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あなたは俺のクレープ・フェアリー  作者: 雪玉 円記
5巻き目 後に、クレープ界の妖精王とその忠実なる妖精騎士としてバズる二人の誕生の瞬間である
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クレープみたいに俺を包んで。

水木は顔を上げ、先ほどよりも大きな声で、やけっぱちのように言い渡した。


「合格、ってんだよ。明日から俺のクレープを叩き込んでやる、覚悟しておけ」


幸直は、その言葉を飲み込むのに一拍かかった。

弟子入りを疑ってすらいなかったが、やはり実際に合格を言い渡されるのは心持ちが違う。

思わず派手な音を立てて立ち上がってしまった。


「ほ、ホントっすか!!!?」

「なんだ? 冗談であって欲しかったのか。じゃあふ――」

「い、いやいやいやいや!! とっても嬉しいですハイ!」


慌てて倒した椅子を立て直す幸直。

水木はそんな彼の様子に、視線を伏せた。


「……俺はもう二度と、ばあちゃん以外の他人なんか信用するもんかと思ってたんだぞ。それを思えば、破格の扱いされてるってことを自覚しろ」


それはきっと、今の水木の偽らざる気持ちなのだろう。

そんな彼を幸直は、心底愛おしく思った。

恋心とは似て異なる領域。きっとそれは愛に近いところにあるものなのだろう。

立てた椅子に座らず、水木の足下に跪いて見上げた。


「大丈夫っす。俺が師匠を裏切るなんてあり得ねえ」


水木は、何かをこらえているような表情で見つめ返してきた。


「師匠以外の上司も、師匠以外の恋人も、ほしかぁないです。あの学祭のとき、テンチョーが妖精さんなんだと分かってから、俺は師匠と同じ店で働けてることが嬉しかったんだ。俺は師匠のクレープに、あのときからがっちり胃袋掴まれてる。俺が師匠を裏切るなんて、100パーあり得ねえ」


幸直は水木が自分を信用してくれるなら、何度も何度も自分の気持ちを伝え続けるつもりだ。

その時々で節回しや言葉遣いが違ったとしても、その芯となる意思そのものは全く変わっていない。


僅か3歳にして、無自覚に初対面の相手とそのクレープに初恋をした。

16歳の秋、クレープへの情熱そのままに、初恋の相手への想いを自覚した。

20歳の春、それらの想いは昇華され、愛の領域に移ろうとしている。


それらがある限り、幸直は折れずにクレープ道を邁進できる。どのような困難や壁も、この拳で粉砕してみせる。

これ以上、臆病で繊細な師匠に傷ついて欲しくないから。

その思いも籠めて見上げていると、まるで泣きそうな顔をしていた水木が、忌々しげに呟いた。


「……どうだかな。人間なんていつどうなるか分かったモンじゃねえってのに」

「……っすね」


水木の中では今でも、両親と弟の悲劇、かつての職場で受けたことが根強いトラウマとなって残っている。それを受けての言葉だろう。

だがいかんせん、幸直の家系、特に祖父からの直系だけで言うなら、心身共にやたら頑丈だ。

だから少しでも安心してほしくて、幸直はあのバックヤードでしたように、恭しく水木の右手を取り両手で包み込む。

手が振れた瞬間、動揺したようにびくりと揺れた。

だが、そこで思いがけないことが起こる。

怖々と震えていた指先に、躊躇うようにゆっくりと力が籠もっていったのだ。

まるで、この手を離さないでほしいと言うように。


(……ああ、そうか。師匠は、本音を口で言えなくさせられた人なんだな)


その推測が浮かんだ瞬間、幸直はたまらなくなった。

導かれるように片手を外し、露わになった水木の右手甲に口づける。

ふわりと、触れるか触れないかのキス。

水木が息を飲んだのが聞こえ、顔を上げると。


「……っ」


じわじわと、水木の頬に熱が集まっているのが分かった。

涙の膜に濡れた瞳に、赤く色づく頬。それが耳や首元までをも染め上げていく。


(……うわ、)


思わず、幸直の中の獣性が顔を覗かせた。


(……師匠、完熟のイチゴみてえだな。……美味そう)


ついつい舌なめずりしてしまう。

それを見て水木は、更に手に力を篭めた。


「……本当に、俺でいいのか」


幸直はその言葉に目を丸くした。


「俺は人間不信の気があるし、正直言って平凡な人間だ。恋愛経験もないし、誰かにそういう意味で迫られたこともない。……でも、どうしてだろうな。お前になら、別にいいかという気にもなる」


幸直は、水木の独白にじっと耳を傾ける。


「……たまに、お前から渡されたあの手紙を読み返していたんだ。書いてあることが今も変わってないんだとしたら、俺はどうすべきなんだろうってな。俺は今日、それを確かめようと思っていた。……そうする前に、まあ、お前がペラペラ喋ってくれたわけだが」


そして、水木は椅子から立ち上がり――。


「……だから、これから何年何十年かけても、証明してくれよ。俺より早死にしない、裏切らない、……ずっと俺だけしか眼中にないんだってな」


幸直の肩口に額を押し当てるようにして、そう言ったのだ。

言い終わると水木は立って、店じまいの準備を始めた。

幸直は動けなかった。体中を荒れ狂う歓喜を抑えるので精一杯だったのだ。

逸る心臓と熱い脳を宥めるように、何度も深呼吸をしながら立ち上がる。

そして、その場で勢いよく頭を下げた。


「よろしくお願いします、裕斗さん!!」


言い終わってから顔を上げると、水木と目が合った。

困った奴だと言いたげな、薄い苦笑。


「……おう」


たったそれだけの短い返事。だが、幸直にとっては望外の喜びであった。

幸直は駆け寄る。そして思い切りその、自分よりは細い体を抱き締めた。

水木は一瞬身を強ばらせたが、すぐに力を抜いて両腕を幸直の背に回す。

スーツの襟と背に強く、縋り付くような皺が寄った。


「――……お前だけは絶対、裏切るなよ……。……幸直……」


小さくか細く、頼りなさげに呟かれたその声を、幸直はしっかりとその耳に捉えていた。

春の風が揺らした木々の声に紛れていたのに。

幸直はたまらず、自分の胸元に額を押し付ける年上の彼の頭を撫でる。


「はい」


水木の声量に合わせるように、小さく、だが確固とした芯のある強い声で、こう返した。

すすり泣き始めた水木の髪を梳くように、幸直は撫で続ける。

二人はそのまま、互いの存在と気持ちを確かめ合うように抱き締めあっていた。

ざぁ、ともう一度、春風が吹く。二人を祝福するかのように。

次回、最終回です。




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