王子は悪役令嬢を愛したい
晩餐の後は舞踏会に突入で、休む間もなく次々踊る。
――結婚したから、もういいと思っているの?
私――ヴェロニカと三曲続けて踊ったラファエルは、あっさり私を手放して別の男性に引き渡した。肩までの金色の髪に青い瞳、すっきりした顔立ちの年上の男性だ。
――ラファエルったらもしかして、『釣った魚にエサはやらぬ』主義?
今まで他の人と踊ったことがないので、緊張して変に力が入ってしまう。ステップはどうにか踏み間違えなかったものの、動きが絶対ぎこちない。
ラファエルなら私のくせを理解して、上手くリードしてくれるのに。
……って、本人どこにも見当たらない。疲れて先に退室しちゃった?
結婚後急に冷たくなる夫――。
話には聞いたことがあるけれど、自分の身に起こるなんて思わなかった。式を挙げたばかりだし、ちょっと早過ぎない?
それともやっぱり、私では不満なのかしら。
この世界は物語ではないと言っていた王子が、急に自分の役割に気づいたとか、まさかそういうオチ!?
悪い想像がどんどん膨らむ。
『王子と結婚したソフィアは、末永く幸せに暮らしました』
その一文で終わる『ブランノワール』本編に、この先の記述はない。
でも本当に大変なのは、たぶん結婚してからだ。
そもそも相手が違っているし、本の世界と現実とでは全く違う。
物語通りになると思って悪役令嬢をめざしていた自分が、相当恥ずかしい。
できる妻は、どーんと構えなければいけないの?
夫の姿が見えないくらいで、不安になってはいけない。頭では理解しつつ、目はつい彼の姿を探してしまう。
――あ、いた!
ラファエルは会場の隅で、見かけない年上の女性と嬉しそうに話している。年齢差がありそうなのに、その人は頬をピンクに染めていた。
まさかラファエル、口説いてる?
言葉少なく気もそぞろ。
私は決して、楽しいパートナーではなかった。
曲が終わり謝罪を込めて笑いかけた私に、金色の髪の男性は同じように笑い返してくれた。
いい人で良かったわ。
だけどいくら妃の務めといえど、これ以上は踊れない。楽しそうに笑うラファエルを見て、冷静ではいられないのだ。
いきなり浮気……はさすがにないでしょうけれど、どういうつもりなの?
そう思って向きを変えると、横から強く腕を引かれた。
「叔父様、もういいでしょう? 一曲踊れば十分なはずです。妃を返してもらいますね」
ラファエルだ!
自分で引き渡したくせに、返してとはどういうこと?
それに叔父って……それならこの方も王族なの? 今までお目にかかったことはない、はずだけど。
「ふむ。噂通りの溺愛ぶりだな。国外にまで届いているぞ」
「それはどうも。否定はしません」
「ほどほどにな。美しい女性に骨抜きにされるのは、私だけでいい」
「その奥方が、あちらで寂しそうにしておられますが。いいんですか?」
「いや、すぐに戻ろう。君達も幸せにな」
にやりと笑ったその人は、片手を上げるとさっきの女性のところに歩いて行った。それならラファエルと話していた人が、彼の奥様?
「ごめんね、ニカ。叔父がどうしても君と踊りたいと言い出して」
「叔父様って……外国にいらしたの?」
「ああ、正確には父の従弟で従叔父だが。愛する女性と一緒になるため、全てを捨てた。私の妃を見ようと帰国し、さっき到着したばかりだ」
「そうだったの」
私は彼に認めてもらえたのだろうか?
緊張していたし、ラファエルのことが気になって上手く踊れなかった。予め教えてくれたなら、心を込めてお話できたのに。
「紹介しなくてごめん。ありのままの君を見たいという、彼の意思を尊重した。可愛がってもらった恩があるから、断り切れなくて」
「いえ、それはいいんだけど……。貴方の相手が私と知って、がっかりしたのではなくて?」
「ニカ。そんなことを聞くとは、結婚したのにまだ不安? 君のお披露目のために残っていたけど、私もそろそろ限界だ」
「限界って?」
実はラファエルも緊張していて、私と同じく昨日は眠れなかったのかしら。もしくは今日一日で、相当疲れてしまったの?
ただでさえ合間に執務をこなしていたから、精神的にも体力的にも、もう限界ということだろう。
「妃に癒されたい。ここでの義務は果たしたから、もういいだろう。行こうか?」
ラファエルに手を引かれた私は、会場内を突っ切ることに。
もちろん目立つし、みんなが見ている。
癒す――つまりマッサージをしてもらうため、先に抜けるって言わなくてもいいのかしら? 肩もみは得意だけど、まさか結婚当日にそんな伝統があるとは知らなかった。
「せめて両陛下にはお断りしなければ……」
「大丈夫。両親もわかっているから」
やはりマッサージは、妃としての務めらしい。
誰も教えてくれなかったし、明らかに私の勉強不足だ。
豪華な寝室にあるのは、大きなベッド。
夫婦となった私達は、今夜からここで休むことになる。
ラファエルとは小さな頃から一緒にいるけれど、もちろん共には寝ていない。そのせいか、ベッドを見ると照れてしまう。
通常なら新婚初夜。
けれどラファエルは真剣な表情をしているから、すごく疲れているのだろう。もちろんマッサージだけでいい。いざとなると恥ずかしく、愛する夫に無理はさせたくないから。
「ニカ……」
「ラファエル、上着を脱いで横になって。早く始めましょう」
「へえ、随分積極的だね。もしかして、君も待っていた?」
「横になる機会を? ええ。いえ、貴方ほどでは……」
大変だったけど、ラファエルほど疲れていない。だから眠くても、マッサージくらいはしてあげられるわよ。
そう答えようとしたのに、なぜか腰に両手を添えられ、額を合わされた。
「私の想いは当然わかっているよね? ずっとこの時を待っていた」
マッサージを?
それならそうと、言ってくれれば良かったのに。
「きゃっ」
なぜかラファエルが、私を持ち上げ横抱きに。
大きなベッドに運ばれて、真っ白なシーツの上に下ろされた。
彼は私と視線を合わせたまま、上着を脱ぎ捨てクラバットを外す。枕元に手を伸ばしたかと思いきや、次の瞬間、私を真上から見下ろしていた。唇には、薄っすら笑みまで浮かんでいて。
――待って、この体勢だと逆なんだけど。もしかして『癒す』って、マッサージのことじゃなかったの?
「あ、あ、あの。ラファエル、それだと疲れが取れないんじゃあ……」
「どうして? 君を愛する体力なら、心配しなくてもたくさんあるよ?」
ラファエルの紫色の瞳が妖しく輝く。
私はようやく理解した。と同時に、胸の鼓動が全力疾走を始める。
「な、なな、な」
「愛しいニカ、覚悟はいい? たっぷり可愛がってあげるね」
髪をかき上げ、色気たっぷりに笑うラファエル。
そんな顔も綺麗だけれど、いきなりピンチだ。
見惚れている場合ではない。結婚した以上、いつかこうなることはわかっていた。それでも……一旦休憩したい。
「ええっと、その……」
「大丈夫、優しくするから」
彼は私の髪を撫で、唇に優しくキスを落とす。
王子はこんな時でもハイスペックだ。
私のドレスをさりげなく脱がせたばかりか、コルセットまであっさり取り払う。
片や私は手が震え、彼の着ているシャツのボタンすら外せない。結局、自分で脱いでもらった。
「綺麗だよ、ニカ。想像以上だ」
「ラファエル……」
彼の方こそ彫刻みたいで美しい。
鍛えた筋肉が眩しい引き締まった身体に、しっかりした腕。そして背中には、純白の翼が見える。
彼は私を、綺麗だと言った。
生まれたままの姿で恥ずかしいのに、誇らしくもあるのはどうしてだろう? 熱のこもった瞳で見つめられると、泣きたくなるのはなぜ?
あなたに出会えて良かった。
私はもう、こんなにも……。
「……ラファエル、愛しているわ」
「私も愛している。可愛いニカ、存分に証明してあげよう」
掠れた声のラファエルが、私の身体にキスを落とす。首元の赤い刻印や鎖骨、胸元は言うまでもなく、あちらこちらに。時々強く吸うから、身体中に薔薇の花びらのような赤が散る。
「ニカ、私の薔薇。好きだよ」
「私も……すごく好きだわ」
――あ、好きなのは行為じゃなくて、ラファエル本人ってことよ?
けれど思考は、そこで途切れてしまう。
だって私は情熱的な天使に、朝までたっぷり愛されたから。
夢見ていたのは、誰かを愛し愛されること。
切ないほどの私の望みに、ラファエルは毎日、全力で応えてくれるのだった。
最後までご覧いただき、ありがとうございました(^^)
本編はこれで終わりです。
あと一話、投稿予定です。