大事件 10
「お父様!」
「すまない、ヴェロニカ。許してほしい。お前を危険な目に遭わせた」
「いえ、あの……」
邪魔した公爵に文句の一つも言いたいところだが、彼は将来義理の父親となる。私は努めて冷静に振る舞うことにした。
「公爵。いや、大臣。申し訳ないが報告を」
目を丸くするニカ。
彼女の父親の仕事は、特殊な上危険が伴うので、家族にも詳しく知らされていない。
「国外のルートは潰しました。潜伏場所が問題でしたが、まさかこんな所だったとは。女性達は無事に保護。一旦宮殿に連れて行き、事情を聞きます。殿下にも立ち会ってもらいたい」
「わかった。忙しくさせて済まない」
公爵に軽く頭を下げ、私はニカに笑いかけた。
「ニカ、もう少しだけ公爵をお借りするよ?」
「ええ、もちろん。だけどもう、危ない仕事はさせないで」
さすがはニカだ。今の会話だけで、父親の職務を察したのか。
しかし公爵は、あくまで娘に厳しい。
「ヴェロニカ、それはお前が口を出すことではない。だが殿下、貴方の提案を受け入れましょう。引退して、相談役となるのも悪くない」
「相談役? まさか。情報担当大臣を退いた公爵には、宰相職をお願いしたい」
「それは引き受けかねます。いずれ王となる者が妃の父を厚遇したとあっては、国の混乱を招く元となりましょう」
「貴方の実直な所を、現国王も買っているのだがな。その話はいずれまた。ほら、我が婚約者も驚いている」
父親の袖を掴むニカに、彼が説明を始めた。
「ヴェロニカ、よくお聞き。今までお前に話したことはなかったが、お前の母さんは、私に恨みを持った人物に殺されたんだ」
ニカが鋭く息を飲む。
私はもちろん知っていたが、父親である公爵の許可なく彼女に話すことはできなかった。
「だから私は必要以上にお前を守り、可愛がった。お前が我儘な性格に育ったのは、私の過ちだ。新たな母親に任せて、自分は職務に戻った方がいいと考えた」
ニカは黙って聞いている。
「たまに家に帰っても、亡き妻に似て美しくなっていくお前を見るのはつらい。悲劇を繰り返すことを恐れるあまり、私はお前を遠ざけた。ヴェロニカ、お前には何の罪もないのに……」
顔をしかめたニカ。
公爵はそんなにも、彼女につらく当たっていたのか?
「お前には、できるだけ穏やかな世界で生きてほしかった。そのために、王子殿下との婚約を最後まで反対したんだ……結局は折れたが。ここまで来たら、結婚も認めざるを得ないな」
公爵が『結婚』と口にした途端、ニカが身じろぎする。
私との婚約を形だけだと思っているせいだろう。
それならゆっくり話をしようか。
「可哀想に。ニカ、震えているね? 彼女を送り届けてから、私は天宮に戻ることにする。大臣……いや義父上、それでいいですね?」
「ああ、仕方がない。ラファエル様、娘を頼みます」
もちろん引き受けた。
一生面倒を見るから、心配しないでほしい。
外に用意されていた馬車に、ニカと二人で乗り込んだ。私は膝の上にニカを抱え上げると、彼女がどこかへ行ってしまわないよう、背後から腰に手を回す。
「な、何をしているの? ラファエル、もしかして血迷った?」
「血迷う? ニカは、相変わらず面白いことを言うね」
「それなら、何でこんな体勢を……」
「うん? 大事な婚約者に傷がついていないかどうか、調べないといけないからね」
頬を染めて恥ずかしがるニカは、私の膝からすぐに下りようとした。
もちろん離すはずがない。
私は片手でニカの腰を抱くと、もう一方の手でニカの首筋や肩に触れて擦り傷を治していく。くすぐったがる顔がかなり可愛いので、そこを重点的に攻めておいた。
ニカは我慢できなくなったのか、私の手に自分の手を重ねて動きを止めてしまう。
「平気よ。貴方にもらった魔法石が、すごい効果を発揮したもの」
「そのようだね。火の魔法とは」
「え? だって、あれを用意したのって貴方よね?」
振り向くニカの綺麗な顔が、私の目の前にある。
――このままキスしてしまおうか?
ニカは慌てたように正面に向き直ると、大きく息を吸う。
――なんだ残念。
苦笑した私は、会話を続けることにする。
「もちろん。でも、発揮される属性は、君との相性があるから」
「相性って? ラファエルも得意魔法は火なんでしょう?」
「残念、まだ当たらないね」
魔法石に込めたのは、全ての属性だ。
特に得意というものはなく、私は全ての魔法を同じように扱える。
うんうん唸るニカを他所に、私は確認という名目で、彼女の身体を撫でていく。
見える所の傷は治した。
あとは、ドレスの下の部分だが……。
「ねえ、ラファエル。なんだかいろいろ触り過ぎでは?」
「何のことかな? 君は関係ない男達には触らせるのに、婚約者の私が確認するのは嫌なの?」
「嫌とかそういう問題じゃないでしょう? それに、関係だなんて……」
「ないよね? もし仮に、君がフィルベールや彼の仲間と深く関わっていたとしたら、即座に処刑されてしまう。人攫いや人身売買は重罪だから、間違いなく火宮の刑場で火あぶりだろうな」
「……っ」
ニカの机の中にあった、証拠として必要なメモや地図は押収した。
私はニカが利用されただけだと知っているし、彼らの本当の狙いは彼女だとわかってもいる。彼らの仲間とは微塵も思っていないけれど、きつく言っておいた方が、今後のためになるだろう。
「もちろん私は、ニカのことを信じている。と、いうことで続けようか?」
ニカが逆らえないのをいいことに、思う存分彼女に触れる。今度は傷を治すためではなく、自分のため。
――かなり心配させたんだ。これくらいは許してくれるだろう?
「待って! 今、どさくさに紛れて肩にキスしたわよね? しかも、どうしてドレスの中に手を入れようとしているの?」
「ん? 魔法石がどうなったかな、と思って」
もちろん嘘だけど。
さすがにすぐバレた。
「さっき使ったって言ったでしょう! それに、火の相性がどうとかって話したはずじゃあ」
「そうだった、うっかりしていたよ。ニカ、君に大きな怪我がなくて嬉しい」
ぷりぷり怒るニカのあまりの愛らしさに、私は彼女を屋敷で下ろした後、天宮に着くまでずっと笑いが止まらなかった。