天使が望む者 3
こっそりため息をつく。
君が子供なら、こんな想いは抱かない。ベッドに組み敷きその身に私の跡を残したい、などとは――。
けれど、ニカは私の思いに気がつかず、全く別のことを考えていたらしい。
「大変! ソフィアにお土産を買うの、忘れていたわ」
「へえ。この頃ニカは、ソフィアと仲良くしているんだ」
いたずらを仕掛けないどころか、姉妹で仲睦まじい様子だ。
――だったら牢獄行きは、もう諦めた?
ニカもようやく、この世界が本の通りではないと理解したようだ。それなら、今度こそ……。
ところが、ニカはワインを飲み過ぎてしまったらしく、さっきから私の顔を見てはクスクス笑っている。もちろん彼女はどんな顔でも可愛いが。
「大丈夫か、ニカ。酔っ払っているのかな? このお嬢さんは」
「いいえ~全然。あくやくれいじょーたるもの、これくらい、では酔いま、せん!」
心配になって覗き込む。
真っ赤な顔のニカが、「黙って」とばかりに私の唇に自分の人差し指を押し当てる。
私はたまらずその手を握ると、指先に口づけた。
「そんなことしたら、えーっと、王子様みたいよ?」
みたいと言われても、本当に王子なんだけど。やはり、かなり酔っているな。
ニカの目が潤んで、トロンとしている。
放っておくと、このままテーブルに突っ伏して眠ってしまいそう。
醒めた時点で後悔することは目に見えていた。外の空気を吸わせるか、部屋に戻した方が良さそうだ。
「ニカ。上機嫌な君も可愛いけど、このままでは危ないよ」
「可愛いのは、ソフィアとエルでしょう?」
久々にエルと呼ばれたが、好きな人に可愛いと言われて嬉しいはずがない。
思わずムッとした私に、護衛のクレマンがこう告げる。
「ヴェロニカ様を部屋までお運びしましょう」
「いい。私がニカを連れて行く」
「ですが、ラファエル様もお疲れでしょう?」
「いや、大丈夫だ。私が女性一人、運べないと思うか?」
他の男がニカに触れるのを、許すわけがない。
私はニカの椅子を後ろに引くと、彼女の背中を支えて膝裏に手を差し入れた。そのまま抱え上げ、横抱きにする。
「へ?」
「ニカ、君をどうしよう? 今すぐ私のものにするべきか」
酔ったニカは微笑むと、安心したように私の首に腕を回す。私は彼女と共に、先に食堂を出ることにした。
「みなはそのまま、食事を楽しんでくれ」
歩き出すなり、瞼を閉じるニカ。
幸せそうなその顔はほんのり赤くて綺麗だが、もう少し危機感を持ってもらいたい。
私が君を自分のベッドに運んだら、どうするつもりだ?
「ニカ、こんな所で寝ないで。あと少しだから頑張って」
困った声を出すが、ニカは既に寝息を立てていた。
サラサラの黒髪が階段を上る度に揺れ、柔らかな肌からはいつものように薔薇の香りが漂う。赤い唇は笑みを形作っているし、伏せたまつ毛も震えるほどに美しい。
ニカの白い腕が、徐々に力を失くし私の胸元を滑り落ちた。優しく撫でるようなその感触に動じて、落っことさないようにするだけで精一杯だ。
――私は今、ニカに試されているのだろうか?
ニカはスタイルが良く軽いので、楽々運べる。
だが変に緊張したせいで、私は汗をかいていた。
ニカを抱き直し、彼女の滞在する部屋の扉をゆっくり開く。
念のため中から鍵をかけると、彼女をベッドにそっと下ろす。
寝顔を見つめ、ニカの髪を優しく撫でた。
部屋には二人きり。
今から私がしようとすることを知っても、君はいつものように笑ってくれるだろうか?
私はベッド脇に腰かけ、上着を脱ぎクラバットを緩め、首元をくつろげた。そのままシャツのボタンをいくつか外し、背中の翼を大きく広げる。次いで横になるニカを見つめ、その頬に手のひらを当てた。
彼女はまだ、ぼんやりしているようだ。
――君には本当の私を知って欲しい。そして、嫌わないで。
切なる願いを込めながら、ニカの顔を覗き込む。
彼女はゆっくり瞼を開けた。
「綺麗ね。羨ましいわ」
翼を目にしたニカは、そう言って私の顔に手を伸ばす。額にかかった前髪を、撫でつけてもくれた。
いきなりこんな姿を見せた私を、怖がらないのか?
「ニカ、君の方が綺麗だよ」
感動のあまり声が掠れてしまう。
酔っているとはいえ、変わらぬ彼女の優しさが嬉しくて。
「ありがとう。嬉しい」
ニカが素直に礼を言う。
柔らかく微笑むけれど、もしかして本気にしていない?
「何度も言っているのに。好きだよ、ニカ」
私はたまらず、ニカの髪にキスを落とした。
馬車で送った時のように、細い首筋や真っ白な肩にも。
私の唇や舌の感触に、ニカが小刻みに震えている。だけどもう、止めてあげることはできなかった。
私は私の印を、彼女だけに刻み付けたい!
「違う……こんなに好きなのに」
ニカが言い、片手で自分の目を覆う。
透明な滴が、手の隙間から零れて頬を伝った。
――ジルドではないと嫌がって、泣いているのか?
報告書によると、ジルドは既に別の女性を選んだ。
その事実を告げても、君はまだ彼が好きだと言うつもり?
「ごめんね、ニカ。もう放してあげられないんだ」
私には、君しかいないから。
王位継承権を持つ者が、羽や羽の痕を見せて所有の印を刻み付けることができるのは、生涯にたった一人と決まっている。すなわち、自分の子供を産んで欲しいと望む者にだけ。
ニカが首を横に振る。
それなら、止めようとしても止められないこの想いを、私はどこにぶつければいい?
荒れ狂う感情を抑え込むため、私は歯を食いしばり、手のひらに爪を深く食い込ませた。いつもならすぐに収まるはずの背中の翼が、抵抗して震えている。
そんな時――彼女が私の名を呼んだ。
「ラファエル……」
もう、無理だ。
この気持ちを抑えるなんて、私にはできそうにない。
私は全ての魔力を唇に集めると、彼女の首元にキスと言う名の所有の印を刻んだ。