運命の行方 8
まったくもう、ラファエルったら。
一緒に行こうと言い出したくせに、私は邪魔だったの?
私――ヴェロニカの知り合いがこんな所にいるはずないし、「いい子にして」って子供に言い聞かせるような口調で言わなくたっていいのに。いくらここがずっと憧れていた場所でも、もうはしゃぐ年齢でもない。
むくれながら立っていると、戻って来た看守長がある男性を伴って来た。もちろん初めて会う人だ。
「お待たせしました。殿下は先に向かわれたのですか?」
「ええ。そちらの方は?」
その人が帽子を取り顔を上げた瞬間、私は息を呑む。
彼は、この顔は――ジルドだ!
ときめきよりも驚きのあまり、くらくらしてしまう。
だって番外編でもないのに、このタイミングで彼に会うなんて!
ラファエルは、ジルドを前から知っているような口ぶりだった。
そして、ジルドは……。
なんだかちょっと、丸くない?
「初めまして。ジルド・バルザックです。貴女がローゼス公爵閣下のご長女、ヴェロニカ様ですか」
「え? ええ、まあ。初めまして」
会ったこともないのに、彼はどうして父や私の名前を?
いえ、それよりこれっていったいどういうこと?
挿絵ではスマートで渋いはずのジルドが、なぜか丸っこくて人のいいおじさんになっているのだ。
鳶色の髪と黒い瞳はラノベの描写と一緒。
頬の傷もそのままだけど、陰のあるはずの表情は明るくて、がっしりしていたはずの細身はふっくらぽちゃっとしている。体形に偏見はないけれど、これではあまりに違っているような。
固まったままの私を見て、ジルドが口を開く。
「お父上には大変お世話になりました」
「ち、父に?」
動揺のあまり声が裏返ってしまう。
――いけない、ラノベと異なるからってこんな態度は良くないわ。初対面なのに失礼があってはならない。気をつけなくちゃ。
「立ち話も何ですので、お待ちの間あちらの部屋をお使い下さい。ジルド、くれぐれも失礼のないようにな。すみません、私はこれで」
看守長はそう言うと、先ほどラファエルが向かった方向に慌てて走って行った。
後に残されたのは、私とラファエルの護衛のクレマン、そして看守のジルド。ジルドは私とクレマンを別室に案内してくれた。座るなり、彼が感謝の言葉を述べる。
「お父上とラファエル殿下には、大変お世話になりました。いくらお礼を言っても言い足りません。本日はお二人に縁の深い貴女をお迎え出来て、大変光栄です」
「ええっと、どういうことかしら?」
私の憧れていた人が二人と知り合いだったなんて、聞いた覚えがない。けれど目の前のジルドは本物で、その彼が父にもラファエルにも感謝しているとか。
全くわけがわからない。
私は早速、ジルドの過去を聞いてみることにした。
「差し支えなければ教えて下さい。貴方はいつからこちらへ?」
「各地を転々としていた俺……いえ、私がこの国に入ったのは、戦いに嫌気がさして生きる希望を失っている時でした」
「それっていつ……」
「三年ほど前でしょうか? その時、私に仕事を紹介して下さるという方から、推薦状をいただいたのです」
確かにジルドは傭兵上がりだ。
お金のために戦いに明け暮れ、幾度も死線をくぐり抜けてきた。彼の陰のある表情や頬の傷、渋さはそこから来ている……はずなのに。
にこにこしながら話す彼に、陰は微塵も感じられない。それに、推薦状とはどういうことだろう?
「始めは半信半疑でした。入国して間もない私が、天宮で職にありつけるなんて。しかもローゼス公爵の下で働けるとは、思ってもみませんでしたから」
「父の?」
「はい。国外での経験と傭兵の腕を買われて。主な仕事は情報を集めることです。最近は国外で、ある令嬢の救出作戦に参加しました」
「もしかして、攫われていた令嬢ですか?」
「ご存知でしたか。もう国には戻れないと泣く彼女を、連れて帰る役目です」
あ、なんか展開が読めてきた気がする。
ジルドは弱った者を見過ごすことができない性格で、そのため牢に入ったヴェロニカに心から同情するのだ。一見とっつきにくい風貌だけど、根は優しい。
「もしかして、その方と……」
「はい、結婚しました。公爵から何か聞かれましたか?」
「いえ、何となく」
まさか、貴方のことを以前から知っていたなどとは言えない。
それにしても、ジルドが既に結婚していたなんて!
奥さんのいる人に、ときめきもへったくれもあったもんじゃあない。
「今の私が幸せなのは、貴女のお父上のおかげなんです」
「父の? あの、でしたらどうしてここに?」
ジルドのこの体格は、幸せ太りだったのね。
父が情報大臣を退くと同時に、彼も辞めてしまったのだろうか?
看守より元の仕事の方が、確実に給金は良いはずだ。
「それについては、お父上が希望を叶えて下さいました。リリア……いえ、妻の側にいたくて安全な職務を希望したところ、つてがあると。つい最近、こちらに異動してきたんです」
「最近?」
「はい。正確にいえば、ラファエル殿下が勧めて下さったそうです」
「ラファエルが?」
段々わかってきたような気がする。
一番最初にジルドに仕事を紹介したのも、もしやラファエルでは?
「ええ、一度ならず二度までも。後から聞いた話によると、最初に推薦状を下さったのも殿下だったようです。なぜ傭兵とわかったのかは謎ですが、本当に国民想いの優しい王子様ですね」
頭を抱えたくなってしまう。
ラファエルったら、私が話したジルドの経歴をしっかり覚えていたみたい。ラファエルは秘密主義だ。ジルドのことを知っていたなら、私に教えてくれても良かったのに。
「この国の民となることができて、幸せです。妻のお腹には子供もいますが、生まれて来る子もきっと誇りに思うことでしょう」
「そう……よね。この国で暮らす方が幸せになれる、か」
考えれば少し切ない。
『ブラノワ』では、ヴェロニカとジルドは手に手を取って国外へ逃亡する。そこで平民として幸せに暮らしました、で終わっていた。
でも本当は、ジルドもこの国を出たくなかったに違いない。彼はヴェロニカのために、安定した生活を棄てたのだ。
ラノベのヴェロニカと私は違うけれど、当初の計画通りだとしたら、私はジルドに苦労をかけていたことになる。自分のことしか考えず、彼の世話になりっぱなしで。
現実のジルドはふっくらしていて明るくて。
私の夢見た彼とは違っていたけれど、幸せそうで良かった!
「ご結婚おめでとうございます。それと、お子様も。誕生が待ち遠しいですわね」
私は心から祝福した。
もうジルドに、憧れの気持ちはない。
「ええ、そりゃあもう。貴女も王子とのご結婚がもうすぐだそうで。本当におめでとうございます」
「ありがとうございます」
胸を張って答えた。
私だって、幸福だから。
大好きなラファエル――彼ともっと幸せになるために、これからは現実を見て生きていこう。