維新の嵐
日本はまだ、一つの国ではなかった江戸時代の末期。 1853年、浦賀湾へアメリカ軍艦がやってきた。この有名なペリー来航により、外国人を日本から追い払うべきだという、尊王攘夷運動が始まった。坂本竜馬や中岡慎太郎といった志士たちと共に、徳川幕府の打倒を目指していたが、岡田以蔵はその過程で暗殺行為を含む過激な手段を取るようになった。
岡田以蔵は、その強い剣術と、非情な性格から「天誅(暗殺)の名人」の異名を取る。そして、暗殺任務をこなす一方で、彼は幕府の要人や反抗者を次々と斬り殺していく。
坂本龍馬の依頼で、勝海舟を護衛をしたことがあった。その時、勝海舟に襲い掛かってきた野党を岡田以蔵は、無表情で首を斬り捨てた。
勝海舟は、あまりの手際のよさに岡田以蔵へ
「おめえさん、人をやたら斬るのは感心しないねえ」
と忠告したところ
「俺がいなけりゃ、先生の首こそ、そこに転がっちょったやろう」
岡田以蔵は答えた。さすがに、これには勝も(その通りだ)と認めざるを得なかった。
彼には信念があった。
【悪は天の裁きを下さなければならない。誰がやるのか、それは己であると】
岡田以蔵の剣術は、暗殺武術であり、目つぶしや金的や不意打ちと暗闇の中で素早く相手の急所を狙う殺しに特化した卑怯な戦法である。その暗殺武剣は、同じ志士たちにも恐れられ、蔑まれ、軽蔑された、そして倒幕の志士たちとは疎遠となり、次第に独自の道を歩むことになる。
1865年(慶応元年)、岡田以蔵は土佐藩で裏切り者として密告され人斬りとして、人相書が出回った。夜の闇が京の街を包み込む中、岡田以蔵はひときわ冷徹な目で周囲を見渡していた。長い髪を束ねたその姿は、まるで影のように、どこにでも溶け込む。彼の足音は静かで、まるで足元の土までが彼の存在を感じ取らないかのようだった。
「岡田以蔵、いざぎよく、お縄につけ」
突如、暗闇の中から響いた声とともに、岡田は一瞬、動きを止めた。その声には見覚えがあった。土佐藩の若い藩士たちだ。岡田が仕留めてきた裏切り者たちの仲間であり、彼に対しての憎しみを抱き続けていた者たちだ。
「来るか……」
「お前たちが俺を捕らえるなど、出来るわけがない」
だが、その挑戦的な言葉にも関わらず、岡田の背後からさらに二人の藩士が現れた。その手には、鉄の縄が握られていた。
「……できる。」
声を発したのは、彼の知る藩士たちの中でも最も冷徹な男であった。岡田はその男の目をじっと見つめ、反応を見せることなく、わずかに体を傾けた。
「剣を交えるつもりはない。」
彼は低い声で、まるで予め決めていたかのように言った。その言葉に、藩士たちは少しだけ動揺したが、後ろの者たちが一斉に彼を取り囲む。その瞬間、岡田の目が鋭く光った。
「だが……」
彼の言葉が途中で途切れる。素早く足を踏み出した岡田は、瞬時に一人の藩士に斬りかかる。その速さは、まるで影のように一瞬であった。だが、すぐに後ろから強い手が彼を捕らえ、縄が彼の手首を縛り上げる。
「これで終わりだ、岡田以蔵。」
男の言葉に、岡田は無言で立ち尽くしていた。血が流れることもなく、ただ縄に手を縛られたまま、彼は静かに目を閉じる。かつて感じた、死と隣り合わせの戦いの中で最も静かな瞬間だった。
捕縛された岡田は、その日のうちに拷問を受けることとなった。土佐藩は、岡田を徹底的に追い詰めるため、最も残酷な手段を選んだ。
拷問の第一段階は、水責めであった。岡田は無抵抗で水を浴びせられ、呼吸が苦しくなるほどに水を飲まされ続けた。しかし、岡田は決して呻くことなく、ただ無表情で耐えた。その眼差しは、まるで彼がこの世の痛みを超越しているかのようだった。
次に行われたのは、鞭打ちだった。鞭の一撃が岡田の背中に刻まれるたび、彼の体は一瞬の痛みで震えたが、決して声を上げなかった。痛みに耐えながらも、岡田の顔にはまったく感情が現れなかった。それどころか、その無表情は、彼をさらに恐怖の象徴として見せるものだった。
拷問官たちは次々と、彼の反応を見ようと試みたが、岡田はそのどれにも屈しなかった。むしろ、彼は時折、目を閉じて深い息をつき、静かに思索するような素振りを見せることもあった。まるで、この拷問すらも計算済みであり、彼自身にとっては試練に過ぎないとでも思っているかのようであった。
次の日。岡田の最期は予想通り、斬首という形で終わることになる。その最後の瞬間、彼は一切の恐怖を感じることなく、冷徹な目で世界を見据えたまま、刀の一閃を受け入れた。
28歳の死の間際、岡田以蔵は己の無念を胸に呟いた。
「次に生まれ変わったら、今度こそ本物の悪を斬る」
それから約200年後、令和へ岡田以蔵は、生まれ変わった。