ニカとの出会い 7
次に公爵家を訪ねた時、僕はニカの父親であるローゼス公爵との対面を果たした。重要な役職に就く彼は、僕の事情も知っている。後ろにいた護衛を見るなり察したらしく、彼の方から頭を下げてきた。僕は慌てて顔を上げるようお願いする。
「気軽に接してほしい。女の子の恰好をしているから、王子であることは内緒で頼む。時がきたらヴェロニカ嬢にもきちんと明かす。だから当分の間、誰にも言わないでもらいたい。それと、これを」
「何ですか?」
「父からだ。よろしく頼むと言っていた」
国王から持たされた手紙を、公爵に渡す。中には「子供らしく自由に遊ばせてくれ」といった趣旨のことが書いてあるはずだ。
考えてみれば、僕はこの年になるまで子供らしいことを何一つしてこなかった。外で元気に遊び、はしゃいで笑い合ったのは、この前が初めてだ。
身体の弱かった僕は、剣術や馬術の稽古を別にすれば、外で過ごした記憶があまりない。また、友人の多くが年上だから、遊ぶというより共に学んだり議論を交わしたりすることの方が多かった。
そんな息子を心配した父王が、信頼のできる公爵に世話を任せたのだとも言える。もちろん一番は、婚約者候補である公爵令嬢ヴェロニカとの親睦を深め、人となりを見極めてこい、ということなのだろう。
ニカに興味を引かれた僕に、異論などあろうはずがない。
渋々了承した公爵によって、僕はこの屋敷への出入りが自由となった。護衛も一緒だが、安全な公爵家の敷地内では自由に過ごせる。普通の子供として接してほしいので、王子であるということを公爵夫人やニカには伏せてもらっている。
「義妹のソフィアよ」
「よろしくね」
「こんにちは」
ニカからは、義理の妹のソフィアを紹介された。
彼女の話によると、王子はこのソフィアと恋に落ちるのだとか。会うなり心惹かれたらどうしようかと考えたが、そんなことは全くなかった。
――人形みたいで可愛いけど、まだ小さく特に興味はないかな。この子よりニカの方が……。
紹介が済むと突然、ニカが「お茶をしましょう」と言い出した。何かあるなと思った僕は、彼女について行く。どうやらソフィアへ意地悪するみたい。
「それは何? 果実には見えないけど」
「だって、唐辛子だもの。これを入れた水を果実水と取り換えれば、ソフィアは泣くはずよ」
「だからって、顔をしかめながら飲まなくても……」
「あら、安全面には気をつけなければ。私は安全第一の悪役令嬢なの。辛すぎて、ソフィアが心臓麻痺をおこしたら大変だわ」
だったら意地悪自体をしなければいいのでは?
唐辛子入りの水を何度も飲んで辛さを調節しているニカは、はっきり言って変だ。
「さあ、お茶にしましょう!」
ニコニコしながらソフィアの果実水と唐辛子入りの水をすり替えるニカ。僕はすかさずソフィアの前の水を取り、唐辛子入りの水を飲むフリをした。
「エル、それは……!」
「それは、何?」
平気な顔で答えた。もちろん口に入れてなどいないから、辛くも何ともない。ニカは僕の手にしたグラスを見て、しきりに首を傾げている。
「気になるなら、ニカも飲む?」
「え? ……ええ」
にこやかにニカに渡す。彼女はきっと、いたずらが失敗したと思ったのだろう。僕らを見るソフィアは何のことだかわからず、キョトンとしている。
「ブハッ、何これ! か、辛、辛いっ」
受け取った瞬間、ごくごく飲むとは思わなかった。ニカは勢いよく噴き出すと、次いで涙目で舌を出し、両手で必死に自分の顔を扇いでいる。その様子が面白く、僕はお腹を抱えて笑ってしまう。
「にらめっこをしているのね! そうでしょう?」
ソフィアはソフィアで、変な顔のニカを見て何か勘違いをしたようだ。その言い方がおかしくて、僕は再び笑いだす。お腹の皮がよじれそうだ……勘弁してほしい。
「おかひいわ、ヘルは平気だったのに」
そりゃあね、飲んでいないから。
これに懲りて、君が悪役なんてやめると言い出せばいい。純粋に、僕との仲を深めてくれれば……。
しかしニカは諦めないようで、別の日にはまた、違う意地悪を考え出していた。その日も僕は、ニカに会うため公爵家を訪ねていたのだ。
「ニカ、せっかく来たのに歓迎してくれないの?」
「エルったら、この頃ますます図々しいわね。それにニカって何よ。私はヴェロニカなんだけど」
「ニカって呼ぶ方が可愛いよ」
「可愛くなくていいの。私は悪役令嬢なんだから」
「それでもやっぱり、ニカは可愛いよ」
僕が本音を口にすると、ニカはたじろぐ。その反応が新鮮で、つい褒めてしまう。けれど彼女は顔を引き締めると、素っ気なく告げた。
「あのねぇ。私が待っているのは、貴女じゃなくって王子なの。まったくもう、いつになったら本編が始まるのやら……」
とっくに現れていると言ったら、君はどんな顔をするのだろう? それに王子は、ヒロインよりも君が気になるのだと言ったら?
でも、今は正体を明かすより、ソフィアへのいたずらを阻止する方が先決だ。ニカには是非とも悪役なんて似合わない、と気づいてもらわなければ。
「いい加減諦めたら?」
「まさか! 今日も頑張るつもりよ。一日一悪。ちゃんと意地悪しなくっちゃ」
「それで? 今から何をするの?」
「泥団子を作って、ソフィアにぶつけるつもりなの」
ふと疑問に思う。
悪役令嬢って、それでいいのだろうか?