第2話 お見舞い
翌朝、学校へ行くと、隣の席の岩本遥希が話しかけてきた。
「なあ美玖、テストまじやばくね?ていうか生物どうするんだろ。竹下先生、全治1ヶ月らしいじゃん。めっちゃ心配なんだけど」
遥希は地元のクラブチームに所属している将来有望なサッカー選手だ。
運動音痴の僕とは大違い。
でも、こうやって気さくに話しかけてくれる、数少ない友達でもある。
「本当にね。僕も心配で……あ、そうだ。新しい作品も完成したから、先生に報告したいんだよね。よかったら今日の放課後、お見舞い行かない?」
「あー、この前言ってた音がしない帽子?
俺も行きたいんだけど、今日クラブの練習あるんだわ。すまん」
「そっか……じゃあ生物部の部長誘おうかな。
一人で行くのはさすがにハードル高いし……」
「もしお見舞い行くなら、遥希も心配してたよって伝えといて」
「りょうかい〜」
ちょうど担任の先生が教室に入ってきて、会話はそこで終わった。
ホームルームが始まり、いつも通りの一日が始まる。
2日前の夜、あんな事件があったとは思えないくらい、普通の朝だ。
授業が進むにつれて、僕はふと窓の外を見た。
校舎の向こう側、職員室がある棟の廊下に、黄色いテープが見える。
規制線だ。
事件現場を示す、あの黄色い線。
あれだけが、2日前の夜、この学校で起きた出来事を物語っている。
先生はあそこで倒れていたんだ。
音もせずに飛んできた何かに襲われて……。
「生野、聞いてる?」
担任の声で、僕は我に返った。
「す、すみません!」
クラスメイトたちの笑い声が響く。
僕は慌てて教科書に視線を落とした。
⸻
放課後、昇降口で待っていると、人混みの中にとも先輩の姿が見えた。
相変わらず野鳥図鑑を小脇に抱えていて、高身長だからすぐに分かる。
「とも先輩!」
手を振ると、先輩も気づいてこちらに近づいてきた。
「よかったら竹下先生のお見舞いに一緒に行きませんか?」
「お、美玖から誘ってくるなんて珍しいね。
いいよ、どうせ部活もできないし」
「ありがとうございます。一人だとちょっと心細かったので……」
「美玖って、生物のこと以外は無頓着そうに見えるけど、意外と繊細だよな」
「からかわないでくださいよ!」
顔が熱くなる。
こういうところ、とも先輩は本当に……。
「ごめんごめん。ところで帽子は完成した?目にクマできてるけど」
先輩の表情が、からかうようなものから心配そうなものに変わる。
さすがに言いすぎたと思ったのかもしれない。
「はい、完成しましたよ。まだちょっと微調整したいところがあって、今日も家に置いてきたんですけど」
「おー、じゃあ今日の帰り、家まで送ってくから見せてもらってもいい?あと、睡眠時間は削りすぎるなよ」
「いつもありがとうございます。睡眠時間については……善処します」
僕は、ついつい夢中になると時間を忘れてしまう。
気をつけていても無理なので、半ば諦めているところがある。
「そこは言い切ってほしいんだけどなー」
先輩は苦笑しながら、歩き出した。
⸻
病院までの道のりは、思ったより短く感じた。
創作物の話をしていたら、あっという間だった。
「おっと、病院あれじゃない?」
「ですね。竹下先生、元気だといいですけど……」
白い建物が見えてくる。
翠明市立病院。
この街で一番大きな総合病院だ。
僕たちは受付で部屋番号を確認して、エレベーターで3階へ向かった。
廊下には消毒液の匂いが漂っている。
病院独特の、あの匂い。
「304号室……ここだ」
とも先輩がノックする。
「どうぞ」
中から竹下先生の声が聞こえた。
いつもと変わらない、優しい声。
僕たちはドアを開けて、病室に入った。
「竹下先生、大丈夫ですか?全治1ヶ月の大怪我って聞いたんですけど!」
開口一番、僕は先生に詰め寄った。
ベッドに座っている竹下先生は、頭に包帯を巻いているものの、
思ったより元気そうに見えた。
「あー、そんなに重症じゃないから大丈夫だよ。ただ、当たった場所が頭だから大事をとって、長めに入院してるだけ。心配してくれてありがとうね、生野さん」
「そうなんですね!お元気そうで安心しました!」
本当にホッとした。
もっと深刻な状態だったらどうしようって、ずっと心配してたから。
「とも先輩もなんか言ってくださいよ」
僕が振り返ると、とも先輩は少し不満そうな顔をしていた。
「竹下先生、元気そうで安心しました。無理はなさらないでくださいね。あと、美玖がずっと喋ってるから話せなかったんですよ。俺だって心配してたんですから」
「はは、影浦くんも来てくれてありがとう。二人とも優しいね」
先生は嬉しそうに笑った。
⸻
「そういえば美玖、新しい作品が完成したんだろ?先生に報告したら?」
とも先輩が促してくれる。
「あ、そうでした!竹下先生!フクロウの羽から着想を得た消音帽子が、昨日完成したんですよ!」
「おお、それはすごいね。よく頑張ったね」
「そのせいでちょっと寝不足なんですけどねー」
「生野さんらしいな。退院したら見せてもらえるかい?」
「もちろんですよ!そのためにも早く退院してくださいね!!……あ、というか持ってきましょうか?そんなに大きくもないので、明日持ってこれますよ」
退院を待たなくても、先生に見てもらえるなら、それが一番いい。
「おお、持ってきてくれるのかい。それは嬉しいね。実は僕も、生野さんのバイオミミクリー作品、いつも楽しみにしてるんだ」
「本当ですか!じゃあ明日、絶対持ってきます!」
「ああ、楽しみにしてるよ」
竹下先生は優しく微笑んだ。
⸻
その時、僕はふと思った。
音もせずに飛んできた物体……それって一体何だったんだろう?
でも、今は聞かない方がいいかもしれない。
先生はまだ怪我の直後だし、思い出させるのも辛いだろう。
「あ、そうだ。クラスメイトの遥希も、先生のこと心配してましたよ」
「岩本くんが?伝えてくれてありがとう」
その後、僕たちは30分ほど先生と話をして、病室を後にした。
⸻
病院を出ると、夕日が街を赤く染めていた。
「明日も来るんだろ?一緒に行こうか?」
とも先輩が言った。
「はい、お願いします。帽子、明日持っていきますね」
「楽しみだな。先生も喜ぶだろうし」
帰り道、僕は明日持っていく消音帽子のことを考えていた。
先生に見てもらえる。
それだけで嬉しい。
でも同時に、頭の片隅に引っかかっているものがあった。
音もせずに飛んできた物体。
フクロウの羽を模した、音を立てない構造。
もしかして……。
いや、まさかそんなこと。
僕は首を振って、考えを追い払った。




