第一話 盲目の毒手使い
ネオンが乱反射する夜の繁華街。酔っ払いが数人、肩を組みながら千鳥足で歩いていた。
「部長のバカヤロウが!死んじまえ!」
アルコールの勢いに任せた罵声が、通りに響く。行き交う人々がチラリと彼らに目をやるが、すぐに顔をしかめ、足早に距離を取った。
その先に、一人の老人が杖を突きながらゆっくりと進んでいた。着古したボロボロの衣服、長く伸び放題の髪と爪と鼻毛、そしてなにより、周囲の鼻を突くような異臭。強烈なアンモニア臭が立ち込め、通行人たちは眉をひそめ、足を止めることすら嫌がるように避けていく。
「うわっ……くっせぇえな、この野郎!」
酔っ払いの一人が鼻をつまみ、顔をしかめながら吐き捨てる。
「なんだよ、浮浪者か?なぁ、ゴミはゴミ箱へ、ってな!」
そう言うなり、男は勢いよく老人の腹を蹴り飛ばした。
「ぐっ……!」
老人の体が吹き飛び、道端のゴミ捨て場に突っ込む。腐った生ゴミがはじけ、汚れた布が舞う。
酔っ払いは腹を抱えて笑った。
「アハハハ!マジでゴミになったぜ!」
笑いながら、ふらつく足取りで去っていく。だが、その歩みが突然止まった。
「……あ?」
腹に違和感を覚えた男は、ふと手を伸ばす。シャツには鮮やかな紅い染みが広がっていた。
「なんだこりゃ……?」
指先で血を拭った瞬間、視界がぼやける。
「っ……うぐぅ……!」
喉の奥から鉄の味がこみ上げ、口から血の塊を吐き出す。脚がふらつき、地面が急に遠のいたような感覚に襲われた。
「おい、大丈夫か?」
仲間の声が遠くなる。意識が揺れ、頭ががくんと傾く。
ドサッ──。
酔っ払いは仰向けに倒れたまま、二度と動くことはなかった。
ゴミの中から、老人がゆっくりと身を起こす。杖を手探りで拾い、立ち上がると、
「いやなぁ都政だねぇええ」と呟いた。
左手の毒手の爪には血が滲んでいた。
そして、何事もなかったかのように夜の闇へと消えていった。
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街角の片隅、雨上がりの路地に小さなダンボール箱が置かれていた。その前に座るのは、一人の盲目の老人。
彼の髪は白く、肌はしわくちゃに縮み、衣服は汚れにまみれていた。だが、ただの物乞いにしてはどこか異様な雰囲気を漂わせている。
老人は左手に革の手袋をしている。そして静かに手を合わせ、道行く人々に向かって小さな声でつぶやいた。
「ご慈悲を……ご慈悲を……」
そんな彼の前に、一人の男が立ち止まった。
黒いスーツに身を包み、鋭い目つきをしたヤクザ者。彼は無造作に懐から分厚い札束を取り出し、それをダンボール箱へと投げ入れた。
バサッ──。
「おじいちゃん、100万円 だよ」
ヤクザの男はニヤリと笑う。
老人は手探りで箱の中の札束を確かめた。震える指先で一枚一枚撫でるように触れ、その存在を確かめると、深く頭を下げた。
「……ご慈悲、ありがとうございます……」
「もっと欲しいか?」
ヤクザの問いに、老人は顔を上げた。白濁した瞳は虚空をさまよっている。
「……わしの命は、そう長くない……。もっと……欲しいです……」
その言葉を聞いたヤクザは口の端をつり上げ、低く笑った。
「なら、おじいちゃんにいい話があるぜ」
懐から煙草を取り出し、ゆっくりと火をつける。そして、紫煙をくゆらせながらこう言った。
「今度、闘技場で殺し合いの大会がある。命を懸けた真剣勝負だ。優勝すれば1000万円 くれてやるぜ」
1000万円。
老人の顔に、ゆっくりと笑みが浮かんだ。
「欲しいです……どうせ死ぬ命……喜んで、参加します……」
ヤクザは満足そうに頷き、煙を吐き出す。
「いい返事だな、おじいちゃん」
地下格闘技場(非合法なヤクザの大会)は、間もなく京都で開催をされる。
岡崎洋介の最初の対戦相手は「盲目の毒手使い、名無しの権平」にマッチングされるのだった。




