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Episode.2  AIが招く亡霊事件

1.


「――お願いです、西門寺先生! あの人は…主人は、まだこの家にいるんです!」


 未来科学研究所の助教、西門寺富之助は、目の前で泣き崩れる初老の女性を前に、深い憂慮と共に頷いた。依頼主は、先日急逝したIT企業の創業者、長谷川雄三氏の未亡人、小夜子。彼女は、亡き夫の「亡霊」に悩まされているという。


「昨夜も…書斎のスマートスピーカーから、主人の声が…。『小夜子、なぜ私を見殺しにした』と…」

「奥様、それは…」

「それだけではありません! テレビが勝手についたり、お掃除ロボットが夜中に動き出したり…。主人が、私を責めているんです!」


 西門寺は眉をひそめた。典型的なポルターガイスト現象。だが、話がそう単純でないことは、彼女が持参したスマホの映像が物語っていた。

 そこには、暗い廊下の向こうから、ぼんやりと人影が浮かび上がる様子が記録されていた。それは紛れもなく、今は亡き長谷川雄三その人の姿だった。


「…これは、ディープフェイクですね。極めて精巧な」

 西門寺は断言した。AI倫理学者として、この技術の危険性は熟知している。故人のデジタルデータを学習させ、生前そっくりのアバターを作り出すサービスは、既に存在する。だが、これは慰めや追悼の域を遥かに超えた、悪意の塊だ。


「誰が、何のために…」

 小夜子は夫の莫大な遺産の相続人だった。動機のある人間は、掃いて捨てるほどいるだろう。

 西門寺は、この「テクノロジーを利用した、最も卑劣な嫌がらせ」に、学者として強い憤りを感じていた。しかし、ディープフェイクの出所を特定し、IoT機器へのハッキング経路を突き止めるのは、彼の専門外だ。


 今回もまた、あの忌々しくも頼らざるを得ない、天才の力を借りるしかないのか…。

 西門寺は、前回の寿司代の請求書を思い出し、重い、重いため息をついた。


2.


「報酬は前回の倍。それと、あんたがこの前、学会で発表した最新のAI挙動解析プログラムのソースコード。それが条件だ」


 四畳半の城の主、九条奈緒は、新品の最高級ゲーミングチェアにふんぞり返り、足を組んで言った。部屋には前回以上に機材が増え、床の空きスペースはさらに減少している。彼女は、西門寺が持ってきた事件の概要を一瞥すると、すぐに金の匂いを嗅ぎつけたようだった。


「君ねぇ! あのプログラムは私の研究の根幹で…」

「じゃあ交渉決裂。他をあたってくれ。まあ、あんた以外にこんな厄介事を持ち込んでくる物好きも、あたし以外にこれを解決できる変人も、日本にはいないだろうけどな」


 奈緒は、前回の報酬で買ったらしい黒縁メガネ型VRゴーグルを装着し、仮想空間の粘土をこね始めた。完全に交渉を打ち切る姿勢だ。

 西門寺は歯ぎしりした。腹立たしい。実に腹立たしいが、彼女の言う通りだった。


「……分かった。コードは渡そう。だが、くれぐれも悪用は…」

「するに決まってんだろ」奈緒はゴーグルを外し、悪戯っぽく笑った。「契約成立だ。で、亡霊のデータは?」


 奈緒はデータを受け取ると、水を得た魚のようにキーボードを叩き始めた。その瞳はもはや、目の前の西門寺など映してはいない。デジタルの深淵に潜む、獲物だけを見据えていた。

「なるほどね…。レンダリングの癖、音声合成の微細なノイズ…。こいつは、オープンソースの生成モデルをカスタムしたやつだ。だが、学習データが膨大すぎる。故人のSNSやブログだけじゃ、このレベルの『人格』は再現できない…」


 奈緒は呟き、何かを閃いたように指を走らせる。

「おい助教。故人のPCやスマホ、クラウドストレージのデータは?」

「警察が押収し、現在は三崎刑事が…」

「チッ、面倒な。まあいい」


 奈緒は不敵に笑うと、ディスプレイに複雑なネットワーク構成図を映し出した。

「幽霊ってのはな、必ず『通り道』を残すんだよ。デジタルの幽霊なら、なおさらな」


3.


 警視庁サイバー犯罪対策課の三崎里美は、長谷川家の入り組んだ人間関係の図を睨みつけていた。遺産を狙う雄三の弟、事業の乗っ取りを企む元共同経営者、雄三に愛人がいたと主張する謎の女…。誰もが怪しく、誰もが決定的な証拠に欠ける。


 そこへ、西門寺から連絡が入った。九条奈緒が、捜査への協力を求めている、と。

「彼女に捜査資料を? 冗談でしょう」

 三崎は即座に拒絶した。前回の、配信ジャックという無茶苦茶なやり方は、警察組織の中で大きな問題となっていた。

「ですが三崎刑事、彼女は既に、犯人が使っているディープフェイクのAIモデルを特定し、その学習データに、警察が押収したPCの中からしかアクセスできないはずの『非公開の日記』データが使われている可能性が高い、と指摘しています」


「…なんだと?」

 三崎は絶句した。警察の内部情報が漏れているのか? いや、違う。九条奈緒が、外側から、自分たちよりも深く、事件の核心に触れているのだ。

 三崎は、プライドと現実の間で揺れながら、渋々、奈緒との面会をセッティングした。


「で、刑事さん。あんたらの捜査じゃ、幽霊は捕まえられないだろ?」

 奈緒は、三崎を前にしても、態度は一切変わらなかった。

「これは、ただのハイテクを使った嫌がらせじゃない。被害者の行動をリアルタイムで監視し、最も効果的なタイミングで『怪奇現象』を起こす、極めて計画的な心理攻撃だ。犯人は、家のネットワークに完全に侵入している」

「…何が言いたいの?」

「次の『降霊』の時間を予測した。今夜11時。あんたたちが家に踏み込んでも、犯人はすぐにサーバーのデータを消して逃げるだろう。だから、こっちから仕掛ける」


 奈緒は、自作のUSBメモリをテーブルの上で弄びながら言った。

「幽霊には、幽霊をぶつけるんだよ」


4. 「令和の種明かし」


 深夜、長谷川邸。息を殺して待機する三崎と捜査員たち。西門寺も、固唾を飲んでその様子を見守っていた。

午後11時。予告通り、現象は始まった。

 リビングの照明が不気味に明滅し、テレビの電源が勝手に入る。そして、スマートスピーカーから、あの世からの声のような、亡き雄三の声が響き渡った。


『小夜子…なぜだ…』


 だが、その声はすぐにノイズに掻き消された。そして、スピーカーから響き始めたのは、全く別の、しかしどこか聞き覚えのある、合成音声だった。


『――さて、皆様。茶番はここまでです』


 奈緒の声だ。彼女は、犯人のシステムを逆探知し、コントロールを乗っ取ったのだ。

 テレビ画面に映し出されていた砂嵐が晴れ、そこに現れたのは、狐の面をつけた奈緒のアバターだった。


『今宵のお客様は、長谷川雄三氏の弟、長谷川健二さん。あなたですね?』


 アバターは、トリックの全てを語り始めた。

『あなたは、兄である雄三氏が、生前から家庭内のIoT機器を全て連動させる、スマートホームシステムを構築していたことを知っていた。そして、そのシステムの管理権限を、兄の死後、不正に奪取した』

『あなたは、兄がクラウドに残した膨大なボイスメモや動画、そして誰にも見せていなかったデジタル日記をAIに学習させ、本物そっくりの亡霊を作り上げた。そして、家の監視カメラや奥様のスマホのGPSから行動を監視し、彼女が一人きりで、最も精神的に弱っている瞬間を狙って、このデジタル降霊術を仕掛けていた』


 画面が切り替わり、健二の自宅のPCのデスクトップ画面が映し出される。そこには、彼が遠隔操作で長谷川家のIoT機器を操っている、生々しい証拠が映っていた。


『古典的な奇術と同じさ。観客の注意を「亡霊」という現象に引きつけておいて、その裏でコソコソとワイヤーを操る。あんたのトリックは、それのデジタル版ってだけ。だが、残念だったな』


 狐のアバターは、不気味に笑う。

『あんたが作り出したその亡霊、今、私がもらった。そして、あんたがハッキングに使ったツールやログは、全て保全して、警察に転送済みだ』


 その瞬間、三崎が部下たちに合図を送った。

「突入!」


5.


 事件解決後、奈緒の事務所。


 西門寺は、AI技術の倫理的な利用について、いつも以上に熱弁を振るっていた。

「故人の尊厳を弄ぶなど、断じて許されない! この技術には、厳格な法規制とガイドラインが…」


 しかし、当の奈緒は、彼の言葉など全く聞いていなかった。彼女は、今回の「戦利品」である、犯人が使っていたハッキングツールの解析に夢中だった。それは、かなり高度で、闇市場では高値で取引される類のプログラムだった。


「ふーん、この脆弱性突いてたのか。なるほどねぇ…」

「聞いているのか、九条君!」

「ああ、聞いてる聞いてる」


 奈緒は顔を上げると、にやりと笑った。

「なあ助教。このツール、犯人が使ってたやつより、あんたがあたしにくれた解析プログラムの方が、よっぽどヤバいぜ? これを使えば、ディープフェイクでっち上げて、気に入らない奴を社会的に抹殺することだって可能だ」

「なっ…!?」


 青ざめる西門寺。そこへ、呆れたような声が響いた。

「九条、あなた、また余計なことを考えているんじゃないでしょうね」

 いつの間にか部屋の入り口に立っていた三崎が、鋭い目で奈緒を睨みつけていた。


「さあ? 商売道具は、常に最新の状態にアップデートしておかないとな」


 奈緒は悪びれもなくそう言うと、解析プログラムのソースコードを、自分のツールに組み込み始めた。


 それを見た西門寺と三崎は、顔を見合わせ、揃って深いため息をつくしかなかった。この電網魔術師を野放しにしておくのは、社会にとって果たして有益なのか、害悪なのか。

答えは、まだ誰にも分からなかった。

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