ニカとの出会い 4
「ヴェロニカって本の登場人物だよね?」
「ええ。その頃の私には、別の名前があったから。ヴェロニカは、よく自分に言い聞かせていたわ。他人に頼ってはいけない、自分の道は自分の力で切り拓くのよ、って」
やっぱりよくわからない。
こうなったら、最後まで聞いた方がいいかもしれない。
僕は黙って続きを促す。
「だから、自分がラノベの世界のヴェロニカに転生したと知った時は、本当に嬉しかったの。だって悪役令嬢は、キツイ顔立ちだけど美人になると決まっているでしょう? 悪役だから大抵の我儘は許されるし、公爵令嬢として何不自由ない暮らしが保証されているもの」
目の前のヴェロニカは『ラノベ』というものが大好きで、前世で読んだ通りの世界に生まれ変わったと言い張っている。
――想像力がたくましく、夢物語だとバカにするのは簡単だ。でも、もし本当だとしたら?
ヴェロニカの語る以前の状況は、悲しくつらいものだった。集団生活でほとんど相手にされず、一冊の本だけが心の拠り所。彼女は今の自分のことも『悪役令嬢』というよくわからない単語を使って、他人事のように話す。
――まただ。また胸が痛い。この感情は何? 同情? いや、嘘か本当かわからない話で同情なんてバカげている。念のため、確認しておこう。
「ニカは自分が本の世界に生まれ変わったって、本気で信じているということ?」
ヴェロニカでは堅苦しいから、僕は彼女を『ニカ』と呼ぶことにした。一瞬変な顔をされたが、訂正しないようだ。
「そうよ。だから私は『ブランノワール~王子は……』ああもう、面倒くさいからこの際『ブラノワ』で。私、ヴェロニカはこの『ブラノワ』世界でヒロインをいじめる使命があるの!」
「使命???」
頭が悪いわけではないようなのに、ニカはどこまで本気なのだろう? 自分が本の登場人物だと、固く信じて疑わない。それどころか、義妹をいじめなくてはならないと、変な責任感に燃えている。
「理解が追いつかない」
ボソッと言うが、彼女は訊いていなかった。
本当に何から何まで理解不能のことだらけ。
話についていくのがやっとだ。
「あーあ、早く番外編にならないかなぁ」
「ばんがいへん?」
彼女はまたもや、僕の知らない単語を口にする。
「番外編っていうのは、本編――物語と直接関わらないおまけのようなものよ。それにはまず、本編を説明する必要があるわね」
そう言うと、彼女は『ブランノワール~王子は可憐な白薔薇に酔う~』という本の中身を話し出したのだ。
「ヒロインのソフィアは銀髪で『白薔薇』と呼ばれていた。白薔薇のように汚れなく、美しく成長する。対するヴェロニカは黒髪で『黒薔薇』。こちらも美人だけど、腹黒くきついイメージよ。ラノベのタイトル『ブランノワール』は、そのまんま彼女達を表していて、意味は『白黒』。略して『ブラノワ』は、ソフィアとラファエル王子の恋物語なの。本編は、彼らの出会いのシーンから始まるわ」
嫌な予感がする。
もしかして、その王子が……僕?
「公爵家の令嬢が将来の結婚相手だと知らされた王子は、その子の八歳の誕生日に彼女に会いに行くの。案内されて庭に行くと、銀髪で水色のドレスを着た可愛らしい女の子が、なぜか濡れて汚れていた。幼いながらも可憐なその子に、小さな王子は目を奪われてしまう」
『ねぇ、何してるの?』
『何って……』
『君は誰?』
『私はソフィア。貴方は?』
『僕? 本当は名乗っちゃいけないって言われているんだけど……。君だけに教えてあげる。僕の名前はラファエルだ』
「そんな言葉を交わすのよ」
「……!」
思わず息を呑む。
さっきの会話にそっくりだ。ただし、相手はソフィアではなくヴェロニカで、僕は名前を教えなかった。驚く僕に気がつかず、ニカは口を開く。
「その子が自分の相手だと思い込み、喜ぶ王子。ところが、二年後に婚約者として紹介されたのは、義姉のヴェロニカだった。王子はがっかりするものの、仕方がないと一度は諦めるの。けれど、偉そうに振る舞う黒薔薇に年々我慢ができなくなっていく。そんな時、側にいて彼を癒したのが義妹の白薔薇。互いへの想いを心に秘めたまま、二人はどんどん惹かれ合う。黒薔薇ヴェロニカは、そんな王子と義妹の様子に気づいていた」
『みんなが私を愛さない。実の父親だけでなく、婚約者まで義妹に奪われるなんて!』
「確かそんなセリフを言うはずよ? 愛というよりプライドから、黒薔薇は二人の仲を裂くため策を練る。成長したヴェロニカは、幼い頃からのいじめに励むだけでなく、ソフィアを誘拐したり男達に襲わせようと企んだり。そりゃあもう、真っ黒黒で。でもそのたびに、王子が助けに現れるの」
誘拐? 男達に襲わせる?
ニカの語る黒薔薇は、かなり過激だ。
「そして、王宮での舞踏会当日。ソフィアが十六歳となり社交界デビューする日に、義姉のヴェロニカは婚約を破棄される。ソフィアへの嫌がらせと悪事を王子にバラされ、糾弾されるの。よくある勘違いなどではなく、全部本当のこと。証拠も全て揃っていたために、ヴェロニカは『水宮の牢獄』に連行される。残った二人は結ばれて、めでたしめでたし」