Final Episode 最後のトリック
1.
その日、世界は一人のハッカーの宣戦布告に震撼した。
『Nao』と名乗る正体不明の人物が、巨大IT企業AF…アルカディア・フロンティア社のCEO、神条アキラに対して、挑戦状を叩きつけたのだ。
『――今夜0時、お前の築き上げた全てを、奪いに行く』
全世界のニュースがこの話題で持ちきりになる中、神条アキラは余裕の笑みを崩さなかった。彼が作り上げた神の如きAI『ケルベロス』に守られた天空の城、AF社本社ビル。物理的にも、デジタル的にも、そこは侵入不可能な要塞のはずだった。
「面白い余興だ。返り討ちにして、私の伝説に華を添えてやろう」
神条は、全世界に向けた生配信で、不敵にそう語った。
その頃、九条奈緒の事務所では、「最後の晩餐」が開かれていた。メニューは、いつものカップ焼きそばではなく、西門寺が自腹で買ってきた、少しだけ高級なデリバリーピザだ。
「…本当に、勝算はあるのかね」
西門寺は、ピザを頬張りながら、不安げに言った。
「五分五分、ってとこだな」
奈緒は、コーラを飲みながら答える。
「だが、やるしかねぇだろ。奴の『プロジェクト・プロメテウス』が完成すれば、この世界の人間は、良くて家畜、悪けりゃAIに削除されるだけの存在になる」
「私は、私の正義を貫くだけよ」
三崎は、制服ではない、私服のジャケットを羽織りながら言った。
「今夜、AF社ビルの周辺で、大規模な通信障害と交通管制システムのトラブルが『偶然』発生する。あなたたちが動ける時間は、限られているわ」
三人の視線が、事務所の中央に置かれた、古びたLSIゲームに集まる。最終兵器と呼ぶには、あまりにも頼りないガラクタ。
「西門寺、カウンタープログラムの準備はいいな?」
「ああ。君がサーバーに到達し次第、いつでも起動できる」
「三崎さん、警察の突入は、あたしの合図があるまで絶対に動くな」
「…了解したわ」
奈緒は、最後のピザを口に放り込むと、狐の面を手に取った。
「さて、と。神様退治の時間だ」
2.
深夜0時。決戦の火蓋は切られた。
奈緒は、AF社ビルから数百メートル離れた廃ビルの屋上にいた。彼女の目の前には、ラップトップPCと、無数のケーブルで接続された、あのLSIゲームが鎮座している。
「第一段階、開始。いくぜ、あたしの『ノイズ・オーケストラ』」
奈緒は、LSIゲームから発せられる、予測不能で原始的な電子信号を、AF社ビル周辺の通信網に、ノイズの嵐としてばら撒いた。
AF社本社ビル、最上階。神条アキラの目の前のモニターに、AI『ケルベロス』からの警告が表示される。
『…警告。意味不明なジャンク信号を多数受信。解析不能。システムリソースの30%を、このノイズの解析に消費』
「何だ、この原始的な攻撃は…?」
神条は眉をひそめた。彼の完璧なAIが、初めて「理解できない」という反応を示したのだ。
「効いてる、効いてる」
奈緒は、さらにノイズの波状攻撃を仕掛ける。ケルベロスは、その未知の信号を脅威と誤認し、解析のために、ビル全体のセキュリティに割り当てていたリソースを、どんどん消費していく。
やがて、ビル内の照明が明滅し始め、監視カメラの映像が乱れ、エレベーターが階の途中で停止する。神の要塞に、最初の綻びが生まれた瞬間だった。
「第二段階。本丸に殴り込みだ」
奈緒は、ケルベロスが生み出した混乱の隙を突き、神条アキラの執務室にある、彼の個人サーバーへの侵入を開始した。
3.
サーバーという、デジタルの深海。そこで奈緒を待っていたのは、神条アキラ自身のアバターだった。黄金の鎧を纏い、神々しい光を放っている。
『来たか、奈緒。いや、今は『Nao』だったかな』
かつての仲間であり、全てを奪った裏切り者。
『私のケルベロスを、あんなガラクタで攪乱するとはな。君らしい、実にエレガントではないトリックだ』
「お前に、あたしのトリックの美学が分かってたまるかよ」
奈緒は、神条との会話もそこそこに、西門寺が開発したカウンタープログラムを起動した。
『――プロジェクト・プロメテウスを、削除します』
『何っ!?』
神条のアバターが、初めて焦りの表情を見せる。
「お前が作り上げた、歪んだ理想郷は、今日ここで終わりだ」
だが、奈緒の目的は、それだけではなかった。
「そして、これは、あたし個人の復讐だ」
奈緒は、神条の個人サーバーの奥深くに隠されていた、彼のプライベートウォレットにアクセス。そこに溜め込まれていた、天文学的な額の仮想通貨を、全て移動させ始めた。
送り先は、かつて神条が裏切った、奈緒の昔のハッカー仲間たち。そして、これまでのAF社の「実験」によって人生を狂わされた、全ての被害者たちの口座だった。
『やめろ! 私の資産が…!』
「お前の罪の清算だ。くれてやるよ」
物理世界では、三崎が動いていた。奈緒から送られてきた、神条の犯罪の決定的な証拠を手に、彼女は警察上層部への最後の賭けに打って出ていた。そして、その正義は、認められた。
AF社ビルに、特殊部隊(SIT)のヘリが接近する。
『奈緒、なぜだ! 君ほどの才能があれば、私と共に、この愚かな世界を支配できたのだぞ!』
「冗談じゃねぇ」
奈緒は、ディスプレイの向こうの宿敵に、最後の言葉を告げた。
「あたしは、神様にも、支配者にもなりたくねぇ。あたしはただの、電網魔術師だ。種も仕掛けもあるトリックで、お前みたいな、ふざけた神様を、人の世界に引きずり下ろす。…それが、あたしの魔術なんでね」
奈緒がエンターキーを叩くと、神条のアバターは、断末魔の叫びと共に、デジタルの塵となって消え去った。
4.
数週間後。
神条アキラは逮捕され、彼の犯罪の全てが白日の下に晒された。
アルカディア・フロンティア社は、その巨大な体を支えきれず、音を立てて崩壊した。世界は、大きな混乱に見舞われたが、同時に、一人のAIに支配されるという未来から、かろうじて救われたのだ。
奈緒の事務所。
壁を埋め尽くしていた、巨大な相関図は、もうどこにもなかった。
「やあ」
ドアを開けて入ってきたのは、西門寺と三崎だった。
「君のやり方は、決して社会的に許されるものではなかった。だが…」
西門寺は、言葉を続ける。
「…ありがとう。世界を、救ってくれて」
「別に。あいつがムカついただけだ」
奈緒は、そっぽを向いて答えた。
「私は、これから始末書地獄よ」
三崎は、そう言いながらも、その表情は晴れやかだった。
「でも、後悔はしていないわ」
事務所に、穏やかな沈黙が流れる。
それを破ったのは、奈緒だった。
「で?」
彼女は、二人に向き直り、いつものように不敵に笑った。
「次の依頼は、いつにする?」
その言葉に、西門寺と三崎は顔を見合わせ、呆れたように、しかし、どこか嬉しそうに笑った。
そして翌日。
奈緒は、自分のPCに目を落とす。そこには、あの小学生の少年から届いた、一件のメッセージが表示されていた。
『Naoさん、ありがとう! †漆黒の堕天使†くんと、今では一番の友達です!』
添付されたスクリーンショットには、二人のキャラクターが、仲良く並んで冒険している姿が映っていた。
奈緒は、ふっと息を吐くと、新しいカップ焼きそばのフィルムを破り、お湯を注いだ。
そして、スマホを取り出すと、西門寺にメッセージを送信する。
『【請求書】ピザ代、および、世界を救った感謝料』
すぐに返ってきた『君という人間は!』という返信を見て、電網魔術師は満足げに笑った。
(了)




