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中央ケーナバルト駅は、すごい人混みだった。各方面から到着した大陸鉄道の列車が大勢の乗客を吐き出し、貨物車輛から大量の荷物がいっせいに運び出されていた。予想を上回る混雑にヴィスは驚きながら壁際により、人の波が引くのを待った。
なんとなく一等客車のほうを見てみたが、トリアの姿は見当たらなかった。人混みにまぎれて、もうどこかに行ってしまったようだ。
もう一度、挨拶ぐらいはしたかったんだが……。
ヴィスは少し落ち着いた人混みを眺めながら、頭をふった。いないものは仕方がない。
それにしても豪華な駅だ。
鏡のように磨かれた床に、まぶしいくらいの照明。ここから見えるだけでも、何百という電気燭台が並んでいる。天井が高いのはもちろんだが、奥行きもかなりある。駅というよりはどこかの宮殿のようだ。ただ宮殿とちがうのは、何カ国もの言葉で構内アナウンスが流れていることくらいだろう。これが意外とうるさかった。
ヴィスはたえず流れている構内アナウンスと表示板の指示にしたがい、広い構内を散策した。
いろんな店が立ち並び、にぎわっている。
ヴィスは急ぐ旅だと知りつつも誘惑に勝てず、いくつかの店をひやかした。
まず、彼がひやかしたのは食料品店だった。世界中から集められた食材に、ヴィスは目を丸くした。店に並べられている野菜の半分以上は初めて見るものだった。ヴィスは自尊心を傷つけられた。いろいろな地方を旅している彼は、いろいろな農作物を見て、食べてきたという自信があった。それなのに、ここに並んでいる半分も知らないのだ。
きわめつけは、毒茄子だった。
文字通り、毒だ。
その毒茄子が店に並んでいた。
ユエラの南部地方では絶対に食べない野菜の一つだった。生で齧ると体が痙攣するのをヴィスは知っていた。だから、腰を抜かしそうになった。
「こんなものを並べて、いいのか?」
ヴィスが店員をつかまえてたずねると、若い女性店員は不思議そうに首をかしげた。
「どういう意味ですか?」
「だって、毒があるだろう、この茄子は」
「ええ、ですからヘタを切ったあと、割り豆と一緒に湯がいて、毒抜きをしてから、豆と一緒に食べてください。おいしいですよ」
店員は、さも当然といったようすで答えた。ヴィスは絶句した。
どうして、そんなに知恵をしぼって、毒を食べたがる。
だが、試食してみて考えが一転した。
どうして、ユエラの連中は、割り豆と一緒に湯がかないんだ!
ずいぶん勝手な言い草だが仕方がない。それくらいうまかった。
つぎに行ったのは、薬局だった。ここでも、ヴィスは驚いた。どこを見渡しても、血止めのためのヨモギの葉がない。ウコンも置いていないようだし、なによりアロエの鉢植えがない。あるのは、いろんな色の小さな箱ばかりだ。
ケーナバルトで薬局といえば、小さな箱を売る店のことをいうのだろうか?
ヴィスは本気でそう思った。錠剤や顆粒状の薬は高価すぎて見たことがなかったのだから仕方がない。まさか、その箱のなかに薬が入っているとは考えなかった。
ヴィスは店員に聞くまでもないと、大小いろんな箱を売っている店を出た。
ほかにも何件か店をのぞき、ヴィスは幾つかの発見と、幾つかの勘違いをした。そして、彼は最後に挽きたて豆の香りが漂うカフェに、フラフラと引きよせられた。
もちろん、金がないことは百も承知だった。
ただ店から漂う心地よい豆の香りに、ヴィスはどうしても抵抗できなかった。食堂車で飲んだ食後のコーヒーの味がよみがえり、どうしても、もう一度、あのうまいコーヒーが飲みたくなった。
ヴィスは壁際の席につき、値段をよく確認した上で、ブレンドコーヒーを注文した。物腰のやわらかいウェイターは静かにうなずき、店の奥へと消えていった。
「さてと」
壁にもたれかかりながら、ヴィスはひとりでつぶやいた。
これから、どうするべきか。
カフェに流れる静かな音楽に耳を傾けながら、ゆっくりと目を閉じた。どうやら、この店は、外のアナウンスを遮断しているらしい。素晴らしい配慮だ。
ヴィスは唇に指をあてて、考え始めた。
まず、どちらにしても王宮に行かなくてはいけないから、正確な位置を確認しておこう。この駅のなかに町の詳細な案内地図があるだろうから、それを手帳に写してから移動しよう。それよりも問題は衛兵だ。当然、王宮の門には衛兵がいるだろう。はたして、どう説明すれば、納得してくれるだろうか? ここはよく考えておかなければ、ヘタをすると、そのまま牢に入れられてしまうかもしれない。平穏にいくのなら、やはり真実はふせたまま、旅行者として王に謁見を求めるのが一番の近道だろうか? だが、それだと、いつ謁見がかなうかわからないし、やたらと面倒な書類手続きをしなくちゃならないのではないか。
いかに民衆の声を広く聞く王だといっても、素性の知れないものと軽々しく会ったりしないだろう。なら、いっそ、忍びこむという方法もなくはないが……。
ヴィスが低い唸り声をあげていると、心地よい香りが近づいてきた。
目を開けると、ウェイターが音も立てずにコーヒーカップをテーブルの上に置き、砂糖とミルク入れを置こうとしていた。ヴィスは砂糖とミルクを断った。ウェイターは機械的な表情をほんの少し崩して微笑み、うなずいた。もしかしたら、彼もブラックが好きなのかもしれない。
「ねえ、きみ」
「はい」
奥へ戻りかけたウェイターが振り返った。
「このあたりに、町の地図はないかな?」
「でしたら、中央切符売り場の近くに案内板がありますよ……どこに行かれるのですか?」
ウェイターの質問に、ヴィスはとぼけた調子で肩をすくめた。
「いや、なに、せっかくケーナバルトまで来た記念に、王宮を一目見ておこうと思ってね」
「だったら、中央切符売り場まで行く必要はありませんね」
「どうして?」
ヴィスの質問にウェイターは愛想よく、答えた。
「このお店を出て、右にまっすぐ行くと、駅の出口があります。出口をでると正面に大きな道がまっすぐ伸びていて、それが王宮まで続いているからです。それに――」
「それに?」
「この町の三分の一は、王宮なので適当に歩いても、たいてい王宮にぶつかりますよ」
「なるほど」
ヴィスはウェイターにチップとして銅貨一枚を手渡した。さきほど本屋で立ち読みした知識だ。ユエラにはない習慣なので、本当にこれであっているのかよくわからなかったが、ウェイターはにこやかに「サンキュー、サー」と言ってくれた。これでコーヒー代を支払ったら、本当の無一文になるが、まあ、仕方がない。なるようになれだ。
ヴィスはウェイターに礼をいい、祝福の言葉を捧げると、コーヒーを一口すすった。昼のコーヒーには少し負けるが、それでも、十分にうまかった。