水木の忌まわしい過去・2
時間はあっという間に過ぎ、2月中旬。
パティシエの面々に会社からコンペの二次審査に進むメニューと考案者がメールされた。
昼休憩の合間に裕斗はスマートフォンで確認し、そうして思わず口元に手を当ててしまった。
メールには確かに、裕斗の名前と考案したメニュー名が載っていたからだ。
「……うそ……、だろ……?」
何度も何度もメールに目を通して、一旦閉じてまた開いて。
そうしているうちに、じわじわと裕斗に歓喜が広がってくる。
「……二次審査に、行ける……!」
控えめにガッツポーズをして、裕斗は喜んだ。
その様子を、教育担当の先輩が憎悪を全身から滲ませ、取り巻き数人が嘲笑を浮かべてみていたことを知らずに。
翌日から、裕斗は先輩たちに更に一目置かれるようになった。
と同時に、巧妙ないびりを受けるようになった。
指導はある。ただし、まともな指導とは思えない。
「おい水木ぃ!! てめぇ卵の計量どうしたんだよオイ!!」
「……卵?」
これが、裕斗が始めて受けた理不尽な指導――現在でいうところのパワハラ――だった。
そのとき裕斗は小麦粉の計量と粉篩いをしていた。
しかし、それを指示したはずの先輩は、裕斗の見習用コックコートの胸倉を掴みながら口汚く卵はどうしたと怒鳴ってくる。
流石に意見せねば。裕斗はその思いにかられた。
「……お言葉ですが、先輩の指示は粉の計量と篩いだったはずですが」
すると、よりきつく胸倉を掴まれた。
「あぁ!? 俺は確かに卵っつったよ!! なぁ!」
彼が目を向けたのは、自身の腰巾着であった。
その腰巾着はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。
「ええ。確かに先輩は卵割りと計量を指示しましたよ」
「な……っ!」
理不尽だ。裕斗はそう思った。
そこにオーナーシェフが割って入る。
「お前たち、いい加減にしろ! お前たち二人、こっちに来い!」
そうして、二人はオーナーパティシエのオフィスルームに連れて行かれる。
二人から話を聞いたオーナーパティシエは、少し考えたあと、こう告げた。
「……水木、剛腹だろうが今日は不問にしてくれ」
「……はい」
「お前も、お前は指示をきちんと考えてからするようにしろ。レシピの順番というものもあるんだ。それから、乱暴な物言いも改めろ」
「……はい」
二人が大人しくオーナーの言葉を受け入れたので、彼は二人を厨房に戻した。
オフィスルームを出た瞬間、先輩は水木を醜く睨む。
「調子に乗ってんじゃねえぞ」
そう吐き捨て、彼は一人で先に戻ってしまう。
水木は唇を噛みしめた。
(……なるほど。あの人もそういう類いの人か)
自分の行動のなにが彼の矜持を傷つけたのか、裕斗はまだ分かっていなかった。
だが、必死に開発して二次審査に進んだレシピを、無駄にはしたくなかった。
裕斗はその一心で食らいつこうと決心する。
だが、どうやったのか彼らは、徐々に徐々に、水木の評価を下げるために先輩各位の心証の切り崩しにかかっていた。
水木がそれに気付いたときにはもう遅かった。
そうしてオーナーやチーフら、上の者たちの目を忍んで、時には厨房、時には店の裏で、時にはメールで、裕斗は複数人から心ない言葉を投げつけられる日々が続いた。
針の筵に上がらされた彼は、それでも精神をすり減らしながら働く。
負けたくなかった。いつかの幼児の笑顔を思い出して、それを支えに頑張った。
コンペ当日。そんな裕斗のコンディションは当然の如くボロボロで、審査評価は当然芳しいものではない。
結局社内パティシエコンペで優勝したのは、勤続18年になるパティシエだった。
賞賛と季節限定メニュー化の栄誉を受けている先輩を祝福しながら、裕斗の心は少しずつ墜ちていた。
「……う……」
帰宅後、裕斗はストレスが原因で嘔吐する。
胃の調子がおかしいとは思っていたのだ。だが負けたくない。病院に行く暇もない。
なんとか洗面台と口を水ですすいで、パジャマに着替えることもなくベッドに頭から潜り込む。
両目のあたりがじんとするも、涙が出てこない。
ああ、と水木は声を出さずに喉を震わせた。
(……久しぶりだな。この感覚)
家族の死に打ちのめされながらも、祖母以外の親戚を頼ることは出来ないと自覚した瞬間。今の裕斗の精神状態はその頃に酷似していた。
(……信用出来る人間は、結局ここにはいなかったな)
黒いモノが心の中に広がっていく。
(……なら、誰も信用しなければいい)
裕斗は一回目を閉じ、そして開いた。
布団の中の暗闇で裕斗は一睡もせず、鬱屈とした目で絶望を見つめた。
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