Episode.6 狙われた二人
アルカディア・フロンティア社からの宣戦布告は、静かに、しかし確実に実行された。物理的な襲撃ではない。奈緒が最も警戒し、そして最もAF社が得意とするやり方――ターゲットの「社会的信用」を抹殺する、陰湿な攻撃だった。
最初の異変は、西門寺富之助の研究室で起きた。
「あり得ない…!」
西門寺は、自身のPCの前で絶句していた。彼が数年前に発表した論文の生データが、僅かに、しかし悪意をもって改竄されていたのだ。そして、その改竄を指摘する匿名の告発が、まるでタイミングを合わせたかのように、有名大学の不正を追及するネット掲示板に投稿された。
『未来科学研究所・西門寺助教に、研究データ捏造の疑い』
スレッドは瞬く間に燃え上がり、西門寺の元には、大学のコンプライアンス委員会から事情聴取の通知が届いた。
時を同じくして、三崎里美にも魔の手は伸びていた。
「――君が、捜査情報を民間の協力者に漏洩しているという、内部告発があった」
警視庁の一室で、上司である課長から、苦虫を噛み潰したような顔で告げられる。
彼女のPCからは、奈緒と通信した記録、そして本来ならアクセスできないはずの事件ファイルを開いたという、偽造されたログが見つかった。
「これは、罠です!」
三崎は強く否定するが、状況は最悪だった。彼女は捜査の一線から外され、自宅謹慎を命じられた。
学者生命を絶たれようとしている科学者と、警察官としての誇りを汚された刑事。AF社は、奈緒の「手足」を、まずその土俵で無力化しようとしていた。
2.
「…やられたな」
奈緒の事務所に、三人が集まっていた。西門寺は憔悴しきっており、三崎は悔しさに唇を噛んでいる。奈緒は、二人が受けたサイバー攻撃のログを、冷徹な目で分析していた。
「手口が巧妙すぎる。西門寺のPCへの侵入経路は、大学の公式なソフトウェア・アップデートに偽装されている。三崎さんのPCログ偽造は、警察内部のネットワークメンテナンスの記録に紛れ込ませてある。どちらも、AF社の仕業だと証明するのは、ほぼ不可能だ」
「私はどうすれば…」西門寺は頭を抱えた。「このままでは、私は学会から追放される…」
「私も、このままでは懲戒免職よ。AF社を追うことすらできなくなる」
二人の絶望的な言葉を聞きながら、奈緒は黙ってキーボードを叩き続けていた。彼女のディスプレイには、二つの攻撃のタイムラインと、膨大なデータパケットの流れが、立体的に可視化されていた。
そして、彼女は一つの違和感に気づく。
「…おかしい。攻撃のタイミングが、わざとずらしてある」
奈緒は呟いた。
「西門寺への攻撃と、三崎への攻撃。どちらもAF社内の別々のサーバーから実行されている。そして、二つの攻撃の間には、数時間の空白がある。まるで、俺が片方の対応に追われている隙に、もう片方を仕掛けるような…」
その瞬間、奈緒は全てを理解した。
これは、西門寺と三崎を潰すための攻撃ではない。それ自体が、巨大な「陽動」なのだ。
「…そういうことかよ、AF社」
奈緒の目が、危険な光を宿す。
「あんたらの本命は、こいつらを助けようと躍起になる、あたしのPCだろ?」
AF社の真の狙い。それは、仲間を助けるために奈緒が必ず動くことを見越し、彼女が防御を固める前に、その思考の隙を突いて、彼女自身のシステムを破壊すること。
奈緒の「仲間を守る」という感情そのものが、AF社の仕掛けた、最大の罠だったのだ。
3.
「――今だ!」
AF社のサイバーセキュリティ部門。攻撃を指揮するリーダーが、GOサインを出した。彼らの監視システムが、奈緒のPCから、西門寺と三崎のPCに、防御プログラムを送信するのを捉えた。その瞬間、奈緒のシステムのファイアウォールに、僅かな隙が生まれる。
「本命を送り込め! あの電網魔術師を、今度こそデジタルのがれきの底に沈めてやれ!」
AF社が開発した、最強の攻撃プログラムが、奈緒のPC目掛けて放たれた。
だが、そのプログラムが奈緒のシステムに到達することはなかった。
「――おとりサーバー(ハニーポット)へ、ようこそ」
奈緒は、AF社の攻撃を、わざと脆弱性を開けておいたダミーのサーバーに誘導していたのだ。彼女は、AF社の狙いを完璧に読んでいた。
「まんまと罠にかかったな、間抜け。今度はこっちの番だ」
AF社の攻撃AIが、偽のサーバーデータに食いつき、その中身を解析しようと夢中になっている、その一瞬。奈緒は、逆にその攻撃経路をハイジャックし、AF社の攻撃サーバーそのものへと、侵入路を切り開いた。
「もらうぜ、お前らの『犯行声明』!」
奈緒は、AF社のサーバーから、西門寺と三崎のデータを改竄したオリジナルのログ、そして今回のサイバー攻撃を指示した命令書を、一瞬で抜き取った。
だが、彼女の反撃は、それだけでは終わらなかった。
「全世界に、AF社の『本当の顔』を、見せてやるよ」
奈緒は、奪取したばかりの「証拠」を匿名化し、AF社の攻撃サーバーを踏み台にして、世界中の著名なサイバーセキュリティ専門家、ジャーナリスト、そして各国の政府機関に、一斉送信したのだ。
『――これは、巨大IT企業AF社による、不正なサイバー攻撃の記録である』
4.
奈緒が放った「爆弾」は、世界を震撼させた。
AF社が、大学や警察機関にサイバー攻撃を仕掛けていたという動かぬ証拠は、瞬く間に拡散された。
AF社の株価は暴落し、世界中から非難の声が殺到。各国の規制当局も、一斉に調査に乗り出した。奈緒というたった一人のハッカーが、巨大企業の牙城を、初めて大きく揺るがした瞬間だった。
もちろん、奈緒がリークした証拠によって、西門寺と三崎への疑惑は完全に晴れた。それどころか、二人はAF社の不正を暴いた、悲劇のヒーローとして扱われることになった。
「…信じられない。君は、一体何をしたんだ…」
西門寺は、自身の潔白が証明されたにもかかわらず、奈緒のやり方のスケールの大きさに、ただ呆然としていた。
その夜、全世界が注目する中、AF…アルカディア・フロンティア社のCEO、神条アキラが、緊急記者会見を開いた。憔悴した様子で現れた彼は、しかし、カメラの前でこう言い放った。
「我々は、悪意ある第三者による、極めて悪質なサイバー攻撃の被害者です。何者かが、我々のサーバーに侵入し、データを盗み出し、それを偽造して、我々を陥れようとしています」
あくまで被害者を装う神条。だが、その瞳の奥には、奈緒だけが見抜ける、冷たい光が宿っていた。そして、彼は会見の最後に、まるで誰かに語りかけるように、不敵な笑みを浮かべた。
「だが、我々は屈しない。真実は、必ず明らかになる」
奈緒は、事務所のディスプレイに映るその顔を、食い入るように見つめていた。
神条アキラ。かつて、奈緒が所属していたハッカー集団を裏切り、その技術を奪ってAF社を創り上げ、そして、邪魔になった奈緒を「炎上」という地獄に突き落とした、張本人。
忘れるはずのない、宿敵の顔。
「――見つけたぞ」
奈緒は、ディスプレイの中の神条を、真っ直ぐに睨みつけた。
「お前の顔、絶対に忘れねぇ」
個人的な復讐は、今、世界の命運を賭けた、宿命の対決へと姿を変えた。電網魔術師と、神を名乗る男の、本当の戦いが、ついに幕を開ける。




