Episode.7 史上最弱の依頼人
1.
AF社との全面対決を前に、奈緒の事務所は静かな緊張感に包まれていた。いや、正確に言えば、奈緒だけはいつも通りだったが、今や定期的に訪れる西門寺と三崎が、勝手に緊張していた。
「神条アキラの個人サーバーへの侵入経路は、まだ見つからない。奴のセキュリティは、AF社のそれとは比較にならないほど、個人的で、偏執的だ」
奈緒は、壁のディスプレイに映る複雑なコードの羅列を睨みながら、カップ焼きそばの最後の一本を啜った。
AF社への反撃で世界を揺るがした彼女だが、その偉業に関わらずその懐事情は心許なくなっていた。むしろ、高級寿司代の請求書が西門寺から届き、悪化しているまである。
そんな時、事務所のドアが、おそるおそるノックされた。
「…どうぞ。死にたくなきゃ、セールスか勧誘じゃないことを祈るね」
ドアを開けて入ってきたのは、ランドセルを背負った、小学三年生くらいの男の子だった。
「あの…ここに行けば、どんなネットの悩みも解決してくれるって…」
少年は、スマホの画面を奈緒に見せた。そこには、都市伝説系のまとめサイトに書かれた『正体不明の天才ハッカー『Nao』に辿り着く方法』という、信憑性ゼロの記事が表示されていた。
「…で、坊やのお悩みはなんだい? テストの答えでも盗んでほしいのか?」
「ち、違います! オンラインゲームの、僕の最強の剣、『ギャラクシー・バスター』を、悪いやつに騙し取られたんです! 取り返してください!」
少年は、目に涙を浮かべて訴えた。奈緒は、盛大にため息をついた。
「子供の喧嘩は、親か先生に言え。うちは、そういうの、やってないんで」
奈緒が少年を追い返そうとした、その時だった。
「報酬は…これしかありません!」
少年が差し出したのは、一枚のキラキラ光るレアカードと、握りしめられた数枚の百円玉だった。
その瞬間、事務所の奥から、いつの間にか来ていた西門寺がぬっと現れた。
「九条君、まさか君、子供から金を取るつもりじゃないだろうな!」
「取るに決まってんだろ。こちとら生活がかかってんだよ」
「言語道断だ! それに、純粋な子供の心を弄び、大切なものを騙し取るなど、倫理的に決して許されることではない! この依頼、僕も協力する!」
なぜか拳を握りしめる西門寺。
さらに、その後ろから三崎も呆れた顔で現れた。
「…一応、オンライン上での詐欺事件の参考として、私も話を聞かせてもらうわ」
こうして、世界の危機を救うはずのチームは、ゲームのアイテムである一本の剣を取り返すため、子供の依頼に全力で取り組むことになった。
2.
「壮大な無駄遣いだな…」
奈緒は、AF社のサーバーを解析していた超高性能PCを使い、オンラインゲームのサーバーに、いとも簡単に侵入した。
「犯人のプレイヤー名は『†漆黒の堕天使†』…。中二病まるだしだな」
「西門寺先生! 彼の行動パターンをAIで解析した結果が出ました!」
西門寺の研究室の助手から、オンラインで報告が入る。
「彼は3時間後、ゲーム内の『嘆きの火山』エリアに、92.4%の確率で出現します!」
「よし! 待ち伏せだ!」
なぜか一番乗り気な西門寺。
「あの…三崎さん」奈緒は、スマホでどこかに連絡している三崎に声をかけた。「まさかとは思うが、その†漆黒の堕天使†とやらを、職権濫用してリアルで特定しようとしてるんじゃないだろうな?」
「…さあ、何のことかしら。ただ、この近くに住む高校生が、最近、フリマアプリでゲーム内アイテムを売って、高額な利益を得ているという『噂』がある、とだけ言っておくわ」
「公権力の無駄遣いがすぎるだろ…」
三人は、それぞれの(間違った)能力を最大限に活用し、†漆黒の堕天使†を追い詰めていった。
3.
ゲーム内、嘆きの火山の頂上。
†漆黒の堕天使†が、戦利品である『ギャラクシー・バスター』を自慢げに掲げている。その時、彼の目の前に、狐の面をつけた奈緒のアバターが現れた。
『†漆黒の堕天使†さん、こんばんは。あなたの悪行も、ここまでです』
チャット欄に、奈緒からのメッセージが表示される。
『な、なんだお前は!?』
『ただの通りすがりの魔法使いよ。さて、その剣を、持ち主に返しなさい』
『嫌だね! これは俺様のもんだ!』
†漆黒の堕天使†がそう返信した瞬間、彼のゲーム画面が、奇妙な表示に切り替わった。ゲームの背景が消え、代わりに、西門寺の満面の笑みのブロマイド写真が、壁紙として強制的に表示されたのだ。
『な、なんだこれーーー!?』
『言うことを聞かない悪い子には、お仕置きが必要ね』
奈緒は、彼のPCのあらゆるフォルダに、西門寺のブロマイド(奈緒がふざけて作ったコラ画像)を送り込み、増殖させ始めた。
『言うことを聞かないなら、君のPCの全データを、このおじさんの笑顔で埋め尽くすけど、いい?』
『わ、分かりました! 返します! 返しますから、これだけは許してください!』
†漆黒の堕天使†は、泣きながら『ギャラクシー・バスター』を、少年の元へ返却した。
4.
事件は、無事に解決した。
少年は、奈緒に深々と頭を下げ、報酬として、例のカードと百円玉、そして「おばあちゃんの駄菓子屋の倉庫から出てきた」という、古びた箱を差し出した。
「こんなガラクタ…」
奈緒は、箱の中身を見て、最初はがっかりした。それは、1980年代に流行した、単機能のLSIゲームだった。液晶画面に、単純なドット絵が表示されるだけの、原始的な電子玩具。
西門寺と三崎が、くだらない事件に付き合わされたと、ため息をつきながらも楽しげに帰っていく。
一人になった事務所で、奈緒は、その古いおもちゃの電源を入れてみた。ピッ、ポッ、という、単純な電子音。
彼女は、何気なくその玩具を分解し始めた。むき出しになった、単純な電子回路。CPUと呼ぶのもおこがましい、小さなチップ。
それを眺めていた奈緒の脳裏に、閃光が走った。
AF社のセキュリティAI『ケルベロス』。それは、あまりに高度で、複雑で、最新のデジタル技術の集合体だ。だからこそ、学習していない「あり得ない攻撃」には、対応できないのではないか?
例えば、量子コンピュータが解けない問題を、そろばんが解いてしまうように。
最新鋭のAIは、予測不能なほどに「単純」で「原始的」なアナログノイズや、デジタル以前の電子信号に対して、致命的な脆弱性を持つのではないか?
奈緒は、LSIゲームの回路を、自身のPCに接続した。そして、その原始的な信号を解析し、増幅させるプログラムを、猛烈な勢いで書き始めた。
「…攻略法見つけたぜ、神条アキラ」
奈緒の口元に、宿敵を前にした時とは違う、純粋なハッカーとしての、獰猛な笑みが浮かんでいた。「お前が作った神の『アキレス腱』をな」
最終決戦の鍵は、ハイテク兵器ではない。誰もが見向きもしなかった、ガラクタのおもちゃ。
電網魔術師の最後のトリック攻略は、誰もが予想しない形で作られようとしていた。




