ニカとの出会い 6
だけどニカは、僕に向かって肩を竦める。
「せっかく夢見た世界に憧れの姿で転生できたのに、どうして諦めなくてはいけないの? 大人の私はすこぶる美人になるのよ。ジルドとの恋も全うできるくらい、スタイルも良くてすごいんだから!」
ダメだ、まったく相手にされていない。
ヴェロニカにとって僕は通りすがりの女の子で、取るに足らない存在なのだろう。この先僕らは彼女の語った通り、婚約するかもしれないのに。
それなら少し、ヒントをあげようか。
「へえ、美人になるんだ。それは楽しみ」
『ラノベ』に『悪役令嬢』、そして『番外編』。夢のような話を真剣に語るヴェロニカ。
その話がどこまで真実なのか、側で確かめるのもいいかもしれない。前世という概念が、存在するのか否か。書物では目にしたことのない未研究の分野だけれど、興味はある。
「番外編の主役は私。私が自分の人生のヒロインになれるのよ? 誰も私を無視しない。バカにされ笑われたとしても、待てば幸せな未来が約束されている。だから、絶対に諦めないわ」
「つまり君は、将来看守に会うため悪役令嬢になりたいと?」
「ええ、もちろん!」
変な情熱を燃やすニカ。
誰かが止めるべき……なのか?
そんな彼女は僕にビシッと指を差し、偉そうに言ってくる。
「そういうわけで悪役をしなくちゃいけないから、弟子の貴女もちゃんと協力するのよ?」
本の中の主人公はソフィアで、ラファエル王子がその相手役。二人はやがて恋に落ち、最終的には結ばれる。自分は悪役令嬢だから、徹底的にソフィアをいじめて邪魔をする。だから僕にその手伝いをしろ、ということらしい。
なぜ『悪役令嬢』が要るのか、さっぱりわからない。王子に相手にされずに悪事を働くくらいなら、次を探せばいいと思う。彼女の言動は、やはり理解に苦しむ。
僕は首を傾げた。
そもそも弟子って何だろう?
「具体的には、何をすればいいの?」
「そうねぇ……義妹のための準備を手伝って」
「準備?」
「そう。今日ソフィアは、王子と出会うの。無事につまずいて転べるように、地面に穴を掘るわよ!」
ニカが言うには、初めての出会いで優しく話し相手になってくれた王子に、ソフィアが走り寄るとのこと。その時誤って転ぶが、幼い王子はソフィアを無事に抱き留めるらしい。互いに顔を赤くする微笑ましい二人の描写が、本にはあるそうだ。
さっきから、キョロキョロしているのはそのためか。
ニカは王子の登場を待っている。
でも王子がここに現れるはずはない。だってラファエル王子は、この僕だから。
そう言いたくても、こんな格好では恥ずかしい。正式な訪問ではないし、女の子の恰好で今さら王子を名乗っても、信じてもらえないだろう。
それに、決められている運命なんて御免だ。お芝居じゃあるまいし、本の通りに物事が進むとは到底思えない。王子のくだりを無視することに決め、僕はニカに尋ねた。
「どの辺? というより、穴なんて掘ったことがないんだけど……」
「私もよ。でも、目的のためなら手段を選んでなんていられないの」
腰に手を当て偉そうにしているが、ドレスについた葉っぱと泥で台無しだ。
ニカは庭にあったスコップを手に取ると、一つを自分用に、もう一つを僕に渡してくれた。スコップに触れるのは初めてだから、ついじっくり眺めてしまう。
この国の王子である自分が、庭に穴を掘る日が来るとは思わなかった。
公爵家の庭に、二人で浅い穴をあける。途中からコツを掴んで上手になったので、競うように掘ってみた。
「こっちの方が丸くて綺麗よ」
「そう? こっちは深さがちょうどいい」
そんなふうに自慢したり笑い合ったりして調子に乗ってしまった結果、僕もニカも服はドロドロで、庭はボコボコの穴だらけ……。
「さすがに十分だと思うわ。モグラたたきのモグラもびっくりね。ここまで掘ろうとは、思っていなかったのだけれど」
モグラタタキ?
また、知らない言葉だ。
ニカが立ち上がりながら、額に滲んだ汗を拭う。満足そうな彼女の汗が、なぜか綺麗に見えた。もう少し一緒にいたいけど、護衛がそわそわしている。そろそろ王宮に戻る時間だ。
「ニカのおかげで楽しかった。また遊ぼうね」
立ち上がった僕に、ニカが走り寄る。
けれど彼女自身が、穴につまずき転びそうになった。
「ああっ」
「危ない!」
僕は慌ててスコップを放り出すと、ニカを抱き留めた。彼女の身体は柔らかくて、やはりいい匂いがする。
「ごめんなさい」
「いいよ。ニカに怪我がなくて良かった」
恥ずかしそうに顔を赤くするニカは、可愛い。素直な態度の彼女を見て、なんだか僕まで照れてしまう。
「暑かったわよね。ごめんなさい」
見当違いの言葉をかけるニカ。
赤くなったのは、暑さのせいではないのだけれど。
そうか、今日は女装をしていた。今の僕は、女の子の『エル』。異性だと意識されていないせいで、ニカは僕にありのままの姿を見せてくれる。
「いいよ」
笑顔で手を振り、ニカに別れを告げた。思ったより長居し過ぎたらしい。それだけ彼女との時間はあっという間で、楽しかったということか。
「クスクスクス」
「おや、思い出し笑いですか?」
「まあね」
僕の婚約者候補は、綺麗だけど偉そうで、ちょっと不思議な女の子。当分このまま側にいて、じっくり観察してみようかな?
馬車の中、『天宮』と呼ばれる王宮までの道を、僕は幸せな気分で過ごしていた。