナリオが破天荒なことで有名なんだ。コラとかもけっこう作られてる。ただ、作品数も多いから、ウケ狙いっていうよりは、粗製乱造なんじゃないかな」
ようするに、知らないゲームでもネットでネタにされたものの素材は知っている、という理屈だった。
セシャトはうなずき返した。
「ちはるちゃんもプレイしたことはないみたいだし、あたしから説明するわ。キリヤくんが言ったとおり、これは地球だとインディーズゲームと呼ばれているものよ。個人やサークルで作っているゲームのことね。『恋愛黙示録ラブマゲドン』の売り文句は、世紀末恋愛ゲーム。人類滅亡を信じる世紀末クラブという高校生サークルが織りなす恋愛喜劇……のはずなんだけど、見てのとおり、そのシナリオは狂い始めてる」
霧矢は宇宙船の艦内をみまわした。シナリオを知らない彼でも、これが物語の正常な進行でないことは理解できた。
霧矢は、
「つまり、こんな宇宙船はシナリオに登場してない、ってことだね」
とたずねた。
「それはちょっとちがうわ」
「どういうこと?」
「ゲームの本編には登場してないんだけど、設定にはあるの。『ラブマゲドン』のヒロインのひとり、世紀末クラブの部長、未羽茜が、人類を滅亡から救うために脳内で作り上げた妄想、それがこのキーテジ号なのよ」
霧矢はあぜんとした。
「人類を滅亡から救うために作り上げた妄想……? つまり、そのヒロインの妄想が具現化しちゃった、ってこと?」
「たぶん、ね。警史庁の中央コンピュータが検出したバグは、おそらくそれよ」
霧矢はホログラフをみつめながら、セシャトの解説を整理した。
そして、こう結論づけた。
「ってことは……ぼくたちの任務は、この宇宙船を消すこと?」
「かどうかは、今からわたしたちがチェックするの」
ここでトトが、うれしそうに笑った。
「いやぁ、またセシャトさんとごいっしょさせていただけなんて、うれしいです」
霧矢は、エルフの世界にもなにやら複雑な事情があることを察した。
と同時に、セシャトがまんざらでもなさそうなことにも気づいた。
前回の捜査でひどく高飛車だった態度も消えている。
あいかわらずプライドが高そうではあったが。
霧矢は気をとりなおして、艦内の3D地図をながめた。
「とりあえず、ほかに乗員がいるかどうか……」
ガシャン
重々しい金属音。
四人はいっせいにふりむいた。
ちはるが身をひく。
「いまの……シャッター音じゃなかった?」
スーッと足元に風が吹いた。
その正体に気づいたセシャトは、大声でさけぶ。
「みんなッ! なにかに捕まってッ!」
霧矢は、そばにあった金属製のドアにとびついた。
開閉用のバルブをまわそうとしたが、ビクともしなかった。
「セシャトさんッ! 開かないッ!」
シャツのすそがはためき、宇宙服が床をすべり始める。
霧矢はドアの開閉をあきらめて、バルブにしがみついた。しかし、そのバルブは、ゆっくりと回転を始めてしまう。それに合わせて、金属製のとびらがひらきはじめた。気圧差で、その隙間からも強烈な風が吹き出す。シャツがふくらみ、足もとが浮いた。
霧矢の悲鳴は広大な宇宙の闇に吸い込まれ、そして聞こえなくなった。