ニカとの出会い 9
「これは『血のり爆弾』よ。ソーセージの材料にもなる動物の腸を使っているの」
そう得意げに説明されても……。
ネーミングセンスもどうかと思う。甘い匂いがするから、中身は果汁かな?
前回の泥より安全だろうが、それにしたって芸がない。同じことを繰り返すから、ソフィアも察して外に出てこないのだ。
「ねえ、これを投げつけるんだったらもっと広い所の方がいいんじゃない? あっちまで運ぼうよ」
ニカがキョトンとした表情で僕を見る。自分でソフィアを呼びに行こうとして、僕に遮られたためだろう。
――これ以上、ニカが義妹に嫌われてはいけない。ただでさえ慣れない悪役をしようとして、綻びが出始めている。それにせっかくの機会だから、ソフィアを交えず二人でいたい。
「そうね。移動した方が良さそう」
「これを運べばいいんでしょう?」
屈むニカより早く、僕は桶を持ち上げた。
「ええ、お願い」
僕は頷き、ガーデンパーティー用の広い芝へ足を踏み出した。ここなら死角だし、護衛の目も届かない。これからしようとする行為を見られたら、必ず彼らに止められるから。
次の瞬間、僕は持っていた桶を勢いよく放り投げた。
「あっ!」
「……えっ!?」
狙い通り中身が地面に落下する。落ちるタイミングを見計らって、その上につまずいたフリをして転び、全て押し潰す。
「大丈夫なの? ――そんな! どうして……」
頭上から、ニカの声が聞こえる。
わざと潰したのだとわかったら、君はもっと驚くはずだ。もちろんそんなこと、口が裂けても言えない。
僕は仰向けになり、ニカに向かって舌を出す。
「ごめんなさい。失敗しちゃった」
当然着ていた服は汚れて真っ赤に。果汁の入っていた薄い膜のような物まで服にベッタリついている。見上げたニカは、ソフィアへのいたずらを仕掛ける前に失敗したせいで、泣きそうな顔をしていた。
「仕方ないわね。掴まって」
せっかくの策が全滅したのに、彼女は優しい。僕を助け起こそうと、手を差し出してくれたのだ。白く細い彼女の手。僕はそれを、力を込めて引っ張った。
「わわっ」
ニカが僕の真上に倒れ込み、赤い果汁のえじきに。彼女の身体は柔らかく、相変わらずいい匂いがする。
――ねえ、ニカ。もう少しこの体勢でもいいだろう?
でも、ニカは慌てて身体を起こし、僕を睨みつけた。
――しまった、調子に乗り過ぎた。わざとだってバレたか?
「ごめんね。びっくりしたから、力を入れ過ぎちゃったみたい」
精一杯可愛く言ってみる。
こんなところで日頃の女装の成果を発揮するのは嫌だけど、ニカに嫌われる方が怖い。
彼女は綺麗な顔を歪めると、とうとう泣き出してしまった。
「どうしよう。こんなんじゃあ、いつまで経っても王子が来ないー」
僕はどうもニカの涙に弱いようだ。
他の子が泣いたって平気なのに、ニカが泣くとどうしていいのかわからなくなる。
――こんな時、気の利いた言葉をかけられればいいけれど……ダメだ、全く思いつかない。
おろおろする僕を尻目に、ニカは屋敷に向かって歩き出す。
今回ばかりはやり過ぎた。
僕はとぼとぼニカの後をついて行く。
ドレスが激しく汚れたためか、ニカは屋敷の正面ではなく調理場の勝手口に回った。
「まあ! お嬢様ったら、またまた激しい遊びを。あまり他所の子に変なことを教えないで下さいね」
ニカが怒られている!
プライドの高そうな彼女が、貴族でもない料理人に叱られしょげていた。
おとなしく言うことを聞く姿に、僕は驚きを隠せない。サラと呼ばれる女性は、そんなにすごい存在なのか?
「ねえニカ、彼女って実はすごい人?」
「いいえ。我が家の料理人見習いよ」
「え? 貴族でもない料理人の、それも見習いに怒られて悔しくないの?」
「どうして? その人のためを思う忠告に、なぜ身分が関係するの? 貴族であるとかないとか気にするなんて、エルったらバッカみたい」
またしてもバカと言われてしまった。
身分が……関係ない?
そんな考えは抱いたこともない。
確かにニカの言う通り、貴族が必ずしも優秀であるとは限らない。代々続く貴族の中にも、領民のことを考えず、自らの私腹を肥やすことしか頭にない者がいると聞く。そうかと思えば平民の中からでも、魔法使いとして目覚ましい活躍を遂げる者がいる。
凝り固まった価値観で目が曇っていた僕は、そんな簡単なことにも気づけなかった。
「すごいのは、ニカか」
王子の僕をバカにするだけあって、ニカは賢い。
だけど当のニカは、子供っぽくぶつぶつ文句を言っている。
「私だけが注意されるって納得がいかないわ! エルは? 一緒に来た人にどうして怒られないの?」
可愛く拗ねるその姿に、思わず目尻が下がった。
大人と子供を併せ持つニカは、不思議な魅力に溢れている。
――もしかしたら本当に、前世の記憶を持っている?
ともかくこれ以上バカだと思われたくない。ここは慎重に答えよう。
「ここにいる間は、自由にしていいんだって。子供らしく遊びなさいって言われている」
「子供らしくって……まだ子供じゃない」
「そうだけど。まあ、大人じゃこんな真似はできないよね?」
自分の服を見下ろしながら言う。
白いドレスだけでなく、顔も茶色のかつらも汚れている。ニカよりも僕の方が汚れが酷かった。
ニカはそんな僕を見ながら口にする。
「やっぱり失敗だわ。もう少し濃い赤の方が良かったみたい」
「ぼ……私も赤は好き」
慌てて言い直す。
この格好で『僕』は無いな。
応えた言葉に嘘はない。
初めて見た時、特別な赤に心を惹かれた。
ルビー色の彼女の瞳が、僕の一番好きな色。