思い出のクレープ、忌まわしい過去
次の日曜日。今日も幸直は、午前から夕方前にかけてのシフトだった。
シフト終わりの時間が近づき、夕方からのシフトのアルバイトと交代した幸直はバックヤードのロッカーに向かおうとした。
「おい、……原田」
バックヤードへのドアから、じとっとした視線を投げつけてきた水木が呼んできた。
普段は「おい」だの「お前」だったのに、名字で呼んできた。そのことに幸直は動揺し、思わず裏返った返答を返してしまう。
「ハッ、ハイ!」
「来い」
ドアの隙間を広げ、右手の親指を立てた状態で背後へくいっと手を振る水木。
「……はい」
俺は何かやらかしただろうか……と内心緊張しながら、幸直は続いてバックヤードに入った。
「あ、あの……、ししょ、……テンチョー……?」
黙って事務室のドアを開ける水木に、恐る恐る話しかけてみる。
相変わらずの仏頂面で顎をしゃくる彼に、体を縮こまらせて室内に入った。
すると、水木自身は入らず、ドアの外からこう告げた。
「しばらく待ってろ」
ばたん、とドアが閉められる。
「………………へ?」
たっぷり数秒、ドアを凝視してしまった。
一体何の話なのか、幸直はとんと検討がつかなかった。
「……何だ? 別に俺ァ、目立ったポカはしてねえはずなんだが……?」
うろうろと狭い事務室の中をうろつきながら思案する。
そうしないと落ち着かないのだ。
水木が一体なんの目的で引き留めたのかも分からないし、話の中身も教えてもらえていない。
うろうろ、そわそわ。そうやっていると、がちゃりとドアが開いた。
思わず幸直は勢いよくドアの方を見てしまった。
「うわっ、なんだよ……」
水木は幸直の勢いに驚いたのか、思わずといった様子で眉を顰める。
しかし今度は事務室の中に入ってきた。
何故か、その片手にはイチゴクレープ。
それを「ん」と不機嫌そうに幸直に差し出してきた。
「……へ? え? なんすか?」
本当に訳が分からず、呆然とクレープと水木を見比べてしまう。
じろりと、水木に睨まれる。
「いいから食え」
「えっあっはい」
クレープを受け取ると、適当に座れと言われたので、室内にあったパイプ椅子の一脚に座る。
せっかくなので、労働で空いた小腹に一口クレープを恵んでやることにした。
あぐり、と食べる。
たった2、3度の咀嚼で、幸直は目を輝かせた。
(……師匠の味だ! あれから何年たとうが忘れるわけがねえ!)
幸直にとって水木は〝初恋のお兄さん〟だ。
そんな彼が作ったクレープの味は、忘れられない思い出に変わりない。
じっくりと甘味と幸せを味わっていると、事務机の椅子に座った水木が訊ねてきた。
「……お前、今でも俺の弟子になりたいとか思ってんのか」
「っ当然っす!!」
急な質問に、慌ててクレープを飲み込んでから幸直は答えた。
水木は溜め息をつく。
落ち着かなそうに脚を組み、視線を反らした。
「……俺は、他人なんぞ信用出来ない。だから弟子も取らない。第一、弟子なんぞとってレシピとかノウハウとか盗まれたらどうすんだ」
にべもない言葉に、幸直は反射的に言い返す。
「俺はそんなことしねえっす!! じいちゃんやオヤジから、礼儀とか仁義とかそういうのはボコボコにされながら叩っ込まれました!」
「だが、自分の利益のためならそういう不義理を働くのが人間の本性で本質だよ」
幸直はそれに言い返す言葉が見つからなかった。
先日も聞いた言葉。だがそれ以上の理由があった。
水木の目が一切の光を宿していない、ヘドロのようになったからだ。
「……し、しょう……?」
今まで見たことのない、闇を孕んだ人間の姿。
幸直は初めての事態にどうしたらいいのか、分からなくなっていた。
水木が、うっすらと嗤う。
「……教えてやるよ。俺が他人を信じられなくなった、一番にして最大の理由をな……」
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