ケヤキ並木と不揃い林檎
「ほら、ウィル! こっちよ」
「待って、フィオナ! 置いていかないで!」
少しお姉さんになる幼馴染のフィオナが人混みのすき間から手を差し伸べれば、ウィルことウィルフレッドは慌てて手を伸ばす。何度か掴み損なったけれど、最後にはしっかりと手をつなぐことができた。
まだ少年少女であるふたりの背は、大人ほど高くない。どんなに背伸びをしても、朝市の人混みの中では遠くがみえない。はぐれてしまえば、確実に迷子になってしまう。そうなれば朝の御用を務めることができない。ウィルフレッドにすれば、繋いだフィオナの手だけが頼りである。
忙しく動き回る大人にぶつかりながらも、フィオナとウィルフレッドは朝市のメインストリートを通り抜け、目的の青果商までたどり着いた。
その青果商でフィオナは母に頼まれた果物を買い、それが入ったバスケットをウィルフレッドに持たせる。体の弱いウィルフレッドは肉体労働に従事することができないから、彼の仕事はフィオナの買い出しの荷物持ちとなっていた。
「フィオナ、お母さんへ伝言を頼むよ。残りの品は、来週末に入荷の予定だとね。船が遅れているらしいから」
馴染みの青果商は子供といえども常連のフィオナにそう告げる。
「わかりました。じゃあ、今日の代金は今もらった分だけね」
「おお、相変わらずしっかりしているな、フィオナは。うちは子供相手に誤魔化すようなことはしないけれど、その心構えは結構なことだ」
青果商の主人はフィオナのしっかりした金銭感覚を褒めた。
フィオナに付き添って市場に出入りしているウィルフレッドにすれば、大人相手に堂々と意見を述べるフィオナが誇らしい。体が弱くてすぐに寝込んでしまうウィルフレッドは、そのせいか引っ込み思案な性分だ。正当な理由があってもなかなか主張できない質だから、この幼馴染は憧れでもある。
「あ、そうそう……」
用件が済んで店を出ようとするふたりに、青果商が林檎を差し出した。少し形が歪で、変色しているところもある。運搬途中で落としてしまった林檎らしく、商品にならないものだった。
「おまけだよ。ふたりで仲良く食べな。じゃあ、くれぐれもお母さんによろしくな!」
注文商品の入荷が遅れていることの詫びでもあれば、その言い訳を有利に伝えてもらうための賄賂でもある。お手伝いのご褒美だという林檎の真意をくみ取って、フィオナはにっこりと笑って受け取った。
朝市を抜けて、てくてくとフィオナとウィルフレッドは川沿いを歩いていく。朝市からふたりの住む村までは川に沿って歩いて三十分という距離だ。
川岸にはケヤキが立ち並び、その葉はすっかり赤銅色。舗装されていない黒い土の道は川に沿ってまっすぐに伸びている。皆が使う道だから、それはすっかり踏み固められていて、不愉快な凹みもなければ土埃もない。
そんな地面の上に、先日の冷え込みですっかり紅葉したケヤキの葉が所々に落ちている。その薄い落葉を踏みしめれば、それはぱりぱりと音を立てて粉々になった。
「あそこで食べようか?」
フィオナはとある大ケヤキの根元を指さして、ウィルフレッドへ提案した。
そこは、いま歩く道から少し外れた川岸。土の道と違ってケヤキの赤い葉がたくさん降り積もっていて、目の前には川が流れている。川すぐそばだけどそこそこ拓けた場所でもあれば、転落防止の柵も設けられていた。
そこからは対岸の小麦畑がよくみえた。休憩所でもなければ正式な乗合馬車の停留所でもない。けれど、皆が皆、旅の途中でのひと休みで使っていそうなところだった。剥き出しになっている適当な大岩に腰かけて、川面と小麦畑を眺めながらふたりは林檎を齧った。
「ねぇ、ウィルフレッド。あたしさぁ、春になったら領主様のところへ子守の奉公に上がるんだ。それまでまだ何回か朝市の買い物の予定はあるけれど、ウィルがどれも必ずついてきてくれるとは限らないからね、今いっとくね」
フィオナとウィルフレッドの村は、子供といっても働けるものは働くという考え方の村だから、こうやってふたりは村の外へ買い物に使わされている。
ウィルフレッドは体が弱い。これは生まれついての体質だから薬で治るようなものでなく、成長だけが解決の頼りというもの。ウィルフレッドと同い年でも体が頑丈な子供は、もう大人と一緒に狩りに出ている。
自分にできることはそこまで力仕事でない朝市の買い物のお供ぐらい。そのことはウィルフレッドの大いなるコンプレックスとなっていた。
そんなふたりの買い物業務も、フィオナの十五の誕生日で終わりとなる。ちょうど村を管理する領主のところに八人目の赤子が生まれて、フィオナがお世話係として呼ばれたから。お世話をするのは、その赤子ではなくて上の兄弟であった。
村を治める領主のところに働きに出ることは、一種の名誉職のようなものである。家の労働力が減ることにはなるけれど、家族はフィオナが指名されて大いに喜んだ。
フィオナ自身は指名されたといってもピンとこなくて、でも家族が喜んでいるからいいことなのだと思う。ただ、気がかりがひとつある。
「あんたさぁ、体に気をつけるのよ。いっつも本ばっかり読んで、知識を身につけるのはいいことだけど、少しは体を鍛えなさいよね! もう、あたし、いなくなっちゃうから、そのあたりはしっかりするのよ!」
そう、フィオナが気になるのはこの体の弱いウィルフレッドのこと。
口早にフィオナはいい放ち、ウィルフレッドから目を逸らした。そのまま川を眺めて、林檎を齧る。賄賂でくれた林檎は、見た目は悪いが確かに美味しかった。
「フィオナ、奉公に出たらもう二度と帰ってこれないの?」
「うーん、どうかな? お休みはあるっていっていたけど、どれだけ取れるのかわからない。っていうか、子供のお世話だから、その子供がある程度まで大きくなるまで付きっきりみたい」
こんなフィオナの回答に、ウィルフレッドは自分よりもずっと小さな子供が彼女の周りにたくさんくっついている姿を想像した。フィオナの両手がつながれているだけでなく、彼女の足元ではスカート越しに抱きついている幼児の姿が浮かぶ。
お隣さんということで、フィオナは幼い時分からウィルフレッドと行動を共にしていた。正確には、フィオナがいろいろ体の弱いウィルフレッドを気遣って、その流れでなんとなく彼のお世話係に落ち着いていた。朝市への買い物もその延長ではじまったようなものである。
こんなふうに今まではウィルフレッドだけがフィオナを独り占めできていた。でもそれは、もう来年の春で終了となる。
「そうなんだ。ま、僕だって、いつまでもフィオナの跡を追いかける子供じゃないし」
「ホント?」
「うん。僕だってもうすぐ十二になるし、体が強くない分、頭で勝負するしかないし。僕だって、負けないよ!」
と、ウィルフレッドは強がってみせた。
本音はこうやってふたりだけで勤めに出て、ふたりだけでこっそりと林檎を食べていたい。永遠にこの時間がずっと続いてほしいと思う。けれど、領主のところに働きに出るのは村ではとても名誉なことで、それについて大した子供でないウィルフレッドがケチをつけることはできない。
「ウィル、美味しいよ、この林檎。早く食べなよ」
フィオナにいわれて、まだ林檎を口にしていないことにウィルフレッドは気がついた。
春になればフィオナとお別れだと知らされて、知らず知らずのうちにショックを受けているウィルフレッドがいたのだ。
慌ててウィルフレッドも林檎を齧る。フィオナのいうとおり、林檎はとても美味しかった。
「うん……あ、美味しい。今朝はいい林檎をもらうことができた! フィオナはしっかり屋さんだから、誤魔化しがきかないと思っていいのをくれたんだよ」
「そうかしら?」
「そうだよ!」
ひとりで領主のところへいくフィオナを元気づけるように、ウィルフレッドはうんと彼女のいいところを褒めた。
ウィルフレッドが強がっているのと同様に、フィオナだって親元を離れて働きに出るのは不安でたまらないはずだ、そうウィルフレッドは感じ取っていた。
「ウィル……ありがとう」
対岸の小麦畑は収穫間近で黄金色。風が吹いてきて一斉に揺れた。その様は黄金色の海面のよう。
領主のところにいけば、もっと美味しいものがあるかもしれない。けれど、ウィルフレッドとしては、ふたりで一緒に食べた林檎の味を忘れてもらいたくないと思うのだった。
冬の間も朝市への買い物はあるけれど、雪が降った日は中止となる。だから、秋に比べて冬の買い物の回数はぐんと少なくなる。
ただでさえ少ないのに、今年の冬もウィルフレッドは熱を出したり、咳が止まらなくなったりして、フィオナの買い物のお供ができなかった。
フィオナの危惧どおり、あの川の側で林檎を食べた日が最後のふたりの仕事になったのである。
そうして春がやってきて、フィオナは十五歳になった。予定どおりフィオナは、雪解けと同時にふたつ隣町になる領主の住む町へ出発していった。
それはウィルフレッドがうっかり体を冷やし寝込んでしまった間のことだった。彼が平熱になって目を覚ましたときには、お隣さんの家族が減っていた。ウィルフレッドは母から回復の安堵の声をかけてもらったが、同時にフィオナのことも知らされた。
――あんたさぁ、体に気をつけるのよ。いっつも本ばっかり読んで、知識を身につけるのはいいことだけど、少しは体を鍛えなさいよね!
残り少ないフィオナとの時間を、熱を出してむざむざと逃してしまった。自分の体なのに、自分の体だからこそ、こんな虚弱体質であることを、ひどく不甲斐なく思う。
――うーん、どうかな? お休みはあるっていっていたけど、どれだけ取れるのかわからない。っていうか、子供のお世話だから、その子供がある程度まで大きくなるまで付きっきりみたい。
永遠の別れというわけではないけれど、時間の流れが遅い子供には、再会の瞬間が未来永劫やってくるようには思えない。ウィルフレッドは決まっていない遠すぎるフィオナの帰省に希望が持てなかった。
――もう、あたし、いなくなっちゃうから、そのあたりはしっかりするのよ!
うん、わかっている。わかっているよ。フィオナはいない。彼女のいうとおり、しっかりしなくてはと思う。
そしてこうも思う。自分はなんて力のない、またタイミングも悪いひ弱な子供なんだろう。何ひとつ、自分の思いどおりにならなくて、悔しくて堪らない。
もう会えないかもしれないというのに、フィオナを見送ることすらもできなくて、ただただ後悔の念しかない。こんな自分が嫌になる。
――ウィル、美味しいよ、この林檎。早く食べなよ。
美味しそうに林檎を頬張るフィオナの笑みが脳裏に浮かぶ。ベッドの上のウィルフレッドは母の差し出す食事になかなか手がつけられない。
「フィオナちゃんのことは残念かもしれないけれど、明るく笑って出発したわよ。ほら、ウィルも元気を出して。頑張っているのはウィルもフィオナちゃんも同じなんだから」
そんな母のセリフにウィルフレッドはハッとなる。住み慣れた村を出ていくフィオナのほうが、ずっと不安な気持ちのはず。でも彼女はそんなこと、おくびにも出していない。
「⋯⋯」
空腹なはずなのにいまひとつ、ウィルフレッドに食欲はない。ないけど、ウィルフレッドはパンを引きちぎって口に放り込んだのだった。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
ウィルフレッド少年にはたくましく成長してもらって、初恋の相手フィオナを迎えにいってもらいたいものです。
今回、月餅企画12に参加させていただきました。企画・運営をしてくださるありま氷炎さま、お疲れ様でした。作品を公開する機会をいただき感謝いたします。




