水木の忌まわしい過去・1
ここからしばらく、水木が前職で何があったかの話になります。
すべてフィクションの出来事です。
東京、某所。開店前のパティスリー内。
何人もいるパティシエと販売員の前で、一人の若者がはきはきと名乗った。
「大宮製菓喫茶専門学院出身、水木裕斗と申します! 早く仕事に慣れるよう頑張りたいと思います! ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします!」
自己紹介してから、裕斗は頭を下げた。暖かい拍手が贈られる。
「彼が今年の新卒入社のパティシエだ。専門学校での成績もすこぶるいいというから、まさに期待の新人だな。教育担当はよろしく頼むぞ」
そうオーナーパティシエが、自ら選抜したパティシエに視線を送りながら言う。
彼から返答があるのを確認してから、オーナーパティシエは裕斗に告げた。
「まずは1ヶ月、最初の数日は座学でこのパティスリーとメニューに関わる知識を詰め込んでもらう。座学が完了してから厨房の掃除や仕込み、販売に入ってくれ」
「はい!」
「よし、では早速研修といこうか。頼みます」
オーナーは、隣に控えていた事務員に裕斗を託す。
そのとき、教育担当に指名された先輩パティシエが話しかけてきた。
「水木って言ったか?」
「はい!」
「俺がお前の新人教育担当だ。よろしく頼むな」
「よろしくお願いします!」
「よし、いい返事じゃねえか。ま、まずは座学だな。いろいろ教えてもらいな」
「はい!」
「じゃ、座学後にな」
「はい、先輩!」
店内の若手のエースパティシエと期待の新人のやりとりを、暖かく見守っていた面々も、会話の終了と同時に各々の仕事に戻っていった。
裕斗は事務員に連れられながら、いいパティスリーに就職できたと思ったものだった。
それから数ヶ月は、まさに目の回るような時間だった。
店で扱う材料から値段、併設カフェのメニューと値段、アレルゲンについてなど。とにかくたった数日でこのパティスリーで働くパティシエとして必要最低限の知識を詰め込まれた。
それが終わった翌日には、ケーキやスイーツの仕込み前に店に出勤し、厨房の掃除。
続々と出勤してくる先輩たちにどやされながら、材料の計量や使い終わった器具の洗い物に奔走する。
かと思えば販売員と共にショーケースの前に立ち、様々な客への応対訓練。
たちの悪いクレーマーとかち合ってしまったときには、枯れていたと思っていた涙をこぼしてしまったこともあった。
精神を削るような日々。だが裕斗が食らいついていたのには、いくつか理由があった。
一つは、互いに唯一の家族となってしまった祖母に心配をかけたくない。
もう一つは、先輩たちが水木のことを気に入り、勤務外では優しく気にかけてくれたからだった。
裕斗と休みが重なった先輩と、仕事帰りに外食してから帰ることもたまにあり、業務中の大変さを除けばいい職場と言えた。
そうしてがむしゃらに働いて、気付けば数ヶ月。
世間はクリスマス商戦に向けて動き出していた頃だった。
パティシエ全員に、オーナーパティシエから通達が降りる。
「毎年恒例のメニューコンペの概要が出来たぞ!」
おお、と勤務歴が長い先輩たちが色めきだつ。
「詳しい内容は各人の社員用メールに送信してあるが、今ここでもざっくりとした内容は伝えておこうと思う」
オーナーシェフはそう言い、要項の一部を口頭で伝え始める。
発表されたお題は「春の花」。応募受付は翌年一月いっぱい。グループを作らず、各個人で応募すること。
今年は新人もいるから、と更に応募方法までオーナーは説明しだした。
応募レシピと名前を店の用意した紙に書き、総務に設置する専用ポストに投函する。
最終選考は後日メニューを考えた当人が、オーナーパティシエ、チーフパティシエ、総務部長、営業部長の四人分の試食を作り、プレゼンすること。
「応募するのにベテランも新人もない。パティシエ全員からの意欲作を待っているぞ!」
そう伝え終わると、オーナーパティシエは各自仕事に戻るように通達する。
裕斗は隣で聞いていた先輩が、野心に燃えた顔をしているのに気付いた。
彼だけではない。彼と近しいパティシエも、そうでないパティシエも、みな一様にやる気をみなぎらせていた。
(……なるほど)
裕斗は先輩から指示された計量をこなしながら考える。
(……俺も、応募してみようかな)
そう決意し、裕斗は粉を次々に計量し、篩っていく作業に没頭した。
そうしてクリスマス、バレンタインと洋菓子店が一番忙しい時期に、コンペ用のメニュー開発に心血を注ぐことになった。
裕斗は休みを返上し、一人レシピの考案と改良に取りかかる。
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