幼児だったあいつとの……。
今回でいったん水木視点は終わります。
洗い物の終わった食器洗剤スポンジを水桶の中で揉みながら、水木は悶々と考える。
(……あのときのあの子供が、俺を菓子作りの妖精だなんて言ったのを間に受けて、大学に行くつもりだったのを製菓学校に進路変更したんだよな……)
スポンジをぎゅっと握って水気を絞る。
(……ばあちゃん以外の家族を事故で亡くして、俺にはもう何もないと思っていたから……)
スポンジを水切り台に置く。
「……嬉しかったんだよなぁ……きっと……」
祖母が健在とはいえ、両親と弟を事故で失った精神的ダメージは、思いのほか深く水木に残ってしまった。
一部の心ない親戚が、保険金や慰謝料などを騙してガメようとしたこともあり、当時の水木は祖母以外の他人を信じることが出来なかったのだ。
だからあの時、見ず知らずの子供にタダ同然でクレープを作ってやったりしたのは、どうかしていたとしか思えない。
だがそれ以上に、「美味しい」を全身で表現していたあの男児の言葉は、すとんと水木に落ちていった。
例え、当時放映していた戦隊ヒーローもので例えられてもだ。
水木は学園祭終了後、ピンクルンジャーなるものとその妖精について調べてみた。
すると、ピンクルンジャーは元々プロのパティシエで、彼女の相棒妖精は世界中のパティシエの善なる心の集合体であると知った。
ツクルンジャー自体にハマることはなかったが、パティシエのピンクルンジャーとその妖精に例えられたことは、水木の将来に一つの指標を与えたのだった。
あの子供――当時の幸直のように、自分の作った菓子を食べて笑顔になる子供を一人でも増やしたい。
その思いで水木は年度途中ながら家政クラブに入り、そこで仲間も出来た。
専門学校に入ってからも、同級生とはいい関係を築けたと思う。
だが、新卒で就職したパティスリーで、再び水木の心は抉られたのだ。
他人なんて信用するんじゃなかった。水木がそう後悔し、心を閉ざしてしまうには十分すぎる。
洗い物を終え、自室に戻る水木。ベッドにばふんと倒れ込む。
天井の木目をなぞりながら、鬱々とする。
「……俺は、誰にも心を開かない……、信じない……、」
……信じられない。
信じたが最後、人間は必ず裏切ってくる生き物だから。
両親と弟の葬儀で心に穴が空き、社会人になってから心身共にズタボロにされた。
そんな人生を送ってきた水木は、そう簡単に他人を信用することなど出来ない。
……だが。
『だってよーせーさんなんだろ!? ツクルンジャーのよーせーみてーに!』
『あんたが認めなくてもおおおおおお!! 俺は絶対、あんたの弟子になってやっからなああああああああああああ!!』
『い、いや、分かってるんす、分かってるんすけど、師匠の作るクレープっすよ、全部食いたいんすよ本当は……!』
『顔色が悪いです。バックヤードにいてください。表は俺と相沢の姉御に任せて』
『店長』
(……ああ、)
水木はうつ伏せになって、布団に顔を埋める。
ある一つの可能性に思い当たってしまったからだ。
(……俺は、アイツが弟子にしてくれって言ったあたりから、無意識に気を許してたってのか……?)
いや、そうでなければ、酷く取り乱す一歩手前だったとはいえ、やすやすと他人に触れさせることなどしないはずだった。
だが幸直は昨日、水木のそのラインを超えてきた。
肩という比較的触れやすい箇所ではあるが、確かに至近距離にいたのだ。
(そんなわけ……。いや、そもそもどうしてアイツは、俺なんかをあんなに慕ってくるんだ?)
幸直は高校生で、水木よりも13若くて、家族がまだまだ健在で、将来に向かってひたすらまっすぐで。
「……俺みたいに、ひねくれてもない」
無意識に声に漏らす。
水木は自分が世界中で一番のパティシエだなんだと言うつもりは全くない。
むしろ、もう彼にその道は現れないと言ってもいいだろう。
それなのに、幸直はひたすら師匠と呼び慕ってくる。水木の方が時折怖じ気づく程に。
正直、祖母は彼のことを買っているようだが、水木自身はあまり近づいてすら欲しくないのだ。
どうして、俺なんかを慕う。
どうして、俺なんかを師匠と呼ぶ。
どうして、どうして、どうして……。
そんなことばかりがぐるぐるとリフレインして、水木の気持ちは落ち着かない。
「……もっと、腕のいい職人も、バズりを研究してるクレープ屋もいるってのに……」
どうして。
そればかりが、水木の心を侵食する。
「どうして俺なんだよ……」
布団に突っ伏したまま水木は呟く。
「……幼児の頃にたった一回、十数分同じ教室内にいたってだけの見ず知らずの高校生のことなんて、普通はもう忘れてるもんだろ……。なんでいつまでも覚えてんだあいつは……」
水木はのそのそと姿勢を変える。
そのとき、幸直のとある言葉が脳内に走った。
『俺はッ、あの日、あんたとあんたの作ったクレープに出会えたから、今があるんだ!』
水木は黙ったままむくりと起き上がる。
「……俺がそうだったように、あいつもそうだったのか……?」
あの言葉を投げかけられた時は、彼の言葉に籠められたものや真意など考えようとも思わなかった。
そもそも、本当は行きたくすらなかったのだ。
今の自分と当時の自分を比べてしまって、嫌気が差してしまいそうだったから。
そこに、幸直やその親族の発言も加わって、水木はそれから数日最悪な気分で過ごしていた。
他人のために心を配るなんて何よりも反吐が出る。
開き直りに似たその考えに至ってからの水木は、それを支えに生きてきたようなものだ。
なのに、幸直はあの日、何かを察知したかのように水木をバックヤードに隠れるように促した。
二度と会いたくなかった後輩が突然現れたことで、無様に動揺した彼を。
「……いや、流石に、多少の礼はするべきか……」
水木は呟きながら溜め息をつく。
自分の過去と、今の正直な気持ちを伝えようと決めた。
初恋の人だと言われたことに、わざと目を背けて。
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