粉暦516年 ― 交易戦争勃発
冬が終わりかけた大陸北部。
群青山中の砲台から、平野の天鳴会北部駐屯地までの距離を測る兵士たちがいた。
砲口の先はまだ火を噴いてはいないが、誰もがその日が近いと感じていた。
開戦のきっかけ
粉暦516年2月、青麦商会が群青との通商協定を正式に破棄した。
その直後、天鳴会が商会を護衛する名目で北部交易路に大規模な兵力を展開。
これに対抗するため、群青砲兵隊は北槍団の再建途中の騎兵と、黒川連合の歩兵を前線に配置した。
兵力差は明らかだったが、群青側は砲撃による防衛を武器に戦争に踏み切った。
山岳、草原、港町が同時に戦場となり、軍の機動力と補給能力が勝敗を左右した。
同盟戦争
群青側は北槍団、森影の狩人団、白環鉱山組合などが参戦。
天鳴会側は青麦商会、南部港湾同盟、鉄角傭兵団を引き入れた。
交易路制圧
双方が互いの補給路を狙い、貨物の奪取や港封鎖が頻発した。
主要戦場の状況
山岳戦線:群青砲兵隊が防衛優位。天鳴会は砲撃被害を避けるため山麓で膠着。
草原戦線:天鳴会傭兵団が優勢。北槍団は騎兵不足で後退。
港湾戦線:群青同盟の風灯港商人会が防衛するも、南部港湾同盟が封鎖を強化。
序盤の評価
この時点で双方の被害は拮抗していたが、群青側は補給線を短く保てる山岳戦で粘る戦術を維持。
天鳴会は兵力差で押し切る算段だったが、補給妨害で計画は遅れていた。
春が訪れると、雪解け水で川は増水し、平野から山岳への進軍路は泥に覆われた。
天鳴会は兵数で圧倒していたが、この季節の自然は群青側に味方していた。
群青側の奇襲 ― 港湾奪取作戦
粉暦516年4月、群青同盟の風灯港商人会が大胆な提案を行った。
南部港湾同盟が封鎖している港を、海からではなく背後の湿地帯経由で奪うというものだ。
群青は森影の狩人団と灯砂の隊を派遣し、湿地帯を夜間行軍。
半月かけて港背後に潜入し、夜明けと同時に砲撃を開始した。
参加兵力:群青砲兵隊 1,500、森影の狩人団 500、灯砂の隊 300
戦闘時間:3時間半
結果:港湾同盟守備兵の3割が戦死、残りは降伏
戦利品:穀物2,000俵、火薬樽150、金貨5,000枚
港の奪取は群青側に新たな補給拠点を与え、海上交易の一部が再開された。
天鳴会の報復 ― 草原一気制圧
港を失った報告を受けた景虎は即座に草原戦線への兵力集中を命じた。
天鳴会傭兵団と本隊の騎兵部隊が合流し、北槍団の陣地に総攻撃を仕掛けた。
参加兵力:天鳴会騎兵 8,000、弓兵 4,000
戦闘時間:5日間の連続戦
結果:北槍団の拠点3つを喪失、群青同盟騎兵は半減
戦利品:馬600頭、穀物800俵
この一撃で草原戦線は完全に天鳴会が掌握。
群青同盟は山岳戦線と港湾戦線の二面防衛に追い込まれた。
戦況の揺れ
初夏時点での勢力図は、山岳・港湾を群青側が、草原を天鳴会側が制する形となった。
双方の損害(開戦から5か月)
群青側の戦死者は5400人、馬200頭、火薬樽60、草原拠点喪失
天鳴会側の戦死者は6100人、穀物2,800俵、港湾拠点喪失
戦争の長期化
双方とも決定的な勝利を得られず、戦争は消耗戦の様相を帯び始めた。
補給路の確保、同盟国の維持、兵士の士気――すべてが戦局を左右する要因となっていた。
秋の始まりとともに、戦局は突如として大きく動いた。
原因は、天鳴会の港湾戦線における補給崩壊だった。
補給線の切断
群青砲兵隊は港湾拠点を足がかりに、南部交易都市への砲撃と封鎖を強化。
さらに風灯港商人会の船団が海上から天鳴会の補給船を襲撃し、穀物と火薬を奪い取った。
天鳴会北部軍の食糧は三週間分しか残らず、草原戦線の兵も飢えに直面した。
草原戦線の崩壊
飢えた兵は戦意を失い、北槍団と黒川連合の連携攻撃によって防衛線はあっけなく崩れた。
天鳴会の傭兵団は契約解除を要求し、戦線を離脱。
わずか十日で、天鳴会は北部草原を完全に喪失した。
鳴京への進軍
群青砲兵隊は山岳から平野へ進出し、鳴京の手前30キロ地点に砲台を設置。
砲口が都心を向いた瞬間、天鳴会内部で動揺が広がった。
景虎は徹底抗戦を主張したが、重臣たちは降伏を選んだ。
降伏と条約
粉暦516年10月、天鳴会は正式に降伏。
条約内容は過酷であった。
領土の半分(北部草原・西港湾部)を群青同盟へ割譲
兵力を半減(30万人 → 15万人)
年間穀物税の納付義務
群青砲兵隊による駐屯権の容認
トップの失踪
降伏調印から三日後、総帥景虎・シュウレンは姿を消した。
護衛も連れず、夜明け前に鳴京を出たとだけ記録に残る。
彼の行方は今も不明だが、噂では南部港湾に身を潜めているとも、敵国に渡ったとも言われた。
新総帥の就任
景虎の失踪後、天鳴会の議会は混乱の末、財務長官であった蓮水・ハクゲンを新総帥に選出。
ハクゲンは温和な交渉家として知られており、群青同盟との和解を最優先とした。
しかし、内部には「復讐派」も少なくなく、組織は表面上の安定を保ちながらも火種を抱え続けることになった。