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中央政務室というから、もっと荘厳で立派な建物なのかと思っていたら、意外と外見は簡素な石造りの館だった。馬車が到着すると、黒檀の大きな扉が開かれ、なかからひとりの女性が現れた。
「ミレッド大使ですね? お待ちしておりました」
紺色のスーツに身を包んだ女性は事務的な口調で告げ、トリアの後ろに立っていたヴィスに目をやった。気がついたヴィスは愛想よく笑いかけた。
「大使、こちらは?」
「従者のヴィスといいます。気にしていただかなくて結構ですよ」
「おひとりと伺っておりましたが……」
「ええ、まあ、いろいろありまして」
「しかも、エレクトオートではなく、人間の従者……?」
「あはは」
トリアは曖昧に笑いながらごまかした。機械仕掛けなのに、ごまかすのがうまい。しかも、さわやかだ。女性は釈然としないようすで首をかしげていたが、それ以上は追求しなかった。ふたりを応接室に案内し、暖かい紅茶を用意すると、政務次官を呼びに部屋をでた。部屋の中は、外の印象とずいぶん違い、明るく、きらびやかだった。天井には天使が宴をしている絵が描かれ、豪華に装飾された電灯がそれを照らし出していた。マホガニー製のテーブルの上には小さな象嵌細工の地球儀をはじめ、豪華な調度品がならんでおり、床には絨毯の代わりに、熊の毛皮が敷かれていた。
「お待たせしましたな、大使」
白髪の老人が、先ほどの女性と一緒に現れた。トリアとヴィスは立ち上がり、一礼すると、あらためて自己紹介をした。老人は静かにうなずき、細い骨のような腕を差し出した。
「私が政務次官のロイド・フラットです。それから、こちらが秘書官のメリル・メルクマール」
トリアはにこやかに政務次官と握手をし、その後ろにいた秘書官に笑いかけた。秘書官が無表情のまま、静かに頭を下げる。そのようすを見てトリアは首をかしげた。
「失礼ですが、以前どこかで、お会いしませんでしたか?」
「いえ、お会いするのは初めてだと思いますが」
「そうですか? いや、確かに、どこかで……」
トリアは電子頭脳をフル回転させたが、どうしても思い出せないようだった。静止したままでギア音をかなり小刻みに鳴らしていたが、三秒ほどの長考の末、トリアは思い出すのをあきらめた。
「失礼、どうやら勘違いのようです。膨大な人物データを持っていると、ときおり、混乱してしまって、申し訳ない」
「は、はあ」
メリル秘書官は、どういう顔をすればいいのかわからない、という顔をしながら、うなずいた。見かねたフラット政務次官が口をひらいた。
「ところでミレッド大使、ずいぶんお見えになるのが遅かったようですが、なにかありましたかな?」
「ええ、まあ。ちょっとした事故がありまして」
「事故?」
フラット次官が聞き返した。横で聞いていたヴィスも驚き、思わずトリアの顔をのぞきこんだ。
「乗っていた自動馬車のブレーキが利かなくて、しかたなく郊外までドライブしてきたものですから……遅くなって申し訳ありません。電池が切れるまで車を止めることができなかったので、ずいぶん時間をとってしまいました」
途轍もないことを、さらりと言ってのける。
「だ、大丈夫ですか?」
「平気ですよ。ああいった事故は、二千台に一台の割合でありますから」
ニコニコと答えるトリアに、居合わせた全員が絶句した。
長い沈黙の後、フラット次官が咳払いをし、話題をかえた。
「……今回の訪問の目的をお聞きしてもよろしいかな」
「ああ、そうでしたね」
トリアはヴィスに預けていたアタッシュケースから資料を取り出すと、マホガニーのテーブルのうえに広げた。文書の書かれた書類だけでなく、円グラフの資料や、色分けされたケーナバルトの地図などがあった。
「これは?」
内ポケットから金縁眼鏡をとり出しながら、フラット次官はたずねた。かなり細かく書かれた資料で、すぐには何が書かれているのか、判断がつかなかった。
「公害予想図です」
「公害予想図?」
フラットは眉間にシワをよせながら、聞き返した。
「ええ、正確には、『ケーナバルト国立トリチウム工場の浮遊粉塵および廃液による公害の分析と、その被害に関する報告書』です……つまり、ケーナバルトの公害被害と今後の被害予想をまとめたものです」
「はあ、それは、それは……」
小さな親切、大きなお世話だ。フラット次官は、口にこそしなかったものの、露骨にそんな顔をした。だが、トリアには通じないらしい。絵に描いたようなさわやかな笑顔をふりまいたままだ。
「エレクトリア・アンペール最高評議会のシミュレーションによれば、このままの成長率で、ケーナバルトがトリチウム電池を生産した場合、世界に深刻な被害をおよぼすという結論に達しました。ですので、エレクトリア・アンペール最高評議会は、ケーナバルトのトリチウム工場の稼働率を50%に縮小していただくよう、要求します」
涼しい顔で説明するトリアを前に、フラットは神経質そうにヴィスを見た。トリアから表情が読めないので、無意識のうちにヴィスを見たのだろう。だが、ヴィスはなにも知らされていなかった。フラットと目が合ったヴィスは、困ったようすで肩をすくめた。
フラットは小さく咳払いをし、視線をトリアに戻した。
「残念ですが、その要求は呑めませんな。いまやトリチウム電池は世界的に使われているエネルギーですぞ。われわれは必要としているから、生産し、世界に輸出しているのです。その稼働率を縮小すれば、供給不足になり、世界にひずみが生じる」
「それは仕方のないことです」
トリアはさらりと即答した。こういうところは一切、人間味がない。
その言葉に、フラットは苛立ちを覚えたようだった。こめかみの血管が、はっきりと浮かび上がり、眼光に鋭さが増した。口調が穏やかなだけに、そのギャップが逆に恐ろしかった。はたで見ているヴィスのほうがヒヤヒヤしてしまう。
「失礼な言い方かもしれないが、あなたがたはトリチウム電池を動力にしているのでしょう。われわれが生産しなければ、困るのではないですか?」
「困ります。ですが、国土が汚染されることも考えなければならない。わが国も、あなたの国もです」
トリアはテーブルの上に肘をつき、資料のひとつを指差した。一定量以上の廃液が川に流れこんだ場合の、ケーナバルト、ユエラ、エレクトリア・アンペールの土壌汚染の被害予想が書かれていた。特にユエラの農作物の影響がひどく、北部地方は壊滅的だった。
のぞきこんだヴィスは、その予想に目を丸くした。
さすがにフラット次官も唸り声をあげた。
電気仕掛け、エレクトオートの計算は緻密であり、正確無比で有名だ。ましてや、エレクトリア・アンペール最高評議会が何重にも検討し、シミュレーションを行った結果なのだから、ある意味それは、正確な未来予想図ということになる。
彼らは冷徹に計算し、シミュレーションの過程に恣意を持ちこまない。
あるがままに、未来を描き出す。
そこがまた、不気味なのだが……。
フラットは金縁眼鏡をはずし、少し疲れたようすで資料から顔をあげた。
「本当に、電池の生産量を減らすしか方法はないのですか?」
「現状では、そうです。ですが――」
「ですが?」
「生産方法を改良すれば、公害問題に悩むことなく生産ができるでしょう」
「具体的に、どうしろと?」
フラットの問いに、トリアは微笑んだ。
「それは実際に工場を見てみないと、なんともいえません。もし見学ができるのなら、お答えできると思いますが」
「わかりました。ぜひ見学していただこう。生産量は絶対に減らすわけにはいきませんからな……メリルくん、できるだけ早く見学できるよう、手配してくれ」
「ですが、政務次官。工場内は国家機密に相当する区域もあるので、見学は……」
それまで黙っていたメリル秘書官が難色を示した。ケーナバルトが世界一の生産量を誇るのは、独自の技術を持っているからだ。それを他国の大使に見られるのは、まずくはないのか。
フラット次官は、鷹揚にうなずいた。
「きみのいいたいことは、わかる。だが、被害予測を見たまえ。これが現実に起こるとしたら、大問題だ。回避できるのならしなくてはならない。私もエレクトリア・アンペールの予測でなければ、こんなことは許可しないのだがね」
「……わかりました」
メリルは、悔しそうな表情を浮かべたが、それ以上は反論しなかった。
「ほかになにかありますかな?」
「いいえ」
トリアはイスから立ち上がり首をふった。ヴィスもフラット次官もそれが合図であるかのように立ち上がった。どうやら、話はこれで終わりらしい。フラットはすこし緊張を解きながら、いった。
「ところでお泊りになるところを、決めておられるのですか?」
「もちろんです。もう予約しています」
トリアは、場末の安宿の名前を口にした。それを聞いたフラット次官の表情が凍りついた。
「メリルくん、ロンヌシェルト・ホテルに部屋を二名分、いますぐ用意させてくれ……大使、あなたにふさわしいお部屋をこちらで用意しますので、そちらにお泊まりください。いいですな」
「私はべつに、ロンヌシェルトでなくとも――」
トリアがフラット次官の申し出を断ろうとしたとき、ヴィスが横から口をだした。
「政務次官、ありがとうございます。ぜひ、そのホテルに泊まらせてもらいます。それから……あの、ひとつお願いを聞いてもらえませんか?」
「ヴィス!」
トリアはたしなめたが、ヴィスはやめなかった。
「陛下に謁見を賜りたいのですが」
「謁見? 構いませんが、陛下は非常にお忙しい。日時はこちらの都合に合わせてもらいますが、それでよろしいですかな」
「はい」
ヴィスは、トリアのレーザー光線のような視線を感じながら、満面の笑みで答えた。
「では、その件は私が何とかしましょう」
事情を知らないフラットは目尻に深いシワを刻み、ヴィスの満面の笑みに答えるように、笑いかけた。
そして、ふたりが部屋を出たあと、大きなため息をついた。
フラット次官は、秘書官に見送りを頼むと、応接室の隣の部屋に入った。なんの飾りもない無味乾燥な部屋だ。フラット次官は金属製のデスクチェアに座り、机の上の電話に手を伸ばした。
短いコールで、相手は出たらしい。
「ああ、フラットだ」
すこし疲れた声でつぶやいた。
「相変わらず、突然やってきたかと思ったら、わけのわからん要求をしてきた。工場の公害がどうとか、見学をさせろだとか……ああ、心配いらない。それはこちらでなんとかする」
相手の声。
フラットが笑い声をもらす。
「たしかに世界の管理人だからな。いろいろ目を光らせているんだろう。よけいなお世話といいたいところだ。まあ、いいなりにならざるを得ないところが、こちらも、悲しいところなんだが……」
相手の声。
「ああ、わかっている……それで、一つ頼みがあるんだが、大使が陛下と謁見したいらしい。なんとか都合をつけてくれないか? できるだけ早いほうがいい……そう、面倒なことは、さっさと片付けてしまいたいからな」
相手の声。
フラットが、また笑う。
「できるだけ、早急にたのむよ……きみなら簡単にできるだろう? 侍従長」