ニカとの出会い 5
真面目に聞いていたけれど、物語はやっぱり物語。だって王子がバカ過ぎる!
将来の結婚相手なら、普通はちゃんと調べてから会いに行くものだろう? 二年も経って間違いに気づくって、それまで何してた?
さっきの出会いが似ていたのは、きっと偶然だ。
「……っとまあ、ここまでが『ブラノワ』の本編よ。だけど私が好きなのは、その後に続く番外編なの」
ニカは、さらに詳しく語り出す。
「王都は四つの地域に分かれていて、それぞれを宮と呼ぶの。北は王族が住まう天宮、この周りに貴族の屋敷も固まっている。それから南にある地宮、ここには一般の民が住んでいるわね。あとは西の火宮で、処刑場や墓地がある。最後に一番大事なのが東の水宮、裁判所や軽犯罪者用の牢獄があるわ」
僕は目を丸くする。彼女は、子供にしては知識が深い。
「よく知っているね」
「ありがとう。この話をしたのはね、水宮がすっごく素敵な場所だから」
「素敵? 裁判所と牢獄が?」
「そう。特に水宮の牢獄は、滝のような大量の水に囲まれた場所。魔法で流れる水の勢いが強すぎて、囚人は出たくても出られないんですって」
「そりゃ、そうでしょ。牢獄だから」
動揺を押し隠し、冷静に答える。
勢いの強すぎる水は、空間を遮断するだけでなく物も切ることができるのだ。魔法障壁があるために脱獄は不可能だし、仮に牢を出られても身体の一部、もしくは全部を失う。
「だけどね、そこの看守がすっごく優しくてカッコいい人なの。牢に入って彼に会いたい!」
恐ろしい場所のことを、彼女は楽しそうに語る。そんな理由で牢獄に? 呆れて物も言えない。
「教えてあげる。あのね……」
ヴェロニカは嬉々として、牢獄の話を始めた。
「本編終了後の番外編で、ヴェロニカは連行先の牢獄で看守と運命的な出会いを果たすの。彼の名はジルド。私より十歳年上ですごくワイルドでカッコいいわ。『ブラノワ』は多くの人に借りられていたというだけあって、挿絵がとても綺麗だった。もちろん、看守もそう」
図説でもないのに挿絵が付いているとは、かなり読みやすそうだ。
「端整な容姿で均整の取れた体つきのジルド。どこか陰のあるクールな彼は、傭兵上がりの看守で、ヴェロニカと接するうち、彼女に深く同情するの。一方ヴェロニカは、表面的な愛情しか与えられず、実の父親からも婚約者の王子からも見捨てられていた。美しく誇り高い彼女は、誰よりも愛情を欲していたのにね。彼女と接するうちに、ジルドの同情がいつしか愛情へ。ヴェロニカもまた、ジルドに対して徐々に心を開いていく」
展開が、まるで劇のようだ。
ラノベとは、本というより脚本に近いのか?
「それでね、この後がとってもいいシーンなの」
興奮したニカは、僕に身体を寄せて来た。彼女の髪からは、薔薇のような良い香りがする。
「好意を抱くヴェロニカとジルド。けれど彼らの関係は、囚人と看守よ。近くにいるのに触れてはいけない。恋に落ちてもどうにもできず、告白なんてもってのほか。立場と距離に二人は苦しむ」
「ある夜、看守のジルドは同僚の目を盗み、魔法石でコントロールされている水の量を調節する。彼の大事な人が、『水宮の牢獄』から逃げ出せるように。けれどヴェロニカは、首を横に振る。自分を逃がしたせいで愛する人が犯罪者になってはいけない、と。彼の想いを知るからこそ自分は牢から出られないと、そう思って」
次の瞬間、ヴェロニカはうっとりしたような声を出す。
「水壁越しの恋。そして、弱まった水を通して初めて重なる手と手。触れそうで触れられない距離に、切なく苦しむ二人。ああ、胸が躍るわ!」
驚きで声が出ない。どうして君がそんなことを知っている?
ニカは、牢獄の水量が魔法石で制御されているということを言い当てた。それは、王家と関係者以外には秘密にされている。父親のローゼス公爵が、集めた機密情報を幼い娘に話している可能性はないだろうか?
ニカの様子を窺うが、気まずそうな様子はなかった。
……あり得ない、か。公爵は長年情報担当として国に貢献し、国王の信頼も厚いと聞いている。国家機密を娘に漏らす愚行を犯すとは、到底思えない。
「でもね、最後は白薔薇ソフィアの頼みを聞き入れた王子が、二人をこっそり国外に逃がしてあげるの。ヴェロニカとジルドは、そこで仲良く暮らしてめでたしめでたし。どう、いい話でしょ?」
「何というか、すごい話」
それしか言いようがなかった。
牢獄で恋?
貴族令嬢が国外に逃亡?
平民になるのに、めでたしめでたし?
囚人を逃がそうとする看守と、反省の欠片もない物語のヴェロニカには呆れてしまう。でも一番いけないのは、惚れたソフィアの頼みをあっさり聞き入れて、犯罪者を国外へ逃がす王子だ。権威の悪用も甚だしく、許されるわけがない。
「話って言わないで。これから現実にしていくのよ!」
僕の感想に納得できず、ぷりぷり怒るニカは可愛い。だが、知らない言葉をたくさん使われ、所々意味が把握できなかった。
こんなことは初めてだ。
本と現実を混同する彼女の考え方も、少しもわからない。そのため、つい皮肉な口調になってしまう。
「それなら、今すぐ牢獄に行けばいいよね?」
行って確かめてくればいい。
目当ての看守が、その場にいるのかどうかを。
「バカね、今行ったとしてもジルドはいないわ。それに、こんな子供の姿でどうしろと? 最短でも、あと十年は待たなければ無理なのよ」
考えうる限り、僕は人からバカだと言われたことは一度もない。自慢じゃないが、才気煥発だと褒められて育ってきた。王子の身分を差し引いても、同じ年の子供よりは格段に物事を理解しているつもり。それだけに『バカ』と言われたことが、かなりショックだ。
「長すぎない? そんなに待つなら、諦めた方が……」
不確定な未来を期待するなんて、ニカの方こそバカなんじゃないか?