大事件 9
裏通りの外れの廃墟。
待ち合わせ場所に指定されているのはここだった。
おかしなことに、フィルベールはこの紙だけを燃やせと言っている。それなら、隠れ家として用意された田舎の家よりこちらの方が断然怪しい。
昔栄えていたという二階建ての娼館は、ところどころ外壁が崩れて見る影もなく、飛び交うカラス達が余計に物悲しさを際立たせている。
そんな館のすぐ横に、紋章のない黒い馬車が停まっていた。
「かなり怪しいな。ニカの居場所がわかるように魔力を込めたつもりだが、未だ反応はなし、か」
魔法石を渡した日、うなじに口づけて所有の印を刻もうとした。
――軽くだし、翼をしまっていたから威力が弱かったのだろうか?
ここで間違いないはずなのに、ニカの気配は感じられない。
騎乗したまま朽ち果てた館の正面に回ろうとした時、轟音と共に火柱が立ち昇るのが見えた。
――ニカだ!
「やはりここか。急げ!」
魔法石が割れて中の魔法が発動したらしい。
私は馬から飛び降りると、館の中に踏み込んだ。
火柱が炎の壁を形作るから、当分はニカを守ってくれるだろう。術者本人(この場合はニカだ)が認めた者以外、炎は熱く近寄ることはできないはずだ。
「屋敷を隅々まで探せ!」
兵士達が一斉に動き出す。
私は吹き抜けの玄関ホールを経て、ボロボロの絨毯が敷かれた階段を駆け上がる。木の扉を次々と開け、中を確認していく。
「うわっ、何だ」
「きゃあ」
「ひっ」
黒髪のニカが見当たらない。
発動した魔法が何らかの形で表れているはずなのに、その様子もない。
中にいたのは人相の悪い見張り役の男達や、拘束された令嬢達だ。
「やつらを捕まえろ! 女性は保護するように」
「はっ」
王宮騎士でもあるクレマンが、兵士に指示を与える。
ごろつきが、訓練された兵に敵うわけがない。あっさり取り押さえられ捕縛された男達が、観念したように唇を噛む。
しかし私は焦っている。
階下の状況を確認しても、ニカもソフィアもいなかった。
気配が薄く火の壁が見えないということは、隠し部屋でもあるのだろうか?
――頼む、ニカ。無事でいてくれ!
緊急事態だ、仕方がない。
私は、ふてぶてしく横を向く大柄な男に近づくと、手のひらに炎を出現させた。
「一度だけ問う。他の令嬢はどこにいる?」
「あ……あっしは何も」
軽く手を振り、炎を飛ばす。
男は頬を軽く火傷した。まあ、手加減したから自然に治るだろう。
「一度だけ、と言ったはずだ。次はない」
「地下ですっ」
「地下の入り口は?」
「か、かか、掛け時計の、う、裏の仕掛けを外すと出てきます」
「そうか。それなら早くしろ」
低い声で促して、時計の前に連れて行く。だが、ごろつきはガタガタ震えて使い物にならない。私は思わず舌打ちした。
「ラファエル様、もう少し怒りを抑えて下さい」
「……わかった。兵の半数は私と一緒に。他の者は捜索を続けろ」
「「はっ」」
クレマンが男を宥めて仕掛けを外させた。
現れた地下への階段を、私は急いで駆け下りる。石の通路の片側に扉が並んでいて、その一つが開け放たれているようだ。
「早くしろ、ぐずぐずするな」
「水をかけても消えねえ。何なんだ、これは」
「お前試しに飛び込んでみろ」
「はあ? 何で俺が」
中から声が聞こえてきた。
間違いない、ここだ!
迷わず飛び込んだ私は、三人の男の姿を見た。
奥には円形状の炎の壁が……良かった、ニカは無事だ!
「何だ、お前ら」
「うわっ、待て。やめろ!」
男達は椅子を倒し必死に逃げ惑うが、兵が近づき行く手を阻む。もちろん容赦はしない。
「観念しろ! 他に潜伏していた者も捕えている」
悪人達は諦めが悪く、ナイフを構えてこちらに向かって来た。私は前に出ようとする兵を手で制し、遠慮なく蹴り飛ばした。少人数だしこの程度なら魔法は要らない。
見ればクレマンも、別の男を殴り飛ばしている。
「ぐえ」
「うう……」
「痛ぇ」
呻くくらいなら、抵抗しなければいいのに。
床に伏せおとなしくなった男達を見て、私は炎の壁を消す。中にはニカとソフィアがいる。二人を確認した私は、安堵の息を吐き、兵に指示を与えた。
「きつく縛り上げろ。取り調べには私も立ち会う」
目の端に、床に座り込むニカが見えた。
護衛のクレマンが、私よりも先に走り寄り、ニカではなくソフィアを腕に抱え上げている。
「怖かったわ。助けに来てくれてありがとう」
ソフィアが礼を言い、護衛のクレマンも喜んでいる。
――なるほど、そういうことか。
ニカに縋るような目を向けられた。
それならもう、我慢はできない。
私は大股で近づき床に膝をつくと、ニカをきつく抱きしめた。
「ニカ、君が無事で良かった」
「ラファエル……」
自ら窮地に陥る性格でも、やはり私は君がいい。
バカなことを計画しないよう、このまま腕の中に閉じ込めてしまおうか?
「ラファエル、もう……」
肩に手を置き距離を取ろうとするニカを、私は許さず抱きしめた。愛しさ余って彼女の黒髪に唇を落とす。
――君が助かって本当に良かった。
「ニカ、私は……」
私は君が愛しい。
「ソフィアは? どこにいるのかしら」
言いかけた言葉を、ちょうど遮られてしまう。
残念だが、仕方がない。
確かにかび臭い地下に、愛の言葉は適さないから。
「ソフィアもだけど、フィルもいないみたいね。彼はもう連れて行かれた?」
「あいつのことが気になるの? ニカ」
「まさか、そんなわけないじゃない! でも、さっきまでここにいたのに……」
「そうなのか? 私が来た時には、姿が見えなかった。逃げたとしても、こちらには証拠がある。彼が捕まるのは時間の問題だ」
ソフィアは、クレマンがとっくに連れ出した。
フィルベール本人がここにいたとは知らなかったが、ニカが保管していた手紙や地図、助け出された令嬢達の証言があれば、捜索を進められる。
「証拠って、何?」
「詳しくは言えないが、以前から調べていてね。フィルベールには多くの令嬢を拐かし、売り飛ばしていた疑いがあって……」
話し中にも関わらず、ニカは何者かに腕を引っ張られて立たされた。彼女を奪われた私は、ムッとしてその人物を見上げた。
「ヴェロニカ、無事で良かった。お前にまで何かあれば、私は……」
不満は残るが相手が悪かった。