12
道の向かい側に、高い城壁が見えてきた。
城壁はどこまでも続き、衛兵らしき男が、一定の距離に立ち、鋭い視線であたりを見回している。ヴィスはときどき衛兵に会釈をし、さらに歩き続けた。
この城壁の向こうに王宮があるのは衛兵のようすからみて、まず間違いないだろう。だが、門が見当たらない。
一体、どれだけ広いんだ。
ヴィスはウェイターの言葉を思い出しながら辟易した。三分の一というのは、誇張でもなんでもないのだろう。
脚に自信はあっても、単調な道はつまらない。
いっそのこと衛兵の目を盗んで、壁を乗り越えてやろうか。
ヴィスがそんなことを考えていると、やっと大きなストーンアーチ(石門)が見えてきた。門は頑丈そうな鉄扉で閉ざされ、その手前には四人の衛兵が銃を肩から提げ、仁王立ちで立っていた。かがり火は電気ではなく、薪で焚かれていた。
ヴィスは声をかけるべきか迷ったが、本当にここが王宮なのか知っておく必要があると考え、衛兵のひとりに声をかけた。
「やあ、こんばんは」
衛兵は、鋭い眼光を黙ってこちらにむけた。
「今日は冷えるね」
衛兵は、鋭い眼光を黙ってこちらにむけた。
「ここはケーナバルト王宮でいいのかな?」
衛兵は、鋭い眼光を黙ってこちらにむけた。見かねた別の衛兵が、近よってきた。
「なんのようだ」
「いや、有名なケーナバルトの王宮を一目見たいと思って、歩いてきたんだけど、ここでいいのかな?」
「うむ。たしかにここが王宮だ。見ただろう。さあ、帰れ」
衛兵は冷たく言い放った。ヴィスは肩をすくめた。
「なかを見学したいんだけど、そういうのはやってないのかな?」
「こんな夜遅くになにを言ってるんだ? 庭園の見学なら、明日の朝、出直して来い」
「いや、庭園じゃなくて、王宮内を見学したいんだけど」
ぴくり、衛兵の眉が神経質に動いた。ヴィスを怪訝そうに見つめる。
「おまえ、なにものだ?」
「そんな怖い顔しないでくれ。オレはただの旅行者だよ」
四人の衛兵が、いっせいに疑いの目をむけてきた。
なんだよ、オレはそんなに胡散臭いのか。
ヴィスは少しムッとしたが、顔には出さなかった。
「旅の記念に宮殿が見られるんなら、見せてもらおうと思っただけだよ。本当だって、ウソじゃない。その……田舎の母ちゃんに、土産話のひとつでも持って帰ってやりたかったんだ。そうすりゃ、病気の母ちゃんも少しは気がまぎれるだろうと思って……母ちゃん、昔から旅の話が大好きだから……」
大ウソだ。
だが、ヴィスは顔をふせながら、声を震わせ、目に涙をうかべた。
それを見ていた衛兵たちも、つられて目頭を熱くする。
「お前、田舎はどこだ?」
「ユエラの南、ナンス村だよ」
「また、ずいぶん遠くから来たものだ!」
衛兵のひとりが大げさに首をふる。
「こんなところで、道草を食っている場合じゃないだろう。さあ、はやく母上のところに帰ってやれ、この親不孝者!」
「そもそも、親が病のときに旅に出るのが、けしからん! いまからでも遅くない、すぐに帰ってやれ!」
「あ、あのちょっと……」
妙な展開に、ヴィスは戸惑った。
だが、衛兵たちは止まらない。
「最近の若い奴は――」
「私が若いときは――」
「親がいるうちに孝行しろ」
「後悔するぞ」
口々にすき放題いう衛兵に、ヴィスは言葉をうしなった。一対四だと勝ち目がない。それにしても、よく喋る衛兵だ。ふだん無口なぶんの反動だろうか。
「さあ、帰れ、帰れ! 宮殿が見たいのなら母上の病を治し、一緒に見学に来なさい。そのときは特別に私たちが、侍従長に掛けあってやろう」
「それは、困るよ」
「困る? なぜ困るのだ! そのほうがよっぽど、親孝行ではないか!」
「それは、つまり……」
ヴィスが言いよどんでいると、背後から聞き覚えのある声がした。
「なにをしているのですか? こんなところで」
振りむくと、透き通った声の主は、不思議そうに首をかしげていた。
「トリア! お前こそ、こんなところでなにをしてるんだ!?」
「私は、もともとここに用があってきたのです。あなたのほうこそ、リーデリア湖に行ったのではなかったですか?」
「いや、その」
またしても、予期せぬ展開だ。これはマズい。ヴィスはトリアの腕を掴み、衛兵から少し離れたところへ連れ出した。
「なんですか? 一体」
「お前、このなかに入れるのか?」
「もちろん、特命全権大使ですから」
「だったら、頼みがある」
ヴィスは声をひそめながら言った。
「オレを従者ってことにしてくれないか?」
「……あなたを? どうして」
トリアは怪訝そうな顔を、そのままヴィスにむけた。
「理由はあとで話すよ、だから、たのむ!」
「……」
懇願するヴィスにトリアは困惑した様子だった。彼は嘆息し、黙って身を翻すと衛兵のほうへと歩き出した。
「ダメか……」
ヴィスは落胆し、頭をうなだれた。こうなったら、強行突破しかない。城壁のどこかから、乗り越えてもぐりこむしかなかった。
ヴィスが門に背をむけ、歩き出そうとしたとき、トリアが声をかけてきた。
「ヴィス、なにをしてるんですか? ちゃんと鞄を持ってきてください」
言われたヴィスが足元をみると、トリアのアタッシュケースがそこに置かれていた。
ってことは、つまり……。
ヴィスは顔を輝かせ、足元のアタッシュケースを拾い上げると、急いでトリアに駆けよった。
トリアは満足そうにうなずき、それから、衛兵たちに話しかけた。
「どうも、お騒がせしました。このものは私の従者なのですが、いささか虚言癖がありまして、なにかご迷惑をお掛けしませんでしたでしょうか?」
「虚言癖?」
衛兵が、きょとんとしたようすで聞き返した。
「ええ、あることないことペラペラと喋っては、まわりのものに迷惑をかけて、困っています……ああ、申し遅れました、私、エレクトリア・アンペールの特命全権大使、トリア・ラ・ミレッドといいます。このものは従者のヴィス・クロットです」
トリアは上着の内ポケットから、書類を一枚取り出した。衛兵はそれを確認すると、トリアに一礼し、開門の準備にとりかかった。
「それにしても」表に残った衛兵のひとりが、トリアにいった。
「あなたも大変な従者を連れておいでですな」
「は、はあ」
トリアは、苦笑いしながら、曖昧に返事をした。
「本当に、母上の話はウソですか?」
「ええ、まあ」
「はー、あの話がねえ、ウソとはねえ……」
衛兵は、もう一度おなじことつぶやき、ひとりで感心していた。