天使が望む者 2
「もちろんどうぞ。何がいいかしら?」
ニカは少女の目を見て優しく答えた。
そんな所が彼女らしい。
「クマさん! だけど、知らない人から物をもらうのはダメだって言われていて……」
女の子は背後の家族を気にしながら、ニカの横のクマのぬいぐるみを指さしている。それは貴族の子供が好む、職人による手作りの高価な品だった。
「そう。言いつけを守って偉いのね。でもここは教会で、司祭様は知らない人ではないわ。これからみんなのために、心を砕いて下さるの」
ニカの言葉を聞いた司祭が、にっこりしながら頷く。
「それからこのクマも、貴女のことを見ているみたい。貴女のものになりたいって、教えてくれたわ」
「本当?」
もちろんクマが喋るわけがない。
これは、ニカなりの気遣いだ。
恐る恐る近付くその子に、彼女は当たり前のようにぬいぐるみを手渡した。ギュッと目をつぶり、大事そうにクマを抱き締める女の子。
彼女を見つめるニカの目はすごく優しい。
――ああ、ニカが私の子供の母親になってくれたなら!
「ありがとう。もらってくれて、嬉しいわ」
ニカが微笑む。
彼女の優しい心は、全ての者に行き渡ったようだ。そこからは平民も貴族も関係なく、ニカの持って来た品物を選び、手に取った人々が列を作り始める。中には品物を欲しがらず、金銭や装身具を寄付するだけの者もいた。
私も先ほど受け取ったニカの本を、そっと返しておくことにする。彼女の善意がより多くの者に届けばいいと、そう願って。
次々に感謝の言葉を述べられていたニカ。
気付くと彼女は、司祭とその場を交代していた。
欲しい物を持って並ぶ彼らに、司祭が祝福を与えている。
「天使の恵みを」
「天上の光があなたに降り注ぎますように」
そんな言葉を聞いた貴族や民は喜び、誇らしげな顔をしていた。
ニカよりも司祭の方が、今後この地域との関わりが深い。君はそこまで考えて、自分の手柄を惜しげもなく彼に譲ったんだね?
愛しい気持ちが抑えられず、私は隣に立つとニカの肩を抱き寄せた。
いつもなら人前だと恥ずかしがるニカだけど、今は気分が高揚しているのか、抵抗せず私に寄り添う。
やはり私は君がいい。
他の相手は考えられない!
「ニカ、気づいてる? 君はすごいことをやってのけたんだ。初日から受け入れられた教会は、わが国でも初めてだろうね」
「そう? 教会よりも、みんなが喜んでくれたことが嬉しいわ」
用意してきた物は、あっという間に無くなった。
トランクの中に入れられた金銭や宝石類を、ニカは全て教会に寄付することに決めたらしい。
さらに彼女は、地域の交流や貧しい人々への支援など、自分の考える教会の在り方を司祭に語っていた。
――これも前世の知識か?
反対する理由はないので、私も彼女の考えを支持すると表明し、そのための資金も援助すると約束した。ニカの考え通りになれば、人々は教会に戻ってくるだろう。
帰り際、「もっと話を聞きたい」という司祭や領主の招きを、私は退けた。
「せっかくなので、この機会に可愛い婚約者とゆっくり過ごそうと思ってね」
司祭も領主夫妻も何とも言えない顔をしていた。
でもこの私が、ニカを口説き落とす機会を棒に振るわけがない。完璧な笑みを浮かべ、全ての反論を封じ込めた。
ニカはニカで、赤くなった頬を両手で押さえている。
その愛らしい姿を見た私の口元が、思わず緩む。
けれど彼女はこれではいけないと思ったらしく、澄ました口調で挨拶していた。
「教会はもちろんのこと、懐の深い司祭様をお招きできた地域の方々は、本当に幸せですわね。皆様に天使の恵みがありますように」
「こちらこそ、慈愛に満ちた高貴な方を一番にお迎え出来て、感激の極みです。これからもお二人が、天使に祝福されますように」
「すぐに三人になるかもしれませんよ? この分では、ご成婚も間近でしょうから」
司祭の後を領主がを引き継ぐ。
楽しそうに笑う彼らに、私も同意を示す。
「彼女次第だが、努力しよう」
何なら今夜から……。
私の心の声は聞こえないはずなのに、ニカの表情が強張った。
初めての遠出で疲れたのだろうか?
「ニカ、顔色が悪いようだね。疲れたのかな? すぐ宿に戻ろう」
私は彼らに別れを告げて、ニカと宿に向かうことにした。
滞在先の宿は貸し切りで、警備も厳重。
フィルベールが未だに逃走しているためだ。
彼とその仲間に捕まっていた令嬢達は、無事家に戻された。国外で売り飛ばされそうになっていた者は、帰国の交渉をしている。中には無事に結婚をした者までいて、誘拐事件は一応、解決に向かって進んでいる。
先ほど具合が悪そうだと思ったのは気のせいで、ニカは今、パイや煮込み料理や卵たっぷりのキッシュなど、素朴な田舎の夕食を心から楽しんでいた。
私は今夜、彼女に背中の翼を見せるつもりだ。
「ニカ、夜は危ない。羽の疑問も解消してあげるから、私の部屋においで?」
ところがニカは、飲んだ水を思い切り噴き出した。
そこまで嫌がることかな?
「こ、こんな所で! 羽のことはもういいから。別にそんなに見たいわけじゃないし」
赤い顔のニカ。
そうか、教会での会話のせいだね?
「なんだ残念。じゃあ、私が君の部屋に行こうか?」
「ダメに決まっているでしょう! ラファエルったら、恥ずかしいわ」
焦ったのか、ニカは目の前のグラスに手を伸ばし、一気に飲み干した。中のワインは、この地方特産の白葡萄を熟成させて作ったもので、甘いが非常に強いことでも有名だ。
「うわ、美味しい!」
「ああ、私も好きだよ」
ワインにかこつけて、私は今夜も想いを伝えた。
小さな頃からこうして、君に何度も好きだと告げている。図書室や公爵家の庭、茶会の席で。
その度に躱されるのだが、君はいったいいつになったら、私に応えてくれるのか。
ニカはワインを気に入ったらしく、何杯もお代わりしている。水のように飲んでいるが、ほどほどにしといた方がいいのでは?
「ええっと、ニカ。ペースが早くないかな?」
「平気。とっても美味しいもの」
「口当たりは良いけれど、かなり強いお酒だよ?」
「子供じゃないんだし、心配しないで」
「そうだね。君はとっくに子供じゃない」
かすれた声で本音を漏らす。




