運命の行方 7
大広間に戻った私達は、中座した舞踏会に参加している。
けれどニカの機嫌は晴れないようで、先ほどから顔をしかめていた。
「ニカ、まだ怒っている? 君が可愛すぎるから、止められなかったんだ。許してほしい」
「ねえ、ラファエル。さっき二ヶ月先に式を挙げるって発表していたわよね? そんなに早いと仕度が間に合わないわ」
良かった、怒っていたわけではないらしい。
「仕度って何の? 結婚式の計画なら、もう何年も前から万全の状態だ。招待状や公布の手配も終わっている。ニカなら頭がいいから、練習もすぐに済むだろう。後は……ドレスか」
ニカが頷く。
わかっているよ、ウエディングドレスのことだよね?
「もうすぐ仕上がるから。後は身体に合わせて直してもらえばいい」
「……はい?」
「丁寧に仕立ててくれているよ。何のために私が、そのドレスを君に贈ったと思う?」
ニカの真紅のドレスを見下ろす。
このドレスを仕立てる時に派遣した女性には、結婚式用の衣装も既に発注してある。ただし、「ニカ本人には内緒にしてほしい」との条件を付けた。
「貴方は最初から、これとウエディングドレスの二着を彼女に頼んでいたの?」
「そう。正確には二着じゃないけどね? そのドレスもよく似合っている」
「すごい自信ね」
「自信も何も、私にはニカだけだから。断られても諦めない。いや、断れないようにしていた、というのが正解かな?」
「責めるべきは今じゃないって言っていたのに?」
「攻めるって、さっきのこと? 続きは結婚後で構わない。あと二ヶ月は我慢できるから」
「ねえ、貴方の言う『せめる』って何?」
「君を可愛がる以外に何がある? まあ、ニカが看守を好きだと言っても、今さら手放すつもりはないが」
呆れて声も出ないという表情の彼女を見て、私はにっこり微笑んだ。
挙式を約二週間後に控えたある日。
天宮での衣装合わせの後で、私はニカを呼び止めた。
「ねえ、ニカ。今から水宮の牢獄に行こうか」
「……え?」
ニカは驚いて目を丸くする。
だが私は、彼女の気持ちが知りたい。
「ちょうど用事があるんだ。嫌なら無理に、とは言わない。どうする?」
「ご一緒するわ。このまま向かうの?」
「ああ。帰りはそんなに遅くならないと思うよ」
「わかったわ」
水宮の牢獄と聞いてジルドを連想したのか、ニカが微笑む。
不安になった私は、馬車に乗り込むなり彼女に問いかけた。
「ニカ、私といるのに考えごと? 余裕だね」
「貴方のことを考えていたの」
「可愛いことを言ってくれる。ほら、おいで」
「ねえ、そこまでくっつかなくても大丈夫よ。寒くないもの」
「寒さは関係ないよ? 私がこうしたいだけだから」
ニカの腰に両腕を回した私は、自分の膝の上に彼女を座らせようとした。けれどあっさり断られたので仕方なく、そのまま引き寄せる。
「仕事で行くのに、こんなにベタベタしていていいの?」
「ベタベタ? これではまだ足りない。いい匂いだ。ニカからは今日も薔薇の香りがする」
彼女に触れる口実が欲しい。
私はニカの首筋に鼻を近づけると、目を閉じて彼女の香りを吸い込んだ。偶然を装い、唇で柔らかな肌にも触れる。
「ねえ、くすぐったいからやめて。薔薇の香りが好きなら、香油をあげるから」
「要らない。ニカ本人なら欲しいけど」
「なっ……」
ニカの顔が真っ赤だ。
私の薔薇は純情で、今日も抜群に愛らしい。
「ああ、着いたようだね。どうしたの? 顔が赤いけど」
「赤くさせた張本人のくせに」
「それは申し訳ないことをした。でもそろそろ、慣れてもらわないとね」
げんなりした様子のニカを見て、私は笑みを浮かべる。彼女のいろんな表情は見ていて飽きない。
ニカも諦めたのか、つられて笑う。
私は彼女と腕を組み、水宮の牢獄へ向かった。
『水宮』と言うだけあって、敷地内には水に関連したものが多い。
裁判所は水色の屋根で柱は白、入り口手前の正面には左右対称の大きな噴水がある。常に大量の水が噴き出し、夜は光る仕掛けとなっていた。
そのずっと奥。
湖の上にあるのが『水宮の牢獄』で、灰色の石造りのため古城のようにも見える。だが、れっきとした牢獄で、建物内部は水に満ち、管理は厳しい。
ニカと護衛を引き連れて、入り口をくぐった。
吹き抜けのエントランスの中央に小さな噴水があり、その横を人工の川が流れている。天井にはステンドグラスが嵌め込まれ、周りには天使の彫刻が飾ってあった。ここだけ見れば、まるで教会のようだ。
白髪交じりの小柄な看守長が慌てて飛んで来た。
彼には長年、ここの管理を任せている。
「わざわざご足労いただき、大変申し訳ございません。ご案内いたします。こちらへどうぞ」
看守長に導かれ、私とニカは長い廊下を抜けて建物の奥へ進む。勢いの凄まじい水が上から大量に流れ、壁となって各牢を仕切っている。
激しい水で遮られているため、囚人側は見えない。もちろん向こうからもこちらは見えない仕掛けだ。
「水に手を触れないよう、お気をつけ下さい」
看守長が言いながら辺りを見回した。
それぞれが速さの鋭い水で仕切られているから、近づくと危ない。牢から出ようとすれば、身体の一部が切断されてしまうのだ。
「ご覧になって、いかがですか?」
案内していた看守長が、振り向いた。
ニカの意見を求めているらしい。
「どう? ニカ。初めて来た感想は」
君は昔、牢獄に入りたいと熱く語っていたね。
今この場所を見ても、まだ同じことが言える?
「……ええっと、思っていたより激しいですね。水の音もうるさくて。勢いが鋭い所もあるから、硬い物でも切れてしまいそう」
「その通り。だから脱獄は難しい。外に出ようとすれば、身体が切れてしまうよ」
「やっぱり……」
ニカは納得したというように呟くと、首を傾げた。
――ねえ、ニカ。君の大好きなシーンは、現実では無理なんだ。
彼女を眺めていたところ、看守長が口を開く。
「先ほどお伝えした通りです。魔法陣が消えかけているために魔法石の調子が悪く、水の量が多くなりました。弱められず、中に入ることができません」
「そうだね。この前来た時よりもひどいようだ。中にいる者の食事は?」
「いえ、昨夜からは何も」
「それはいけない。すぐに直そう」
キョトンとしているニカに、私は微笑みかけた。
「ニカ、ごめん。急を要するようだ。その間、暇だよね? 誰かに相手をしてもらうといい」
「ラファエルは、水の魔法も使えるの?」
「ああ。ついでに魔力も供給しようと思っている。用事があると言っただろう?」
「ラファエル、貴方の扱える魔法ってもしかして……」
「ニカ、たぶん君の考えている通りだ。答えは後で教えてあげるから。ところで看守長、彼はいる?」
「彼? ……ああ、おりますよ。呼んで来ましょう」
ニカを見て、私も覚悟を決める。
君にとっては望まないことかもしれないが、私はどうしても確かめたい。
「お互い積もる話もあるだろう。存分に語るといい。ニカ、いい子にしていてね」
彼女の頬にさっとキスを落とした私は、まっすぐ魔法石に向かう。ここまで来たらなるようにしかならないと、自分に言い聞かせて。