水木の忌まわしい過去・4
そうして迎えた最終日前夜。
裕斗は震える手を必死に宥めすかし、応募用紙にレシピを写す。
最後の文字を書き終わった瞬間、安心して裕斗はそのまま倒れ込んで眠ってしまった。
しかし、染みついた習慣というのは恐ろしい。いつも通りの時間に起き、始発で店に向かう。
制服に着替える前にレシピを投函してしまおうと、総務部に向かおうとしたときだった。
「先輩、おはようございます」
「……ん」
後輩も出勤してきたらしい。その手にはコンペの応募用紙。
「あっ、先輩も応募するんですね?」
「……ああ」
「……って、先輩まだ着替えてない、じゃないですか! は、早く着替えてきた方が、いいですよ!」
既に制服姿の後輩は言う。それに違和感を覚える間もなく、するりと裕斗の手から用紙を抜き取った。
「これは俺が出してきますから、先輩は着替えてきてください……!」
「え、ちょ、」
後輩は言い終わるやいなや、駆けだしてしまった。
裕斗はその場に固まってしまった。長期間に渡るストレスと睡眠不足に晒された心身は、彼から正常な判断力を失わせていた。
……或いは、後輩だけがこの職場で唯一信じられると、無意識に彼に依存してしまっていたのかもしれない。
「……まあ、いいか……」
裕斗は追跡を諦めた。後輩に言われた通り、ロッカーに向かう。
それからはいつも通りだった。若手パティシエたちに怒鳴られ、時に地味な暴力を受け、ベテランたちは自分たちが新人だった頃もこんなものだったと慰めはするが特に状況を改めようともせず、後輩の存在だけが今の裕斗の支えだった。
裕斗は二次審査に進むレシピの発表日まで、まんじりともしない日々を過ごしていた。
そして、その日は来た。
「……え?」
昼休憩中、携帯電話でメールを確認した裕斗は愕然とした。
イチゴのコンポートとソースを使った、クレープスイーツ。
それが、自分を苛烈にいびり抜く先輩の名前で二次審査に進んでいたのだ。
「よう、水木ィ」
はっと顔を上げる。そこには、彼を囲むように元教育係の先輩と取り巻きの一人、そして後輩がいた。
先輩たちは心底人を馬鹿にしたような笑みを浮かべ、後輩は顔を真っ青にさせている。
「……なんですか」
裕斗は、かろうじてそう言った。
すると先輩は嘲笑を深め、裕斗にこう言い放ったのだ。
「コイツなぁ、賢いよなぁ」
くい、と先輩は後輩を顎で指す。
ヒッと息を飲んだ後輩から視線を裕斗に戻し、更に言った。
「俺に嫌われてお先真っ暗なお前よりも、俺についた方がいいって思ったんだからなぁ」
「……は?」
どういうことだ、と言う前に、取り巻きが言葉を重ねた。
「安心しろよ、クズのお前でもこのお人のキャリアの一つには慣れたんだからなぁ。感謝しろよ」
「……ま、さか……」
今朝抜き取ったレシピの記名を書き換えたのか。
そう裕斗は後輩に問いたかったが、言葉が出ない。
さあ……と血の気が引いていく。正常な感覚が分からない。
震えている裕斗に、先輩は嗤って言った。
「あんな、どこにでもあるような貧相なクレープで勝負を挑もうなんて、片腹痛いっつうの。ていうか、うちの店の格式にあってねえもん出すとかふざけてんのか? 良かったよなぁ、俺が親切にレシピを改良して別の用紙に書き写して、俺の考案として出してやったんだからよぉ。お前にゃ、もうかく恥なんざないが、助けてやったんだからなぁ」
「……は?」
貧相? 改良? 俺の考案?
(……ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな……!!)
ぎゅりぃ……、と裕斗は両手を握り、歯を食いしばった。
(あのレシピを考えるのに、俺がどれだけ頑張ったと思ってるんだ……! お前らのクソみてえな嫌がらせを流しながら、寝る間も食う間も試作の材料費も惜しまないで考えたってのに……!!)
裕斗の視界が、怒りに染まっていく。
食いしばった奥歯からパキンと音がした。手から何か伝う感覚と、ぽた、ぽた、と地面に何かが落ちる音がする。
「とっとと尻尾巻いて逃げ帰って母ちゃんのおっぱいしゃぶってろよぉ! あ、もう死んでていないんだっけか? そりゃ可哀想になぁ!! ギャハハハハハ!!」
(……は?)
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