手紙の中身
帰宅後、裕斗は自室でファンシーな封筒の封を切った。
揃いの柄の便せんには、彼らしい豪快な筆致でこう綴られていた。
〝拝啓、師匠。
始めてこんな手紙を書くので、どこかおかしいとこがあっても見逃してください。
バイトを辞めたら、俺は師匠からの許しが出るまで会わないようにするので、自分の正直な気持ちを書くことにしました。
師匠の親御さんと弟のことは、イトばあちゃんから聞きました。
ご家族が亡くなってからずっと塞ぎ込んでいたってことも。
そして、チビだった俺の何気ない発言が、師匠が菓子道を歩むきっかけになったことも。
俺が師匠の心を一時的にでも救ったり、師匠の道を決めるきっかけになったっていうのは、なんだか嬉しいような気恥ずかしいような、ちょっとこそばゆい気分になりました。
だからこそ、俺は師匠の元で一緒にクレープの覇道を進んでいきたいです。
俺は専門学校で、絶対に使える男になってきます。そうしたら師匠も少しは楽が出来るでしょうし、俺は師匠のことを裏切るつもりなんぞ1ナノピコグラムも思ってないので、心強いと思います。
それ以上に、俺は師匠に恩を返したいんです。
師匠がいないと、俺はきっと全然別の人生を送っていたかもしれません。
売られた喧嘩を買いまくって、どうしようもねえチンピラになっていたかもしれません。
人生の先輩としても、好きになった人としても、俺は師匠のことが大切で、側にいたいと思っていて、一生クレープ屋としてもパートナーとしても添い遂げたいと思っています。
事故だの事件だのに巻き込まれない限り、きっと師匠の方が先にお迎えが来るんでしょう。
そうしたら、俺は必ず師匠を看取ります。俺はこの通り腕力体力はあるので、師匠一人ぐらいならきっと背負ったり抱き上げたりできます。
だから、どうか俺を選んでください。
イトばあちゃんの代わりにも、ご家族の代わりにも、俺はなれないかもしれません。
でも、新しい家族にはなれませんか?
俺、原田幸直は、水木裕斗さんのことを愛しています。
本気の本気です。
俺は、あなたのことを守りたいと思っています。
本当はちょっと繊細で優しいあなたと一生一緒にいられたら、俺にとっては最上級の幸せな人生です。
この手紙への返事はしなくても大丈夫です。
もし言いたいことができたら、四年後に再会したときに教えてくれると嬉しいです。
それまでに俺も、男としても菓子職人としても、師匠にふさわしいヤツになれるように気張ります。
なので、なにとぞ弟子としても恋人としても、俺の採用を前向きに検討してください。
敬具〟
「……」
ぽた、ぽた、と便せんに水滴が落ちる。
読み進めるごとに手に力が入ってしまい、皺が入っている。
裕斗は、部屋着のスウェットの袖で目元を拭った。
「……もう、涙腺なんぞ、枯れたと思ってたのにな……」
手短ではあるものの、綴られた言葉はこれまでの彼の言動を考えれば理解できないものではなかった。
問題は、どうして自分なんかに惚れたのかということだった。
手紙の文面とあわせて考えると、幼い頃の可愛らしい初恋と、数ヶ月の間に転々とした自らへの印象が結びついて、本格的な恋愛感情になったということなのだろうか。
(……正直、俺なんぞの心が欲しいだなんて誰かに言われるなんて、思ってもみなかった)
父母と弟に先立たれ、それまでの間に父方の祖父と母方の祖父母と死に別れている自分にとって、イトが亡くなってしまうと本当に天涯孤独の身になる。
誰かと結婚したりすることを全く想像できていなかった裕斗は、一人で野垂れ死ぬ覚悟すらしていたのだ。
そこに現れた、幸直という存在。
弟子になりたいと言い始めた時は、本当にうざったくて疎ましくて仕方なかった。
自分が捨ててきたものを全て持ち合わせているような高校生は、正直やさぐれていた裕斗の癇に障ったのだ。
だが、師匠師匠と懐かれて、初恋の相手だったと言われて、自分がされた訳でもない理不尽を我が身のことのように憤って、弟子に採用された暁には口説き始めたいとまで言われて。
心の冷め切った裕斗も、ここまでされては、それなりに気持ちがぐらつかない訳はなかった。
そもそも彼は、元から他人に冷たい訳ではなかったのだから。
ばふん、と裕斗はベッドに仰向けに倒れ込む。
「……どうしようかな」
困ったことに、裕斗はこれまで恋愛ごとに全く縁がなかった。
恋愛経験値はゼロに等しく、他人との深い関わり方もすっかり忘れてしまっている。
でも、どうしてだろうか。
「……こいつなら、いいかな……?」
とりあえず、幸直がこう思っているという事実は一旦受け入れることにした。
恋愛感情についてはまだよく分からないが、こちらのことを真摯に思っていること自体は分かったからだ。
他人を信用は、まだ出来ない。
だが、この怖い顔つきの中に愛嬌を持っている大型犬のような幸直なら、少しずつ時間をかけていけば、受け入れられない気がしないでもないのだ。
「……いや、もう、あの時点で受け入れ始めてたんだろうな」
でなければ、弟子入りを認めるための条件なんて出すはずがなかったのだ。いつものように突っぱねれば済む話だった。
なのに、もうそれが出来そうになかった。
裕斗は再び目元を拭ってから起き上がる。
折り目に沿って便せんを畳み、封筒に戻した。
宛名欄に〝師匠へ〟と書かれている面を、じっと見つめて呟く。
「……俺を想ってるんだったら、裏切るなよ」
その声音は、どこか恋い焦がれている相手へ向けるようなものになっていた。
次回、最終章になります。
時間は進んで、4年後になります。
幸直と水木の関係に一つの区切りがつくので、どうか最後までお見守りくださると嬉しいです。
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