プロローグ
ここは、翠明高校。
ある夜、事件が起きた。
夜間巡回中だった理科教師の竹下先生は、いつものように校舎を見回っていた。
廊下を歩く自分の足音だけが響く、静かな夜。
窓から差し込む月明かりが、床に長い影を落としている。
その時だった。
風を切る音すらなく、何かが闇の中から飛んできた。
竹下先生が気付いた時には遅かった。
重い物体が側頭部を直撃し、先生は意識を失って倒れた。
廊下に鈍い音が響く。
翌朝発見された先生は、すぐに病院へ搬送された。
幸い命に別状はなかったが、全治1ヶ月の重傷だという。
⸻
「……というわけで、犯人が捕まるまで、夕方以降の部活動は全面禁止とします」
翌朝の全校朝会で、校長先生が重々しく告げた。
体育館に集まった生徒たちの間に、ざわめきが広がる。
竹下先生が大怪我……。
僕は生物部2年の生野美玖。しがない生物オタクだ。
竹下先生は生物の授業を受け持ってくれている優しい先生で、生物部の顧問でもある。
まさかそんなことになっていたなんて。
それにしても、音もせずに飛んできた物体って、一体何なんだろう?
ドローン?
でもドローンならプロペラ音がするはずだし……。
「全員、速やかに下校してください。今日は調査のため、校内への立ち入りを制限します」
校長先生の言葉で、僕の思考は中断された。
部活ができないのは残念だけど……まあ、これで今日は消音帽子の制作に集中できるかな。
⸻
「美玖ー!一緒に帰ろう!!」
校門に向かって歩いていると、後ろから声をかけられた。
振り返ると、生物部部長の影浦智也先輩が駆け寄ってくる。
3年生で、高身長でイケメン。
普通ならモテそうなものだが、常に野鳥図鑑を小脇に抱えている重度の鳥類オタクなので、部外の人との交流はほぼゼロらしい。
「とも先輩、これからフクロウカフェに行くので無理です」
僕は基本的に一人で行動したい人間だし、
できれば今日で消音帽子を完成させたいから、もちろん断る。
だけど、ひとつだけ失念していた。
「フクロウカフェ!?いいね、俺も一緒に行くよ!」
そういえば、この人は筋金入りの鳥類オタクだった。
キラキラした目でこちらを見てくる先輩に、
僕が断る胆力なんてあるはずもなく……。
「分かりました。でも奢ってもらいますからね。お金ないので」
「おうよ、もちろん。可愛い後輩のためなら喜んで。
ところで、またなんか作ってるの?」
「はい、消音帽子です。
空気抵抗を減らして、走る時の風切り音を小さくできないかなって」
「また独創的なものを……で、何に使うの?
もしかしてフクロウモチーフ?」
さすが鳥類オタク、勘がいい。
「正解です。正確にはワシミミズクですね。
フクロウって、羽の構造が特殊で音を立てずに飛べるんですよ。
羽の前縁に小さなギザギザがあって、後縁は柔らかい繊維状になってて。
この構造が乱流を抑えて……」
「おお、なるほどね!」
「これ、生体模倣って言うんですけど、
バイオミミクリーっていう分野なんです。
有名な例だと新幹線のパンタグラフにも使われてますよ。
騒音対策で」
「へえー、すごいじゃん。でも消音帽子って……」
「ええ、まあ走ったら足音は普通にうるさいので、あんまり意味ないんですけどね……」
我ながら実用性皆無である。
「あはは、美玖らしいや。とりあえずフクロウカフェ行こうか」
急に話を変えられた。
さすがに用途が意味不明すぎたか。
僕でさえ、何に役立つのかと聞かれたら答えられない。
完全に趣味の産物だ。
⸻
「あ、そういえば、完成したら部室に置いといていいですか?
実用性なくて邪魔なので、家には置きたくないんですけど」
「学校は物置きじゃないんだけどなー……
まあいいよ、見てみたいし。
竹下先生も面白がりそうだし」
竹下先生……。
「先生、早く良くなるといいですね」
「うん、そうだね。
それにしても音もせず飛んでくる物体って、何だったんだろうな」
とも先輩の言葉に、僕もまた同じ疑問を抱いた。
でも、今はそれを考えても仕方ない。
⸻
その後、フクロウカフェでたっぷり2時間、フクロウトークに花を咲かせた。
メンフクロウの顔の構造が集音に優れている話、
コノハズクの擬態能力の話、
シマフクロウの生態の話……。
とも先輩は本当に楽しそうに語ってくれる。
帰りは、女の子一人だと危ないからと、家まで送ってくれた。
なんだかんだ面倒見のいい先輩である。
なんでモテないんだろう。
やっぱり野鳥図鑑を持ち歩いているからか。
家に着いて、部屋で消音帽子の最終調整を始める。
ワシミミズクの羽を模した布地を、帽子の表面に慎重に縫い付けていく。
この時の僕は、まだ気付いていなかった。
この消音帽子が、
学校で起きた事件を解決する、決定的なヒントになるということに。




