食べられないパン
Q.パンはパンでも食べられないパンは?
保育園の先生は、弾んだ声でそう問いかけた。幼い子供達をぐるりと見渡すと、各々に手を上げて我先にと回答する。
「フライパン!!」
「パンダ!!」
「消費期限の切れたパン!!」
「お母さんが昨日作った黒焦げのパン!!」
様々な答えが飛び交う空間は、まるで平和そのものだ。思わずその賑やかな雰囲気に飲まれるように先生の表情も綻ぶ。
「そうだね、色々な食べられないパンがあるね。じゃあ、皆が大好きなパンって何かな?」
今度は、反対の質問を投げかける。すると再び、子供達は身体を乗り上げるように各々が手を上げる。
「スーパーで売ってる惣菜パン!!」
「パン屋さんのおじさんが作るパン!!」
「お母さんがいつも作るパン!!」
「揚げパンっ!!」
やはり、そこでも各々が提示する答えは多種多様だ。
先生は、満足そうに微笑む。
「そうだね、この世界には美味しいパンが沢山あるんだよ!そんなパンを作ってくれる人に感謝しなきゃね」
「「「はーい!!」」」
子供達は、先生の言うことに幸せそうな顔をして大声で返事をした。
***
風化したアスファルトの地面が覆っている、無機質でどこか閉塞感漂う部屋。
ここは、国家より招集された民間人で構成された軍隊の控え室として作られた空間だった。
とは言っても、机も何もあるわけではない。
ただ身体を休めるためだけに作られた、漠然とした緊張した空間の続く場所だ。
そこでは軍部の全体会議を終えた兵士達が各々にグループを作り、微かな安息の時間を堪能していた。
控え室に入ったヘンリーは、ぐるりと周囲を見渡す。やがて、旧友であるダニエルが鉄柱にもたれ掛かって黄昏れている姿を発見し声を掛ける。
「よう、ダニエル。お疲れかい?」
そう言ってヘンリーも、彼の隣に腰掛けるように柱にもたれ掛かった。ダニエルは、彼の方を見ること無く語りかける。
「なあ、ヘンリー。ようやく明日、決着が付くな」
「ああ」
「……長かったな。いよいよ、隣国との戦争も最終局面だ」
「ああ。そうだな、いよいよこの戦争も終わりを迎える」
ダニエルは、そこで言葉を切った。ごくりと生唾を飲み込み、ヘンリーの方を向く。
ちょうど、二人の目線は交差した。
「……何か、言うことはないのか?」
「いや?今日も上層部の会議が長かったなー……って話かい?」
肩をすくめてヘンリーはおどけるように笑った。その返答にも、未だにダニエルの表情は晴れないままだ。
そういえば、と何かを思いだしたようにヘンリーは、持っていた携帯食料であるパンを包装に包まれたまま彼に手渡す。
「なあ、ダニエル。このパンやるよ」
「……要らねえよ」
「良いから貰ってくれって。俺今さ、腹減って無くてさ……ほら、このパンも泣いてるだろ?食ってくれってさ」
茶化すようにヘンリーはぐいっとパンをダニエルの胸元へと押しつける。
やがて、ダニエルは歯ぎしりしたかと思うと、勢いのままにパンを弾き飛ばす。
「要らねえつってんだろ!!」
怒号と共に、携帯食料のパンはアスファルトの地面を滑る。摩擦に伴って情けない音を響かせながら、パンはダニエルの後方へと飛んでいった。
「おいおい、どうしたんだダニエル。癇癪起こして、ママのおっぱいでも恋しいのかい」
「誤魔化してんじゃねえぞ!!」
食ってかかったダニエルは、ヘンリーに近づいて胸ぐらを思いっきり掴み上げた。ずいと顔を近づけ、唾を飛ばしながら叫ぶ。
「聞いちまったんだよ!!お前が上層部の奴らに自爆特攻を命じられたことを!!!!」
「……!」
彼の慟哭にも似た言葉に、ヘンリーは目を大きく見開いた。
そのただ事でない様子の二人に、驚いた周りの兵士達。室内はしんと静まりかえり、ダニエルの怒りに満ちた言葉だけが響く。
「爆弾を積み込んだ飛行機で相手の拠点にドカン、か!?!?随分と巫山戯た作戦だよ、なあ!?!?」
「……なあ、ダニエル」
「お前の命なんかなんとも思っちゃいねえ!!!!誰だこのクソみてぇな作戦を考えた奴は、俺がぶん殴って中止にしてや……」
「ダニエルっっっ!!!!」
ヘンリーは、ダニエルの頬を強く叩いた。呆気にとられた彼の表情が、徐々に悲痛に満ちたそれに変わっていく。
肩を震わせ、倒れ込むようにヘンリーの胸元へと顔を埋める。
「嫌だ……嫌だよ……なあ。お前じゃなきゃ駄目なのか……?死ぬんだぞ……、なあ……」
「……」
それ以上、ヘンリーは何も言わなかった。彼が泣き止むその時まで、あやすように肩を等間隔で叩く。
しばらくして、ダニエルの肩から徐々に震えが止まったことに気付いたヘンリーは、再び声を掛ける。
「なあ、やっぱりこのパンはお前が受け取ってくれよ」
身体を乗り上げるようにして立ち上がったヘンリーは、ダニエルの後方に転がった携帯食料であるパンを拾い上げて差し出した。
ダニエルは真っ赤に塗らした瞳のまま、首を横に振った。
「……受け取れねえよ。俺は……」
「確かに、お前の言うとおり俺は明日の決戦で、自爆特攻の役目を引き受けた」
「……」
だがな、と言葉を切ってヘンリーは空を仰ぐ。
「この戦争が終われば、もう二度とこのパンが作られることは無くなるんだ」
ダニエルは、黙ってそのパンを受け取った。パサパサで、味気ない、ただ栄養補給のためだけに作られた簡素なパンを。
「……確かに、食えたもんじゃないよな。こんなもの」
「だろ?だからこそ俺は、このパンに俺の意思を託したいんだ」
意味が分からない、と言わんばかりにダニエルは目をしばたたかせる。
彼のリアクションは織り込み済みだったのだろう。ヘンリーは照れくさそうに笑って、突拍子もない方向に話を持って行く。
「実はな、俺はケーキ屋を開くのが夢だったんだ」
「……は?」
「女の子みてーな夢だって思うだろ?」
「いやそうじゃなくて……」
困惑するダニエルの言葉を遮るように、ヘンリーは彼の肩を叩く。
「まあ聞いてくれ。将来の子供達には、こんなパサパサでまるで食えたもんじゃないパンじゃなくてな、甘くて美味しいケーキを食べられるような世界であって欲しいんだ」
「……」
「だからな、俺の意思を引き継ぐことが出来るのは……ダニエル、お前だけなんだよ」
「なんだよ、それ……なんだよ……」
再びダニエルは、受け取ったパンと旧友であるヘンリーの顔を交互に見比べる。
そして、意を決したようにそのパンを自身の胸元に抱き寄せるように抱えた。
「……分かった。これはお前の意思として、受け取っておく」
「ありがとう」
ヘンリーは、彼の言葉に満足したように微笑んだ。
そして、再びおどけた様子に戻って手をひらひらとさせるように遊ぶ。
「マリー・アントワネットも言っただろ?『パンが無ければケーキを食べれば良いじゃない』ってさ」
突拍子も無く巫山戯た言葉を発するヘンリーに、思わずダニエルは吹き出した。
「絶対そんな意味で言ってないけどな?」
「いーやそんなことないね」
「ってか、そもそもその台詞自体言ったって証拠無いんだろ?」
「え?マジで?」
キョトンとした彼の表情を見て、再びダニエルは大声を上げて笑った。頬を涙が伝っていたが、そんなことも構わずに彼は大声で笑う。
翌日。
隣国との戦争の最終局面に置いて、作戦は変更されること無く決行された。
――ヘンリーの操縦する飛行機に、爆弾を積み込んで特攻する自爆作戦が。
彼の命の行く末は、言わずもがな、と言ったものだ。ダニエルは、その爆煙を双眼鏡で見ていた。
「……お前の意思、しっかりと受け取ったぜ」
双眼鏡を下ろした彼は、その手に携帯食料のパンを持ち替える。そして、爆煙に向かって正した姿勢で敬礼をする。
その日戦争は自軍の勝利で、終戦した。
****
あれから、数十年の月日が経過した。
レンガ造りの家屋が並ぶ、活気に溢れた大通り。
通りに並ぶ店の一つに、古くから続くケーキ屋があった。
ダニエルという店主が経営するその店は、主に家族連れに人気の店だ。子供はその店に並んだ可愛らしいケーキの姿を見て、幸せそうに飛び跳ねる。
子供の手を引く母親は困ったように笑いながら、我が子のわがままに付き合うついでに自分が食べたいケーキも買っていく……という光景がよく見られる。店主もその幸せオーラに飲まれるように楽しげに微笑んでいた。
その店内には、確かに幸せに満ちた空気が満ちていた。
店主であるダニエルの自室の一室には、大切そうに保管されている携帯食料のパンが置かれている。
ボロボロに風化してしまった包装が、数多もの月日を共に過ごしてきたことを如実に現していた。
そのパンの隣には、一枚の写真が飾られている。
同じく風化して色褪せていたその写真には、二人の若い男性が写っていた。
****
Q.パンはパンでも食べられないパンは何?
その答えは、彼にとってはたった一つのパンだった。
あの日、旧友から思いを託された、たった一つの携帯食料のパン。二度と食べられない、いや、食べることがあってはならないパンがそこにはあった。
おしまい。
X上で見つけたなぞなぞ大喜利から閃いて書きました。
 




