天使が望む者 1
事件の約二ヶ月後。
私は婚約者のニカを連れて、国の南部に泊りがけで来ていた。新たに建設された教会の式典に招待されためだ。教会内部はステンドグラス越しに光が降り注ぎ、天使の像がたくさん飾られている。
ノヴァルフ国は元々、天使が地上に降り立って建国したとされている。神より天使が尊ばれるのはそのためで、王家は天使の子孫だと伝えられ、実際背中には羽の名残があった。
事件以来すっかり心を入れ替えたのか、ニカがソフィアに意地悪を仕掛けた、という話は聞かない。ニカは私の婚約者として、今日もおとなしく同行している。
――せっかく教会だし、このまま結婚式を挙げてしまおうか?
しかし当のニカは、私の隣で何やら考え事をしていた。笑ったかと思えば目を細めたり、顔をしかめて唇をへの字に曲げていたり。あまりに面白く、さっきから目が離せない。
「どうした? ニカ。いろんな顔の君も可愛いけど、式典が始まったら真面目にね」
途端に厳めしい顔つきになる彼女に、やっぱりクスリと笑ってしまう。綺麗で可愛い君を、今すぐ手に入れられたなら。
「ねえ、ラファエルの背中にも羽の痕があるの?」
「突然どうした? 気になるなら見せてあげるけど、帰ってから寝室でね。私の子を宿す者にしか、披露しないと決めている」
「なっ……バッ」
「しーっ。ほら、そろそろ始まる。真顔で頼むよ?」
表情を消した私は、真面目な顔で前を向く。
ニカに告げた言葉は嘘ではなく、王家の羽の秘密は伴侶となる者にしか明かしてはならないとされている。しかも私には、痕ではなく翼があった。
――見せた時点で、永遠の愛を誓ったことになる。私はもちろん構わないが、ニカは? 私を受け入れてくれるだろうか?
儀式は無事に終了した。
司祭が内部を案内してくれると言うので、私達はできたばかりの教会を見て回る。一段落したところで、ニカが司祭に質問していた。
「あの。見たところ、参加者は司祭様や貴族の方だけのようですが。民のための教会だと伺っておりましたのに、一般の方はどなたもいらっしゃらないのですか?」
「ああ、やはりお気づきになられましたか。もちろん招待は致しましたが、象徴だけで腹は膨れないと断られまして」
「まあ!」
私は悟られないようため息をつく。
最近民の教会離れが進んでいると聞くが、ここでもか。時代を経るに従って、天使への信仰心が薄れているのかもしれない。
ニカは、なおも尋ねている。
「それなら、この後恵みを与えるのでしょうか? 集まった寄付や物資はどこに?」
「物資? いったい何のことですか?」
「ええっ!?」
長年一緒にいるせいか、ニカの考えが何となくわかるようになってきた。祈るだけで貧しい人々が救われるものか、と言いたいのだろう。
困ったようにこちらを見たニカに、私は微笑む。
「ニカ、何か思うところがあるようだね? 今回私は、現状を把握するために来たんだ。君は違うの?」
「ええっと……とりあえず、馬車から私のトランクを下ろして下さる?」
私の護衛には、彼女の言葉に従うように言ってある。
クレマンと最近配属されたダリルは頷くと、ニカの大きなトランクを教会の入り口まで運んで来た。
――三つもあるが、何が入っているのだろう?
外には新しくできた教会を遠巻きに眺める人々がいた。
中には入らないが、興味はあるらしい。
ニカは民の目の前でトランクの中からシーツのようなものを取り出すと、その上に中身を広げて並べ始めた。本やぬいぐるみ、ドレスや小物、日傘などもあるようだ。
私は腕を組み、ニカの行動を見守っていた。
中途半端に手を出すと、怒られそうだから。
私の推測通りなら、彼女はこれから貴族には縁のないことをするはずだ。
ニカは全ての品物を並べ終えると、満足したように両手を腰に当て、声を張り上げた。
「さあ、天使の恵みを受けたい者はどなたでもどうぞ! 教会は、みなさんの味方です。気に入った物があれば、持ち帰って下さい。もちろん、善意の寄付も受け付けます。天使はきっと見ているでしょう」
なるほどね。
前世の記憶があるというニカは、この世に生まれ変わる前はとても貧しかったのだと、以前語っていた。貧しい民の気持ちがよくわかるため、何とかしてあげたいと心を砕いたのだろう。
「『施し』と言わずに『天使の恵み』と言うところが彼女らしいな」
それなら誰も、憐れみだとは感じない。
教会だと天使の名前を使えるし、多くの人が集まる。
善行なら教会側の反対もない。
だけど急な申し出に警戒したのか、しばらく待っても誰も近付く気配はない。
ニカはせっかくのアイディアが不発だったと知り、がっかりしている。
――唇を噛んでうつむく君は、純粋で愛らしい。本物の天使が見ていれば、きっと真っ先に気に入られてしまうね?
私はニカに近づくと、一冊の本を手にする。
それは偶然にも、ニカの書いた物だった。
「では、私はこの本を。非常に面白そうだが、お代は要らないのだろう?」
ニカが眩しい笑顔を向けた。
それだけで、心が全て持って行かれそうだ。
「ええ、もちろん。余裕のある方だけで」
「そう。それならこれを。私は余裕があるからね」
手袋を外し、嵌めていた指輪を引き抜き差し出した。
ルビーは彼女の瞳と同じ色で気に入っている。
でもこれは、他ならぬニカのため。
私は宝石よりも彼女が欲しい。
「え? ええっ!?」
高価な宝石に慌てるニカ。
そんな彼女の側へ、何人かが寄って来た。どうやら他の貴族達も、興味を示したらしい。
「そんなにすごい本があるのか?」
「他にも色々あるようよ。ストールとか日傘なら、ちょうど欲しいと思っていたの」
儀式に参加していた貴族達が中心となり、ニカの持って来た品物を手に取っている。遠くをチラチラ見るニカは、貴族よりも貧しい地元の民が気になるようだ。
私が声をかけてもいいが、それだと押し付けになってしまう。どうしたものかと思案していたところ、可愛らしい声が響く。
「あの! 私もいい?」
人垣の中から、小さな女の子が進み出た。
この辺の地域の子らしく、少し汚れた服を着ている五~六歳くらいの愛らしい子だ。
その子を見た貴族達は、そそくさと避けて道を開ける。これが通常の態度だが、ニカはどう対応するのかな?