水木の忌まわしい過去・3
水木に後輩が出来ました。
時が流れて4月。パティスリーにはまた新入社員が入ってきた。
パティシエにも一人配属されることになる。
出身校と名前、抱負を溌剌と述べる彼に、裕斗は暗い目で拍手した。
(……コイツは出る杭かどうか、まあ見届けてやるか)
この頃になると裕斗は先輩一派の手回しで、すっかり孤立してしまっていた。
ベテランとチーフ、オーナー以外のパティシエは、先輩の言い分をすっかり信じてしまっている。
清掃とゴミ出し、在庫確認以外の業務をさせてもらえず、パティシエとしての技術や経験、知識を磨くどころではなかった。
なので、入ったばかりの新人が話しかけてきたときは、水木は我が耳を疑ったものだ。
「……あの、水木先輩?」
名前も忘れてしまった後輩は、自分の顔の前でヒラヒラと手を振っている。
裕斗がぽかんとしていると、後輩ははにかむように笑って言った。
「専門時代に実習で行った埼玉のパティスリーで、先輩の同級生の人がいまして。水木先輩の話は伺ってたんです」
「……あ、そう」
そうとしか水木は言えなかった。
そもそも、一年目の新人である同窓生と実習生に繋がりがあるとは思えなかったが。
後輩は隣にちょこんと座った。路地裏に積まれた空き段ボール箱を椅子にしていた水木と同様に。
「同級生の中では成績トップの方で、グループも一緒になることが多かったって。今頃何してるんだろうなぁ、って行ってましたよ」
「……別に。計量とか、掃除とか、そんなもんしかさせてもらえてないよ」
「あはは。今の俺と同じですね」
後輩は明るく笑う。何がおかしいのか水木は分からなかった。
後輩を無視して、栄養補給ゼリーを吸い込む。
後輩はその荒んだ姿を見て、心配そうに声をかけてきた。
「……あのう、水木先輩……。大丈夫ですか?」
「……あ? 何がだよ」
「いえ……、ただ、隈がすごいので……」
水木は、吸い込んでくしゃくしゃになったパウチに蓋をし、溜め息をつく。
「いつものことだよ。心配される筋合いはねえ」
立ち上がり、バックヤードから中に入る。
時間ギリギリまでいたかったが、この後輩がつきまとってきて面倒だと思ったのだ。
しかし、かたや二年目、かたや新人。
掃除や片付けなどで二人の仕事が被るときもあり、そういうときに後輩は積極的に話しかけてきた。
裕斗は当所、適当にあしらっていた。しかし彼はめげずに話しかけてくる。その内容が仕事に関わることばかりだったため、完全に無視することも出来ない。
気付けば、早朝の厨房掃除の時間は裕斗の数少ない癒やしの時間となっていた。
この後輩の笑顔が、なんとなくあの幼児を彷彿とさせたからかもしれない。
だが、後輩が裕斗に懐くのと比例するように、いびりは苛烈になっていった。
裕斗が掃除した箇所をわざと汚す、苛烈な暴言、わざと水木の前で後輩に彼の悪評を吹き込む、などなど。
その頃になると周囲ももう麻痺してきていて、水木を若手パティシエ共用のサンドバッグ扱いしていた。
ベテラン勢がそれとなく助け船を出していてくれるのが、唯一の救いだろうか。
そんな中、また社内コンペの知らせがオーナーシェフからもたらされた。
今年のお題は「思い出の味」。
それを聞いた瞬間、裕斗の脳裏にあの日の光景が蘇った。
もう声を思い出すことも出来ない、幼い子供がクレープを頬張って笑顔になっている姿。
(……コンペ、出してみるかな……)
澱んでいた裕斗の目に、僅かな光が蘇った瞬間だった。
……が、それを見逃していない連中がいた。
元・裕斗の教育係は今、後輩の新人教育を担当していたのだ。
裕斗は頑張った。劣悪な人間関係による精神的激務の中、家でも寝食を忘れてメニュー開発に没頭した。
そうして出来たレシピは、応募最終日の前日に用紙に書き写し、最終日の朝に応募ポストに投函することに決めた。
それまでは、レシピを掻いてあるノートは家で保管する。
無実の嘲りを受け続け、裕斗は最終日まで耐えた。
早朝や昼休みなどに後輩に気遣われるのが、惨めでもあり救いでもあった。
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