プロローグ
そう、箱舟よ、箱舟をつくりましょう。それはいつか、楽園に向かって出航するの。
あなたの悲鳴なんか、だれにも聞こえなくなっちゃうわ。
『恋愛黙示録ラブマゲドン』未使用没データより
【問題】
あるSF映画において、主人公の乗っていた宇宙船エルヴィン号が撃墜された。そのときの関係者3名は、それぞれ次のように証言している。
・エルヴィン号整備士A「事故だと思うか、ですか? そういう聞き方は心外ですね。まるで僕のせいにされてるみたいだ。まだ撃墜されたことも信じられないんですが……理由ですか? 全球型バリアを取りつけたばかりなんです。六角形のパネルで構成された、最新のタイプですよ」
・支援型宇宙空母通信士B「エルヴィン号から最後に通信がとどいたのは、イチマルマルゴくらいだったかな。あとで通信記録をみれば、わかるよ。この艦は付近を航行してたから、通信ラグはほとんどなかったと思う。光学迷彩が不調だ、って言った。こっちから状況を確認しようとしたら、もう返事がなかったんだ」
・宇宙天候観測所職員C「撃墜された時刻は、イチマルイチマルだと思います。観測所の機器が、わずかなガンマ線を検出しました。そのときの時刻から逆算して、そう思います。え、目視ですか? していません。発生源がエルヴィン号だという証拠ですか? それはなんともいえませんが……原子力エンジンの排ガスの誤検出? それは機構的にまずありませんね」
このなかでウソをついている可能性が最も高いのは、だれか。理由も説明せよ。
昼下がりの試験会場。教壇に向かって、階段状になった講堂。エルフたちはそこで、ペンを走らせていた。肌の色も耳のかたちもさまざまなエルフたちのなかに、困り果てた顔の女エルフがいた。金髪碧眼で、耳のかたちは鋭く、他のエルフたちよりも縦長だった。彼女は白い開襟シャツをうでまくりして、問題に取り組んでいた。けれども、ペンがさっぱり進まなかった。
(ウソを言ってるひと……わかんないです)
彼女の名前は、トト・イブミナーブル。トトが個人名で、イブミナーブルは種族名だ。イブミナーブルは、森の裁縫屋さんという意味の、古エルフ語である。この種族には、ファミリーネームをつけるという習慣がないので、トトはいわゆる姓を持っていなかった。
とはいえ、それは目下の問題とは、なにも関係がなかった。解かなければいけないのは、目のまえのペーパーテストだった。
(こういうのって、一番おしゃべりなひとが、あやしいんですよね)
トトは、アカデミーで習ったことを思い出した。
犯罪心理学の講義だったと、うっすら記憶していた。
(だけど、全員おしゃべりに見えますし……うーん……)
トトは腕組みをして、目を閉じた。時間がない。
ほかの問題も穴だらけだったから、択一問題くらいはひろいたかった。
トトは散々悩んだあげく、Aと記入した。そして理由の欄に、「このひとだけ時間を言っていないから」と書き込んだ。最後のエルフ文字を書いたところで、鐘が鳴った。教壇のところにいた年配のエルフが、声をあげた。
「はい、そこまで。ペンを置いてください。このあとは実技試験になりますので、答案回収後、すみやかに射撃場へ移ってください」
トトはつかれるひまもなく、射撃場へ移動した。安全のために、更衣室で制服を着替える。ライトブルーの、作業員のようなツナギだった。射撃場は、その更衣室に併設されていた。ドアをひとつ開けると、控え室。控え室には、射撃場へ出ていくドアと、そこからもどってくるドアが、それぞれべつに設けられていた。射撃場は、幅二〇メートル、奥行き一〇メートルほどの、横長な密室だった。装飾もなにもなく、ただただ訓練のために作られた、殺風景な部屋だ。
控え室に、エルフたちが並ぶ。トトはビクビクしながら、じぶんの番を待った。
《第五グループ、どうぞ》
トトをふくめた一〇人のエルフが、射撃場に出た。
トトは、左から三番目に位置取りした。
ラインの向こうには、真っ白な壁と、人型の的。
それは前後左右に動く仕組みで、今はじっと待機していた。
《用意》
トトは拳銃をにぎりしめ、ゆっくりと照準を合わせる。
おちついているというよりも、慣れていない印象をあたえた。
呼吸をととのえようとする。かえって鼻息が荒くなってしまった。
《はじめ》
火薬のかわいた音が、不規則に聞こえる。
トトは、うすいくちびるをむすんで──引き金を引いた。
パンとかわいた音がして、弾丸はあさっての位置に着弾した。
のろりのろりと五発続き、一発だけ端っこに当たった。
トトは大きく息をついた。
うしろに下がって、交代する。
こんどは褐色肌の女エルフが、まえに出た。
知り合いだったので、トトは出口のところで、思わず足をとめた。
《用意》
褐色肌の女エルフは、そつなく照準を合わせた。
《はじめ》
立て続けに六発。
すべてが的の黒い部分に当たった。
トトは、拍手をした。
《トトさん、射撃場から出てください》
トトは、びくりと肩をすくめて、そそくさと射撃場を出た。
出口のところで、男のエルフから、
「トトさん、弾倉の確認をしましたか?」
とたずねられた。
「あ、してないです」
トトは、弾倉を開けようとした。
男のエルフは、びっくりしてそれを止めた。
「こっちに向けてやらないでください」
「あ、すみません」
トトは壁のすみっこへ移動して、弾倉が空であることを確認した。
火薬の匂いがする。
トトは、じぶんのそでをかいだ。
そこからも、同じ匂いがした。
「着替えたら、匂いが移っちゃいますね……」
そうつぶやいた瞬間、うしろから女の声が聞こえた。
ふりむくと、さきほどの褐色肌のエルフが、こちらを見ていた。
するどい目つきで、意志の強そうな細いアゴを、すこしばかりあげていた。
トトはおじぎをして、
「セシャトさん、おつかれさまです」
とあいさつした。
セシャトは、
「一発も当たってなかったわね」
と、いきなり痛いところを突いてきた。
「一発は当たりました」
「あんなすみっこじゃ、当たってないのといっしょでしょ」
トトは笑って、
「射撃は苦手なんです」
と答えた。
それは知っている、とセシャトは返した。
ふたりはいっしょに更衣室で着替えた。
白いシャツを着て、黒いズボンをはく。
金色の三つボタンがついた、黒いコート。黒い革靴。
コートのふちには、紫色の刺繍があった。
最後に、黒いシルクハットのような、ツバのない円筒形の帽子をかぶった。
その帽子の正面中央には、鳥の羽のようなマークが、金の糸で装飾されていた。
更衣室を出る。
美しいカーブをえがく、白い廊下。定期的に、大きな観葉植物が見えた。
右手のほうは壁面ガラスになっていて、その向こうは庭になっていた。
花々と木々。さらにそこから、壮大な深緑の世界が広がっている。
ここはエルフたちの住む世界、ヒストリア。
地球上にある物語の運行をつかさどる次元。
あらゆる本、映画、アニメ、ゲームの中には、固有の物語空間がある。
その物語が正常にくりかえされるように、エルフたちは物語を管理していた。
当の人間たちだけが、このことを知らないのだった。
そして、トトとセシャトは、ヒストリアの警史庁という組織に属していた。物語に異常を検出したとき、バグをとりのぞくのが、彼女たちの仕事だった。警史庁のなかでも、物語にとびこんでバグを見つけ出す役割を、検史官と呼んだ。検史官は公務員のようなもので、試験をパスしたエルフが、アカデミーで教練を受けたあと、特定の部署に配属されるのだ。
トトは第九課、通称、恋愛課に所属していた。恋愛小説、恋愛漫画、恋愛ドラマなど、恋愛に関する物語を専門とする部署だった。一方、セシャトは、エリートがつどう第一課、通称、純文課に所属していた。しかし、ちょっとしたいきさつがあり、セシャトは第九課に出向というかたちで、いそうろうしていた。そのことに、セシャトはすこしばかり不満があった。じぶんが出世街道から外れたのではないか、と危惧したからだ。トトはそんなセシャトの気持ちを、まったく理解していなかった。
ふたりはろうかを歩きながら、雑談をした。
そのうち、さきほどの定期試験の話にうつった。
「そういえば、セシャトさん、三番目の問題って、答えはなんなんですか?」
「三番目? SF映画の話?」
「そうですそうです」
「あれはAよ」
トトの顔が、パッと明るくなった。
「あ、じゃあ当たってますぅ」
「理由はちゃんと書いたの?」
トトは、じぶんが書いた理由を思い出して、説明した。
ところが、セシャトの反応は、かんばしくなかった。
「んー……ゼロ点とは言わないけど、低くつけられるんじゃない?」
「え、じゃあほんとうの理由って、なんですか?」
「六角形のパネルで全球型バリアは、作れない、よ」
トトはうでぐみをして、歩きながら目をとじた。
「……え、作れないんですか? ぺたぺた組み合わせたら、できそうですけど?」
「数学的に不可能なのよ」
セシャトは多面体がどうのこうのと言っていたが、トトには理解がおいつかなかった。
そのうちふたりは、ひとつのとびらのまえで、立ち止まった。
そのとびらには、エルフ文字で九という番号が書かれていた。
セシャトはノックもせずに、ノブをまわした。
中から喧騒が聞こえてくる。室内は、てんやわんやだった。
事務机が奥までならび、そのうえには大量の書類が山積みだった。
一番近くにいた男のエルフは、電話をしていた。
なにやら大声を出しかけたところで、彼はセシャトたちに気づいた。
「あ、訓練は終わりましたか?」
セシャトは、そうだと答えた。
「マフデト課長が、お呼びでしたよ」
男はそう言い終えると、電話のあいてと話し始めた。
セシャトは肩をすくめて、トトのほうへふりむいた。
トトは、やや緊張した面持ちで、
「お、お説教でしょうか?」
とたずねた。
セシャトは嘆息した。
「なんであたしまで説教されなきゃいけないの……事件に決まってるでしょ」
ふたりは部屋の奥にある、課長室へ移動した。
セシャトがノックし、ふたりで入って、トトがドアを閉めた。
天井のシーリングファンが、くるくるまわっている。
正面には、管理職用の豪華な机が鎮座していた。
セシャトは室内の雰囲気が、ただならぬことを察した。
トトはそれに気づかなかった。
「セシャト・スティクス捜査官、参りました」
「トト・イブミナーブル捜査官、参りました」
ふたりは並んで立った。
彼女たちの目のまえには、炎のように赤い髪の、女エルフが座っていた。その制服は、壁のくすみかけた白よりも白かった。
彼女は事務の小物にかこまれて、こちらを見ていた。
そのくちびるが動いたとき、セシャトとトトは、あらためて身をただした。
「ふたりとも、ご苦労……これから話すことは、機密事項だ」
さすがのセシャトも、眉をひそめた。
トトは、言われたことがよくわからず、首をかしげた。
「第八課の検史官が一名、捜査中に行方不明になった」
トトは、え?、という表情を浮かべた。そして、
「あの……迷子になったってことですか?」
とたずねた。
「詳細はまだわからん。死亡している可能性もある」
空気が凍った。
セシャトは、唾液をひとつ飲んで、
「殉職の可能性もある、ということでしょうか?」
とたずねた。
課長は、うなずきもしなかったが、首を振りもしなかった。
「第八課の有力な検史官は、すでに出払っている。担当を継続できない。捜査規則七三条二項にもとづき、事件は本課へ移管されることになった」
セシャトは、事件の概要をたずねた。
「今回の捜査対象は、地球で作られたインディーズゲーム、『恋愛黙示録ラブマゲドン』だ……そういう表情になることは、承知のうえだ。タイトルがふざけているからな。ジャンルはSF恋愛シミュレーション。最初はSF部分が強調されて、八課の担当になった。今からは、我々九課が担当する」
「検史官の捜索を、ですか? それとも事件の解決を?」
セシャトの質問に、課長は右手のひとさしゆびをたてた。
「両方だ」
「お言葉ですが、アカデミーの教練では、目標をひとつに絞るように教わりました」
課長は、もちろん、とひとこと置いて、
「きみたちがどちらに重点を置くのかは、任意だ」
と締めくくった。
そしてその言い方が、これで話は終わりだ、という雰囲気だったので、セシャトはそれ以上の議論をやめた。
敬礼をして、
「かしこまりました」
とだけ言った。
トトもあわててそれをマネた。
課長室を出て、同僚の机を通り過ぎ、廊下に出た。
トトは、
「もしかして……すっごく危ない任務だったりします?」
と、なんだか不安そうな表情だった。
セシャトは嘆息で答えを返した。
とはいえ、その意味がトトに伝わったかどうかは、判然としなかった。
「とりあえず、人間のアドバイザーを呼びましょう。あたしはちはるちゃんに声をかけるから、トトはあのキリヤって子に連絡しなさい。前回の事件を解決してくれたのは、彼だからね」